【運勢】
一人一人の考えが大きく異なっていて、未だ協力する段階に無い。
この様な時は、無理に考えを押し付けるのでは無く、同じ考えを持つ者と協力する事が大切である。
その様な者とは感性も近いので、自然体で付き合う事が出来る。
【原文】
《卦辭》
睽は小事吉。
彖(たん)に曰はく、睽(けい)は火動いて上り、澤動いて下り、二女同居して、その志同じく行はれず。說󠄁(よろこ)びて明󠄃に麗(つ)き、柔進みて上行す。中を得て、剛に應ず。是を以て小事吉。天地睽(そむ)いてその事同じきなり。男女睽(そむ)いて其の志通ずるなり。萬物睽(そむ)いて其の事類するなり。睽(けい)の時用大なるかな。
象に曰はく、上火下澤は睽(けい)。君子以て同じくして異なり。
《爻辭》
九二。主に巷に遇󠄄ふ。咎无し。
象に曰はく、主に巷に遇󠄄ふとは、未だ道を失はざるなり。
【解釋】
〔王弼と東涯の解釋〕
《卦辞》
睽は背くの意󠄃である。
小さな事には吉である。
二爻と五爻が相性が良く(応じている)、下の☱沢が喜んで☲火につき従い、五爻が柔(陰)であり、二爻と応じてゐる。
よって大きなことには用いるべきでないが、小事には良い。
〔王弼の爻辭〕
睽に居て位を失う。
安住の地がない。
五爻もまた位を失う。
そこで一緒に行動しようとする。
門を出て考えが似ていて、期せずして遇う。
睽に居て助けを得る。
その位を失っても、まだ道を失っていない。
〔伊藤東涯の爻辭〕
巷とは道󠄃の狭く曲がりくねったところである。
期せずして人に遇う。
五爻と応じている。
通常であれば遇うべきものであるが、睽の時はなかなか遇えない。
二爻は澤の喜びに居て剛中している。
しかし小道で遇うことが出来るので問題ない。
人の性行はほとんど同じでない。
もしその能力の明暗強弱によらず、己の好むところに従って斟酌しないでいると、聖人でさえ人を教化できない。
だから或いは激して危うい。
或いは裁いて不正を抑制する。
君臣では剛柔趣が大きく異なる。
もし手っ取り早く簡単に事をなそうと思うなら、その言が良くても、容易には受け入れられないのである。
〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
睽は互いに相反して和せざる所の卦である。
『説文解字』には互いに反目する貌とある。
上爻の離の卦は目である。
下卦は兌の卦で癸(みずのと)で、この陰の卦が主となっている。
陰は小事の方が吉であって、大事は良くない。
[彖伝]
火の性は動けば上がり、水は動けば下方へ流れる。
また火は物を焼いて害し、水は物を潤して生じるから、その性質は反対である。
人でいえば、家族が別々になって相争う所の卦である。
兌の卦は少女で、巧言令色で旨く寵愛を得ており、内の方で権を握って居る。
少女を大切にして、年を取っている離の中女を遠ざけて居れば、互いに嫉妬心が起こり、火が熾(さかん)になるように互いに害しあう。
兌にも毀折の象がある。
しかし反目は何時までも続くのではなく、相和する所の象もある。
兌は說(よろこ)んで明らかなる方へ麗(つ)く。
五爻目が陰爻で、二爻目は剛で陽爻である。
君臣でいえば、君が弱く、臣が強いという卦である。
君を輔ける者が少ないから、大事を行うのはいけない。
小事が吉である。
しかし君臣は国家の為に為すべき所があり、天地は萬物を生じさせ、夫婦は一家を興す。
つまり半目し合っていても志は通じており、大いなる仕事を為す所がある。
[象伝]
上る方の火と、下る方の沢とで相背くが如くである。
しかし君の為に尽くそうという所は皆同じである。
人によって皆長じる所が異なっており、武をもって事(つか)える者がいれば、文をもってする者もいる。
君子は是を用いて事を為す。
《爻辞》
九二は臣、九五は君の間柄である。
朝廷で面会する計りでは、両者は親密にならない。
其処で君の方から九二の居る所へ御出でになり面会する。
これは九二が甚だ尊大な様であるが、時勢已むを得ざる所であり、別に咎は無い。
[象伝]
君の方から我が方へ来るといっても、未だ臣たる所の道を失うということでは無い。
国家の大事を謀るには、君臣の間は是位親しくするので無ければならない。