10/25(月) ䷽ 雷山小過(らいさんしょうか) 上爻
【運勢】
自身を過剰評価して行動しているので、痛い目を見る。
今の状態は、奢っているようなものなので周りを見渡せていない。
このような時は、初心を思い出して、もう少し簡単なものから始めるべき。
今の状態を認識し、落ち着いた行動が求められる。
【原文】
《卦辭》
小過は亨る。貞に利ろし。小事に可にして、大事に可ならず。飛鳥之れが音を遺す。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉。
彖に曰はく、小過は小なる者󠄃過ぎて亨るなり。過ぎて以て貞に利し。時とともに行ふなり。柔、中を得たり。是を以て小事に吉なり。剛、位を失ひて不中。是を以て大事に可ならざりなり。飛鳥の象有り。飛鳥之が音をのこす。上るに宜しからず、下るに宜し。大吉とは、上るは逆にして下るは順なるなり。
象に曰はく、山上に雷有るは小過。君子以て行は恭に過ぎ、喪は哀に過󠄃ぐ。用は儉に過ぐ。
《爻辭》
上六。遇はずして之に過ぐ。飛鳥之に離る、凶。是を災眚(さいせい)と謂ふ。
象に曰はく、遇󠄄はずして之に過󠄃ぐとは、已だ亢れるなり。
【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
飛ぶ鳥がその声を残して、悲しみながら場所󠄃を求める。上には適当な場所がなく、降れば安住できる。上に行けば行くほど悪くなる。飛ぶ鳥と同じである。小過の小はおよそ小事全般を言う。小事を過ぎて、うまく行く。過ぎれば正しくしていればよい。時宜にかなうのである。恭しく儉約󠄃していればよい。大事をなすは必ず剛がいる。柔で大を犯すのは、剝の道である。上に昇ってはならず、降るのが良い。これは飛ぶ鳥の象である。
《爻辭》
小人が過ぎる。遂󠄅に上の極みに至る。過ぎて際限を知らない。おごり高ぶる。良い処遇は受けない。飛びて満足せず、災いが至る。
〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
陽は大であり、陰は小である。四つの陰が外に在り、二陽が内に在る。陰が陽に勝っているので小過という。陽が陰に勝るのが道理であるが、陰が勝って問題ない時もある。二五は柔が中を得て、三四は剛であり、中でない。卦の形は鳥が翼を広げているようである。上に向って鳴くので、下には聞こえない。下は順調で容易であるが、上昇は逆行するので難しい。任務にも大小があり、位にも上下がある。人の才分もそれぞれ違う。柔は下位にあって小事を治めるのが良い。それが分からなかった人が多く失敗してきたのである。易は中に適うことを尊ぶ。
《爻辭》
陰を以て陽に居る。これは遇である。陰で陰に居れば過󠄃である。鳥が網にかかったようである。小過にあって、陰で上爻にいる。遇でなく過。陰が極まって高ぶる。理に違い常を過ぎる。災いが至る。必ず凶にあう。小人が軽はずみに進み、初爻でも身に至り、凶があるのに、禄は繁栄を極め、人災と天災が至る。
〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
小過の卦は全体でみると☵の卦になっている。三爻と四爻が鳥の体であり、一二、五六が翼である。何の鳥かといえば鶏である。二三四爻に☴がある。これが鶏である。この卦は陰が過ぎる卦である。陽は君で陰は臣下である。君が鳥の体で、臣が鳥の翼である。陰が過ぎるとは臣下が調子に乗っていることである。だから小事は行われ、大事は行われない。鶏が高く飛べる道理はない。声だけ高く上がっても、体は高く上がらない筈である。この場合、鷹に咥えられたとするとよい。飛び去ってしまい悲しむ声だけが残るのである。上に行かれてはもうどうしようもないが、下にいるのなら人でも何とか救出できるかもしれない。
[彖傳]
祭祀に於いて祭式の起居進退は小事であり、道徳は大事である。しかし、小なることを徹底して、良くなることもある。この卦は陰が多すぎる。二爻も五爻も陰である。だから大事をするには不利である。君は常に民と共にあらねばならない。
[象傳]
大いなる山を、小なる雷が過ぎて行く。君子はこの卦をもとに行いを恭しくする。
《爻辞》
上六は九三と応じて居るが、九三は上六の求めに応じて往く事が無いから、遇う事が出来ない。一番上の上六は何処迄も上り過ぎる。飛ぶ鳥が鷹に攫まれ、遥か遠くに連れて往かれれば、助かり様が無い。上六は我が居所を離れ、遥か遠くに引出して往かれる。其所で凶である。之は外から来た災である。
[象伝]
上六は已に上の方へ上り過ぎた。深い志を得た小人は、我が身が亢ぶり過ぎて、終には下に降り様がなくなった。之は丁度上に亢り過ぎて、鷹に攫まれた鶏が降ろうとしても降れなくなった様なものである。初六と上六は鳥で言えば羽である。臣は丁度羽にあたり、君は身体にあたる。権力ある大臣に率いられ、大いなる災眚(さいせい)ある所に引き立てて往かれる義である。初爻目と上爻が風切り羽で、二爻目と五爻目が其の次の羽で、真ん中の身体を勝手に率いて往く所の卦である。