10/28(木) ䷗ 地雷復(ちらいふく) 三爻
【運勢】
復は、かえるという意味を持っている。
何度も同じ過ちを繰り返しては、注意されて戻っている。危ういがまだ大事に至ってない。
初心を忘れてはならない。正しい道を続けるためには、強い信念が必要である。
【原文】
《卦辭》
復は亨(とほ)る。出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。その道に反復す。七日にして來復す。往くところ有るによろし。
彖(たん)に曰(い)はく、複は亨(とほ)る。剛反るなり。動いて順を以て行ふ。ここを以て出入疾(つつが)なく、朋(とも)來たりて咎めなし。「その道に反復す。七日にして來復す」とは、天の行なり。「往くところ有るによろし」とは、剛長ずるなり。復はそれ天地の心を見るか。
象に曰はく、雷地中に在るは復。先王以て至日に關(せき)を閉(と)づ。商旅(しょうりょ)は行かず。后は方を省みず。
《爻辭》
六三。頻(ひん)に復す。厲(あやふ)けれども咎め无(な)し。
象に曰はく、頻復の厲(れい)は、義咎(とが)め无(な)きなり。
【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
復はかえるの意󠄃味である。
ひとつ前の䷖剝の上爻にあった陽爻が初爻に帰ったということである。
一陽来復、また盛んになろうとしている。
陰陽の運行が他の妨害を受けず、順調であるから、何か事をなすのに良い時期である。
《爻辞》
三爻は迷いやすく心が動きやすいので、危険なことが多くある。
しかし、それでも正しい道に戻ることが出来る。
正しい道に戻れたのならば、問題はない。
〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
復は本の所に反(かえ)るという意である。
一年で考えれば旧暦の十一月、つまり冬至にあたる。
天の気が地の底に来ることで万物は生じる。
この卦は天の万物を生じる所に、復(ま)た立ち反った所である。
前の卦の山地剥は上九のみが陽爻で、それは碩果(せきか:大きく実った果実)を意味する。
果実が地に落ちて復た芽が生える所の象である。
「其道」とは、万物を生成する所の道である。
「七日来復」とは、乾為天から一爻ずつ陽が減っていって全てが陰爻になり、復た新たに陽爻を生じるまで七段階の過程があることによる(乾為天→①天風姤→②天山遯→③天地否→④風地観→⑤山地剥→⑥坤為地→⑦地雷復)。
雷気が往くに従って万物が発生する。
また君子の勢いが昌(さか)んになれば道徳が行われる世となり、志ある者は朝廷に出て往って事を行うのが良い。
それで「利有攸往」なのである。
[彖伝]
「復亨、剛反」とは、山地剥の陽爻が引っ繰り反ったのである。
上卦の坤の卦徳(卦の基本的特徴)は順である。
つまり天道天理に順って段々と動いて往く所であるから「動而以順行」なのである。
七とは陽の発生する所の数で、これから段々と陽が長じて往く。
「天地之心」は万物の生成である。
[象伝]
雷が地中に来たって居ることが「復」である。
陽気は地の底へ来た所で未だ力が弱く、これを育てなければならない。
そこで先王は一陽来復(いちようらいふく:陰暦十一月、冬至)の時期にあっては関門を閉ざして、商人や旅行者の往来をなくし、各人は家で静かにした。
天子と雖も冬至の日には巡狩(じゅんしゅ:諸国の巡視)を罷めている。
《爻辞》
震の卦徳は動であり、変化が生じる。
『論語』で言えば、子路・子貢の様な、復(ふく)したり変わったり、また復したりする様なことである。
『論語』雍也第六に「子曰わく、回(かい)や其の心三月(さんがつ)仁に違(たが)わず。其の余(よ)は則(すなわ)ち日月(ひびつきづき)に至(いた)るのみ」とある(顔回は三ヶ月もの間、仁から離れることがなかったが、その他の者は日に一度か月に一度仁に復するのがせいぜいであった)。
このように頻(しき)りに復するから厲(あや)うい。
しかし厲ういけれども咎が無いのは、仁に始終復するからである。
[象伝]
過っても繰り返し仁に復するから咎が無いのである。