【運勢】
志を同じくする仲間が協力してくれるので、物事は順調に進むだろう。
順調に進んでいる時ほど、段階を踏むという慎重さが大切になる。
信頼されて今の地位を得ているのだから、周りを疑う様な不義をしてはいけない。
【原文】
《卦辭》
豫は侯を建て師を行るによろし。
彖に曰はく、豫は剛應ぜられて、志行はる。順以て動くは豫。豫は順にして以て動く。故に天地も之の如し。而るを況んや侯を建て師を行るをや。天地順を以て動く。故に日月過(あやま)らずして、四時忒(たが)はず。聖人順を以て動く。則ち刑罰清くして民服す。豫の時義大なるかな。
象に曰はく、雷地を出でて、奮ふは豫。先王以て樂を作り、德を崇(たうと)び、之を上帝に殷薦して、以て祖󠄃考を配す。
《爻辭》
九四。由豫す。大いに得ること有り。疑ふこと勿(なか)れ。朋盍簪す。
象に曰はく、由豫す。大いに得ること有りとは、志大いに行はるゝなり。
【解釋】
〔王弼、伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
豫はあらかじめすることや、楽しいことを意味する。
四爻のみが陽爻で、その周りを陰爻が囲んで仲良くしている。
上卦は諸侯を表し、下卦は村を表すので、兵を率いる時である。
統率するには、下の者が楽しみ喜んで馳せ参じる状況でなければならない。
そして、順調に行動すれば、罰を与えることも少なくて、民はよく治まるのである。
〔王弼の爻辭〕
豫の時に居て、動きの始めに居る。
一つだけの陽爻である。
澤山の他の陰が従う。
ものが信でなければ疑いが生じる。
だから疑うことが無くなったら、朋が集まってくる。
〔伊藤東涯の爻辭〕
由豫は己によって豫であるということである。
友人が集まってくると解釋される。
豫にあって、一つの陽であり澤山の陰の主である。
だから、君の傍に居ても、陰陽相求め、其の志は上に行く。
陽剛の才で、中陰の王に仕え、衆を下に得る。
危うく疑われやすい地位である。
だが其の志は名誉や権利にない。
これは周󠄃公が民の流言を恐れた所以である。
至誠であれば最後は良くなる。
〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
豫は象の中の最も大きなものをいう。
豫は舒(ゆる)やかという意味の舒、叙、序と同じで、物を急がず順序を踐(ふ)んで往く。
そこで必ず成功することから、悦び楽しむという義がある。
一方で、豫(あらかじ)めという義があるのは、十年も後の事を考えて今日から行動して往き、早計であることによる。
上卦の雷が下卦の地の上に出た象で、萬物が盛んになっていく。
天下が治まり安楽になるには、侯を建てるのが良い。
[彖伝]
四爻目は剛で震の主爻であり、天子である。
また長子でもあり、大臣にもなる。
この四爻目の剛に天下悉く応じる。
震は行くの義で、豫は順を以て動くの義であるから、天道天理に順って動いて行き、必ず悦びを得る所となる。
日月の運行、春夏秋冬の巡りに間違う所は無い。
三・四・五爻目の坎は法律の義がある。
法は備わっているが、用いずに民は服す所となる。
国家安楽であり、学問道徳を正しくする所があるから、義は大いなるかな、と言う。
[象伝]
豫は萬物皆悦ぶという義である。
この象を用いて作ったのは音楽である。
歌は最も古く、道徳功労を詩にして、詩を謡って天に誥(つ)げる。
そうしてその人の徳は愈々高く尊くなるのである。
殷薦というのは、有るだけの音楽を悉く奏することである。
黄帝、堯、舜、夏、殷、周を六代の楽という。
上帝を本にして祖考を合わせて祭り、音楽を殷(さか)んに奏す。
《爻辞》
天下は悉く九四の大臣を用い、その徳に由(よ)って天下は安楽となる。
権力が甚だしければ、周公旦の様に流言の禍を受ける様にもなるが、この場合は天下の朋友が自然と九四の徳に集まってきたのだから、疑うことは無い。
「朋」の字は他の陰爻のことで、これが残らず九四の元に集まって来る。
「盍」の字は合うという字で、「戠」の字は集まると云う義である。
一本の簪(かんざし)が多くの髪の毛を括るように、九四は天下の人民を集める。
[象伝]
無し