10/20(水) ䷌ 天火同人(てんかどうじん) 上爻二爻
【運勢】
後悔しない人生を送る上で何より大切なのは、意志を貫く事である。
機会は幾らでもあるのだから、結果に拘り過ぎるのは良くない。
辛い時や苦しい時、上手く行かない時、身近な理解者が心の支えとなるだろう。
【原文】
《卦辭》
同人野に于てす。亨る。大川を渉るに利ろし。君子の貞に利ろし。
彖に曰はく、同人は柔位を得、中を得る。而して乾に應ず。同人といふ。「同人野においてす。亨る。大川を涉るによろし。」とは、乾行くなり。文明にして以て健。中正にして應ず。君子の正なり。
《爻辭》
[五爻]
九五。同人。先には號咷(ごうとう)して後には笑ふ。大師克ちて相遇ふ
象に曰はく、同人の先は中直を以てなり。大師相遇ふは相克つを言ふなり。
[二爻]
六二。同人宗においてす。吝なり。
象に曰はく、同人宗においてすとは、吝の道なり。
【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
「同人野においてす。亨る。大川を涉るによろし」は、二爻の能くする所ではないこれが乾の行う所である。故に特に同人に曰くという。健を行うに武を使わずに、文明を使って之を用いる。相応してに邪を応じずに、中正によって応じる。君子の正しき事である。故に「君子、貞に利し」という。君子は文明をもって徳にする。天、上にあって、火の炎上げている。同人の意味である。君子、小人、各々同じくする所を得る。
《爻辭》
[五爻]
彖に曰く、柔位を得、中を得て、乾に應ずるを同人と曰ふ。然れば則ち柔を體して中に居り、衆の與へる所。剛を執りて直を用ふ、衆の未だ從はざる所。故に近づいても二の剛に隔てられ、未だ厥の志を獲ず。是を以て先には號き咷ぶなり。中に居りて尊に處り、戰へば必ず克く勝つ。故に後には笑ふなり。物をして自ら歸り使へて其の強く直なるを用ふること能はず。故に必ず大師を須て之に克て、然る後に相遇ふなり。
[二爻]
五に在るに應ずるは、唯だ主に同じくするのみ。主を過てば則ち否がる。心を用ふること褊狹なり。鄙吝の道なり。
〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
同人とは人が互いに心を同じくすること、共に同じ目標を有することである。天(日)と火は同じ火の性である。野は広い場所のことで、狭い集団での友情も大切であるが、より広い範囲で人と交流することが、大きなことを成し遂げる際には必要である。そのためには正直で、正しい心を大切にしなければならない。
〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
同人は、人と人が互いに相親しくして、吉凶ともに同じくする。野は都から遠く離れた田舎で、山や谷の間に居る者までも親しくするという義である。これは乾の象である。天下一軒の家の如くして居れば、互いに亨らない所は無い。九五の天子は六二の賢人を深く信用して、之を用いて往く。
[彖伝]
六二は陰爻を以て陰位に居り、位を得て居る。また下卦の真ん中にあるので、中を得て居る。これは賢人で、中正なる道徳があり、天道に応じて居る。乾は上卦であり、上は外であるから、内から外へ旋って往く。人は道徳を以て普く進んで行う所の義である。之は仁者であり、君子である。天下皆悉く応じて来る。
[象伝]
「天興火」の興は親しむと訓む。また火と天は元は同じ物である。人間も天の分子であるから、御互に親しまなければならない。族を類するとは、分家が自分達の先祖である宗家の祭りへ聚って来ることである。物を辨ずるというのは、聚って来た者は皆代数や衣服などが異なり、其々仕分けて往く所を云う。
《爻辭》
[五爻]
九五は六二の賢人に遇おうとして呼び掛けるが、其の者は此方へ来る事にはならない。其所で歎くが、後には遇う所となり笑うことが出来る。併し是は容易な事では無い。間の九四、九三の悪い奴を師さを以て、撃ち払ったのである。そうして遇うことが出来たから、是程の喜びは無い。「断金の交わり」は是から出た事である。九五と六二の間に陽爻が二つあり間を妨げているが、双方が遇おうと思う心の鋭い所は刃物の如くで、間を隔てている金を貫く所となる。
[象伝]九五の天子は剛直で中正なる所を以て、終に思う所を遂げた。君臣の間で邪魔をするものを撃ち破るのは容易な事では無い。九三と九四も剛敵である。大いなる師さを挙げて、漸く戦に勝って遇ったのである。