11/26(金) ䷊ 地天泰(ちてんたい)→䷲ 震爲雷(しんゐらい)
【運勢】
現状に甘んじる事無く気を引き締める事が大切である。
相手との違いを認識した上で、共感出来る所を協力して進めて行くと良い。
助け合える仲間が居れば、如何なる困難に直面しても解決出来るだろう。
【結果】䷊→䷲
本卦:地天泰(ちてんたい)
之卦:震爲雷(しんゐらい)
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][二爻]
【原文】
《本卦:䷊ 地天泰》
泰は小往き、大來る。吉にして亨る。
彖に曰はく、泰は小往き大來る。吉にして亨る。則ち是れ天地交はりて、萬物通ずるなり。上下交はりて其の志同じきなり。内陽にして外陰。内健にして外順。内君子にして外小人。君子は道󠄃長じ、小人は道󠄃消するなり。
象に曰はく、天地交はるは泰。后以て天地の道󠄃を財成󠄃し、天地の宜しきを輔相し、以て民を左右す。
《之卦:䷲ 震爲雷》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。
彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。
象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。
【解釋】
《本卦:䷊ 地天泰》
〔王弼の解釋〕
泰は物が大いに通る時である。
上下がよく通じれば、物はその節󠄄を失う。
〔東涯の解釋〕
泰は通󠄃るという意味である。
卦は否と逆である。
否の三爻の陰が外卦に行き、三陽が下に来たのである。
陽は大であり、陰は小である。
天気が下降して地気が上昇したのである。
陰陽がよく通じているのである。
人は世の中で、人と交際しながら生きていく。
上は下をおさめ、下のものは上のものを助ける。
君臣上下から親戚や町の仲間にまで言えることである。
そして天下は治まるのである。
よく通るので吉である。
〔根本通明の解釋〕
泰の字は滑らかという義で、天地陰陽の気が流動して滞らず、能く万物を成長させる。
太、代、世も皆通じる意味である。
外卦が坤で、内卦が乾であるから、小は外の方に往き、大は内の方に来る。
地の底で陽が三つになって、盛んになる。
一ヶ年で考えれば、丁度旧暦の正月にあたる。
旧暦の十一月に一陽来復するため、初爻目が十一月、二爻目が十二月、三爻目が正月となる。
この卦は天の元気が地に十分に充ちて居る所の卦である。
世の中で譬えてみれば、天子の恩沢が人民の間に一杯に溢れて居り、下々の者もそれに随って上の方に事(つか)え、上下相交わる所の卦である。
その為、是より吉なる所の卦は無い。
[彖傳]
天の気が下に降り、地の気が上に昇り、天地の気の交わった所で、万物が発生する。
地の中に陽気が十分に充ちており、陽気に随って陰気が外の方に昇っていく所である。
一人の人にしてみれば、乾は心が十分に剛く、且つ外の行いは順従で人に抵抗しない。
又世の中で譬えてみれば、内に在って事を用いるのは君子、外へ出て君子に使われているのは皆小人である。
又世の道徳上の事にとってみれば、君子たる所の仁義の道が段々と盛んになって行き、小人の方の道は段々と滅びる所となる。
[象傳]
天地が交わり万物の生成が盛んになる。
しかし人間がこれを輔けなければ、天地の造化は昌(さか)んになる様なものではない。
天地があり、人間というものがあって、天地を輔けるから天地人、これを三才という。
即ち君と書かずに后(きみ)の字を書いたのは、天地を承けてこれを相(たす)けるためである。
財の字は裁に通じ、物を計って余計な所は裁り、少ない所はこれを補う。
天子が天下を治め人民を取り扱うのは、我が家に生まれた赤子を養育する様な物で、倒れない様に右からも左からも手を引いて輔ける。
そうして民を左右するのである。
《之卦:䷲ 震爲雷》
〔王弼、東涯の解釋〕
震は雷鳴を表す。
上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。
人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。
雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。
〔根本通明の解釋〕
前の卦は火風鼎である。鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。この震は皇太子の象である。皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。震は剛(つよ)いから亨る。また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。卦全体の主になるのは初爻目である。虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。
[彖傳]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。
[象傳]
この卦は震が二つある。二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。