3/28(月) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 三爻

3/28(月) 澤地萃(たくちすい) 三爻


【運勢】
正しさを守り、物事を前に進めるのに良い時。
重要な場面で気を抜かない事が大切である。
積極的に誠意を持って取り組めば、何事も上手く行くだろう。
この様な機会は、望んでも得られないので、大切にすべきである。


【結果】
䷬◎
澤地萃(たくちすい) 三爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[三爻]


【原文】
《卦辭》
萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。
彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰く、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。


《爻辭》
六三。萃如、嗟如。利しき攸なし。往けば咎なし。小し吝。
象に曰く、往けば咎なしとは、上巽ふなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
萃は集まることである。物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。祭祀は大切にすべきである。古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。


《爻辭》
[王弼]
履むに其の位に非ず、以て四に比しむ。四もまた位を失ひ、正ならずして相聚まる。相聚まりて正ならざるは、患ひの生ずる所なり。人の應ずるに于いて、害の起く所なり。故に萃如、嗟如。利しき攸なきなり。上六もまた應ずるなくして、獨り立つ。極に處りて危ふきを憂ひ、援けを思ひて朋を求む。巽ひて以て物を待つ者なり。其の正しからざるに萃まる與りは、志を同じくするに之くに若かず。故に以て往くべくして、咎なきなり。二陰相合ふは、猶ほ一陰一陽の至るに若かざるがごとし。故に小しく吝有るなり。
位に当たっていない。四爻と比の関係にある。四爻も位を失っている。不正が集まれば不正である。煩わしさが生じる。応じるものに害をなす。上爻も応じていないので独立している。極まるところは憂えであり危うさである。助けてくれる友を求めるのであれば、待て。不正の所󠄃に集まるよりは、同志を待つ方が良い。二陰があうのは一陰一陽が合うのに及ばない。だから小さな悔いが残る。
[東涯]
陰柔で不中正である。上に応じるものがなく、三陰が内に居る。この集まるものは不正な者たちである。上卦は巽順で物を捨てることが出来ない。行きて従えば咎无しを得る。しかし少しの後悔は避けられない。その身が不正であり、交わる者がまた柔である。どうして高明󠄃な域に進むことが出来ようか。大きな益はない。人との交わりを慎まなければならない。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
萃の下に亨の字があるのは間違いである。萃とは草がたくさん集まって茂っている様を言う。地の上に沢があるので草木が密集して茂るのである。王が宗廟を祭る時は全国から人々が集まり、特産品が集まってくるのである。そして、豚羊牛で祭るのが良い。そうすれば、人々の心は一つになり、何事を行うにも良い状況となる。
[彖傳]
萃は集まるの意󠄃味で、内卦は順、外卦は喜ぶ。天下の人が天子の徳を慕って集まってくるので、天子は天下の様々なものを以て宗廟を祭る。天命にしたがうというのは、
巽の卦が内包されてゐるからで、天命とは風と關係があるのである。天子の恩沢に人々は集まるのである。
[象傳]
人々が集まってきたなら、思わぬ争いごとが起こるかもしれない。そこで油断はできず、兵器の手入れを怠ってはならぬということである。


《爻辭》
九五の天子の元へ聚ろうとするが、九四の為に阻(へだ)てられて行かれず嗟(なげ)く。九四の大臣の方へ聚まっても利する所は無い。縦令九四に阻てられても、何処までも往くのが宜しい。往くのは咎が無い。九四の大臣の方へ往けば我が方に利益があると云う様な小さな心で居れば吝である。
[象傳]
六三と上六は徳を同じくして居り、共に力を合わせる所がある。三四五爻目の巽は、三爻目が主爻である。巽の卦徳は入るであるから、上六の方でも我が方に潜り入って来る所がある。

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