【運勢】
何かしらの貴重な機会を得るので、大切にすると良い。
自分を偽らずに過ごす事で、仲間と心を一つにする事が出来る。
賑やかである事は問題無いが、気を抜き過ぎると危険である。
【原文】
《卦辭》
萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。
彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。
「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰はく、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。
《爻辭》
六二。引いて吉。咎なし。孚(まこと)有れば乃(すなは)ち禴(やく)をもちうるによろし。
象に曰はく、「引いて吉。咎なし。」とは、中未だ變ぜざるなり。
【解釋】
〔王弼、伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
萃は集まることである。
物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。
その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。
假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。
「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。
内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。
祭祀は大切にすべきである。
古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。
《爻辭》
二爻は初爻三爻と共に五爻に従おうとしている。
中の徳が失われていないからである。
それは良いことで、王は祭祀に彼らを用いるの良い。
〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
萃の下に亨の字があるのは間違いである。
萃とは草がたくさん集まって茂っている様を言う。
地の上に沢があるので草木が密集して茂るのである。
王が宗廟を祭る時は全国から人々が集まり、特産品が集まってくるのである。
そして、豚羊牛で祭るのが良い。
そうすれば、人々の心は一つになり、何事を行うにも良い状況となる。
[彖傳]
萃は集まるの意󠄃味で、内卦は順、外卦は喜ぶ。
天下の人が天子の徳を慕って集まってくるので、天子は天下の様々なものを以て宗廟を祭る。
天命にしたがうというのは、☴巽の卦が内包されてゐるからで、天命とは風と關係があるのである。
天子の恩沢に人々は集まるのである。
[象傳]
人々が集まってきたなら、思わぬ争いごとが起こるかもしれない。
そこで油断はできず、兵器の手入れを怠ってはならぬということである。
《爻辭》
二爻は陰の位に陰でいるから正しい。
そして五爻の王の許に初爻、三爻を率いていく。
禴(やく)という夏の祭に登用すべきである。
何故なら夏はお供え物が腐りやすく、澤山は供えられない。
そんな時は、物ではなく、真心をもった二爻のような者󠄃を祭員として、神に誠をつくすのが良い。
[象傳]
他の者が四爻に気を取られていても、二爻だけは五爻の王だけを慕っている。
あくまで五爻に集まるのである。