8/23 (日) ䷥ 火沢睽(かたくけい) 二爻

【運勢】

一人一人の考えが大きく異なっていて、未だ協力する段階に無い。

この様な時は、無理に考えを押し付けるのでは無く、同じ考えを持つ者と協力する事が大切である。

その様な者とは感性も近いので、自然体で付き合う事が出来る。

【原文】

《卦辭》

睽は小事吉。

彖(たん)に曰はく、睽(けい)は火動いて上り、澤動いて下り、二女同居して、その志同じく行はれず。說󠄁(よろこ)びて明󠄃に麗(つ)き、柔進みて上行す。中を得て、剛に應ず。是を以て小事吉。天地睽(そむ)いてその事同じきなり。男女睽(そむ)いて其の志通ずるなり。萬物睽(そむ)いて其の事類するなり。睽(けい)の時用大なるかな。

象に曰はく、上火下澤は睽(けい)。君子以て同じくして異なり。

《爻辭》

九二。主に巷に遇󠄄ふ。咎无し。

象に曰はく、主に巷に遇󠄄ふとは、未だ道を失はざるなり。

【解釋】

〔王弼と東涯の解釋〕

《卦辞》

睽は背くの意󠄃である。

小さな事には吉である。

二爻と五爻が相性が良く(応じている)、下の☱沢が喜んで☲火につき従い、五爻が柔(陰)であり、二爻と応じてゐる。

よって大きなことには用いるべきでないが、小事には良い。

〔王弼の爻辭〕

睽に居て位を失う。

安住の地がない。

五爻もまた位を失う。

そこで一緒に行動しようとする。

門を出て考えが似ていて、期せずして遇う。

睽に居て助けを得る。

その位を失っても、まだ道を失っていない。

〔伊藤東涯の爻辭〕

巷とは道󠄃の狭く曲がりくねったところである。

期せずして人に遇う。

五爻と応じている。

通常であれば遇うべきものであるが、睽の時はなかなか遇えない。

二爻は澤の喜びに居て剛中している。

しかし小道で遇うことが出来るので問題ない。

人の性行はほとんど同じでない。

もしその能力の明暗強弱によらず、己の好むところに従って斟酌しないでいると、聖人でさえ人を教化できない。

だから或いは激して危うい。

或いは裁いて不正を抑制する。

君臣では剛柔趣が大きく異なる。

もし手っ取り早く簡単に事をなそうと思うなら、その言が良くても、容易には受け入れられないのである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

睽は互いに相反して和せざる所の卦である。

『説文解字』には互いに反目する貌とある。

上爻の離の卦は目である。

下卦は兌の卦で癸(みずのと)で、この陰の卦が主となっている。

陰は小事の方が吉であって、大事は良くない。

[彖伝]

火の性は動けば上がり、水は動けば下方へ流れる。

また火は物を焼いて害し、水は物を潤して生じるから、その性質は反対である。

人でいえば、家族が別々になって相争う所の卦である。

兌の卦は少女で、巧言令色で旨く寵愛を得ており、内の方で権を握って居る。

少女を大切にして、年を取っている離の中女を遠ざけて居れば、互いに嫉妬心が起こり、火が熾(さかん)になるように互いに害しあう。

兌にも毀折の象がある。

しかし反目は何時までも続くのではなく、相和する所の象もある。

兌は說(よろこ)んで明らかなる方へ麗(つ)く。

五爻目が陰爻で、二爻目は剛で陽爻である。

君臣でいえば、君が弱く、臣が強いという卦である。

君を輔ける者が少ないから、大事を行うのはいけない。

小事が吉である。

しかし君臣は国家の為に為すべき所があり、天地は萬物を生じさせ、夫婦は一家を興す。

つまり半目し合っていても志は通じており、大いなる仕事を為す所がある。

[象伝]

上る方の火と、下る方の沢とで相背くが如くである。

しかし君の為に尽くそうという所は皆同じである。

人によって皆長じる所が異なっており、武をもって事(つか)える者がいれば、文をもってする者もいる。

君子は是を用いて事を為す。

《爻辞》

九二は臣、九五は君の間柄である。

朝廷で面会する計りでは、両者は親密にならない。

其処で君の方から九二の居る所へ御出でになり面会する。

これは九二が甚だ尊大な様であるが、時勢已むを得ざる所であり、別に咎は無い。

[象伝]

君の方から我が方へ来るといっても、未だ臣たる所の道を失うということでは無い。

国家の大事を謀るには、君臣の間は是位親しくするので無ければならない。

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