10/16(土) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 三爻初爻

10/16(土) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 三爻初爻

【運勢】

萃は、集まるものである。

しかし、自らの力だけでは、実現できない。

上の人の助けが必要である。

自ら助けを求めれば、寛大な心でうけとめてくれるはずである。

一度妥協して、そこからまた目標への道筋をたてることも考えてみる時。

【原文】

《卦辭》

萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。

彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。

象に曰はく、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。

《爻辭》

(三爻)

六三。萃如。嗟如。利しき攸无し。往けば咎め无し。小し吝。

象に曰はく、往けば咎无しとは、上巽ふ。

(初爻)

初六。孚有りて終へず。乃ち亂れ乃ち萃る。若し號ぶときは一握の笑を爲す。恤ふること勿れ。往いて咎无し。

象に曰はく、乃ち亂れ乃ち萃まるとは、其の志亂るる也。

【解釋】

《卦辭》

〔王弼と東涯の解釋〕

萃は集まることである。

物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。

その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。

假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。

「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。

内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。

祭祀は大切にすべきである。

古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。

《爻辭》

(三爻)

〔王弼の解釋〕

位に当たっていない。四爻と比の関係にある。四爻も位を失っている。不正が集まれば不正である。煩わしさが生じる。応じるものに害をなす。上爻も応じていないので独立している。極まるところは憂えであり危うさである。助けてくれる友を求めるのであれば、待て。不正の所󠄃に集まるよりは、同志を待つ方が良い。二陰があうのは一陰一陽が合うのに及ばない。だから小さな悔いが残る。

〔伊藤東涯の解釋〕

陰柔で不中正である。上に応じるものがなく、三陰が内に居る。この集まるものは不正な者たちである。上卦は巽順で物を捨てることが出来ない。行きて従えば咎无しを得る。しかし少しの後悔は避けられない。その身が不正であり、交わる者がまた柔である。どうして高明󠄃な域に進むことが出来ようか。大きな益はない。人との交わりを慎まなければならない。

〔根本通明の解釋〕

九五の天子の元へ聚ろうとするが、九四の為に阻(へだ)てられて行かれず嗟(なげ)く。九四の大臣の方へ聚まっても利する所は無い。

縦令九四に阻てられても、何処までも往くのが宜しい。往くのは咎が無い。九四の大臣の方へ往けば我が方に利益があると云う様な小さな心で居れば吝である。

[象伝]

六三と上六は徳を同じくして居り、共に力を合わせる所がある。三四五爻目の巽は、三爻目が主爻である。巽の卦徳は入るであるから、上六の方でも我が方に潜り入って来る所がある。

(初爻)

〔王弼の解釋〕

四爻と応じて、三、之を承く。心懷きて疑うを嫌う。故に孚有りて終へざるのである。道を守ること能はず、以て至好を結び、迷ひて務めて競爭す。故に乃ち亂れ乃ち萃まる也。一握とは、小さきの貌也、笑を爲すとは、懦く劣るの貌也。己は正妃と爲り、三は近きを以て寵す。若し夫の卑退なるに安んじ、謙にして以て自ら牧へば、則ち恤ふること勿くして、往けば咎ない。

コメントを残す