6/22 (月) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 二爻

【運勢】

見える形で成果が出ないので、評価されず、辛い思いをする。

諦めずに続けていれば、最後には評価されるので、今は耐える時期である。

協力者は自ら探すのでは無く、自然と現れるのを待つと良い。

【原文】

《卦辭》

困は亨る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言有り。信ぜられず。彖に曰はく、困は剛揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚べば乃ち窮まるなり。

九五。劓られ、刖られ。赤紱に困しむ。乃ち徐にして說󠄁び有り。用て祭祀するに利ろし。

《爻辭》

九二、酒食(しゆしよく)に困(くるし)む。朱紱(しゅふつ)方(まさ)に來る。用ひて享祀(きやうし)するに利(よろ)し。征けば凶。咎めなし。

象に曰く、「酒食(しゆしよく)に困(くるし)む」とは、中、慶有るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

困は苦しむことである。

しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。

正しく生きるということは元々困難なものである。

それでも正しいことを続けていかなければならない。

徳のない人にはできないことである。

口だけ立派なことを言っているだけでは駄目である。

行動が伴わないと信用されない。

《爻辞》

二爻は才徳ある人だが、初爻と三爻の陰に挟まれて動けない。

☵水は北方であり、朱紱(しゅふつ)は南方のものである。

遠方から人が来る。

自分から行こうとしてはならない。

留まっていれば、最終的には五爻の君に登用されるという意外な慶事がある。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。

他方、下卦の坎は流れる水である。

つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。

す即ち水不足による困となる。

『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。

しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。

其れで大いに亨る所がある。

孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。

九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。

つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。

もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。

ここで君子は争わずに時を待たねばならない。

[彖伝]

「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。

「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。

「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。

それで言わない方が良いのである。

[象伝]

水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。

何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。

《爻辞》

九二は賢人である。

初六と六三の間で甚だ苦しめられ、酒も飲めず食も得られない。

食貧は『論語』にも『詩経』にもある。

「朱紱」は天子を指しており、紱は礼服の時に前方に垂れている朱で染めた服である。

天子は自ら賢人を招聘するため「方に来る」のである。

三顧の礼と同じである。

この時に九二の賢人は自分から君の方へ出向いてはいけない。

「征くは凶」である。

しかし咎が有るわけではない。

道徳を以て孚(まこと)を尽くす所なのである。

「享祀」は二・三・四爻が離の卦になっているから夏の象がある。

つまり夏の祀りである。

夏の祀りはお供え物を専らにするよりも、ただ孚を以て神を感じる所が主である。

[象伝]

酒食に困する中にして喜びがある。

やはり君子は小人を用いる時に当たっては窮している方が宜しい。

中庸の道を守っていれば、後には喜びが出てくる。

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