9/17(土) ䷋ 天地否(てんちひ)→䷳ 艮爲山(ごんゐさん)

9/17(土) 天地否(てんちひ)→ 艮爲山(ごんゐさん)


【運勢】
結果が伴わず、物事に本気で向き合うのが難しい時。
心にゆとりを持ち、控えめに過ごすと良い。
目標を明確にし、堅実に努力を続ける事が大切である。失敗を最小限に抑え、成功を確実なものにすると良い。


【結果】

本卦:天地否(てんちひ)
之卦:艮爲山(ごんゐさん)
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻][四爻][三爻]


【原文】
《本卦:
天地否》
否は之(こ)れ人に匪ず。君子の貞に利しからず。大は往き、小は來る。
彖に曰く、「否は之れ人に匪ず。大は往き小は來る」とは、則ち是れ天地交はらずして、萬物通ぜざるなり。上下交はらずして天下邦无(な)きなり。内、陰にして外、陽。内、柔にして外剛。内小人にして外君子なり。小人は道󠄃長じ、君子は道󠄃消ゆるなり。
象に曰く、天地交はらざるは否。君子以て德を儉し難を避け、榮するに禄を以てすべからず。


《之卦:
艮爲山》
その背に艮(とどま)り、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。
彖に曰く、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。
象に曰く、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


【解釋】
《本卦:
天地否》
〔王弼の解釋〕
否者、閉塞なり。此卦、内坤にして外乾。卦變は泰にして興り相錯る。泰の三陽往きて外に居る、三陰來て内に居る。此の天氣は上騰して地氣は下降す。陰陽隔絶す。相交わりて通らざるの象有り。故に卦の名否に曰く、天地交わらず。則ち萬物成らず、萬物の生は人の大爲なし。故に辭系、人に匪ずと云ふ。上下否隔す、國その國非ず、君子、道を行ふ時に非ず。


〔東涯の解釋〕
否は塞がる、匪人は悪人の意󠄃味である。天地が通じず、上下の意思が通わない様を表す。世の中が乱れる時である。君子が正しくしていても、臣下や国民には伝わらない。悪人が栄え、有徳者は德を隠す。このような時には、徳のある者は徳を隠し、控えめにするのが良い。


〔根本通明の解釋〕
否は塞がるの義である。天地陰陽の気が塞がっている。これは地天泰と反対である。こうした隔絶をつくったのは匪人である。匪人は人間でなく、悪の最も大なるものである。君子が正しい政治を行っても災を受け、小人が権力を握る。このような状態では咎を無くし、誉も出ないように謹慎しなければ危うい。大往小来は、陽が外の方へ往ってしまい、陰ばかりが内側に来ることである。
[彖傳]
天の気が上にあり下に降ってこない。地の気は下に滞って上に騰がっていかない。天地の気が交わらなければ、萬物は生長して往かない。上は上で高振って下を顧みず、下は下で上を上と思わず尽くす所が無い。君臣の道も、親子の道も無く、禽獣の住む所と変わらず、人間の国ではない。外卦は陽爻で内卦は陰爻である。これを一人の小人とすれば、内の心は柔弱で陰、外は無理に剛を偽って拵える。朝廷とすれば、内にばかり在って政務を執るのは小人、外に出て遠くの田舎にまで往くのは君子である。世の中が欲ばかり盛んになれば、道徳は廃れ、君子の正しい道は段々と消滅してくる。それを小人の道が長じて、君子の道が消するという。
[象傳]
天地陰陽の気が調和せず、萬物は害を受け、人間の身体も病弱になる。君子は我が身を全うすることを心掛け、なるべく徳を内に仕舞込んで用いない。徳を外に顕すと小人に憎まれて必ず害を受ける。官から禄を与えるといっても、出れば害に遭うから賢人は出てこない。そこで営するに禄をもってすべからず。後世の本には「栄」の字で書いてあるが、古い方の「営」が正しい。


《之卦:
艮爲山》
〔王弼、東涯の解釋〕
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


〔根本通明の解釋〕
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

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