9/23(金) ䷞ 澤山咸(たくざんかん) 五爻二爻

9/23(金) 澤山咸(たくざんかん) 五爻二爻


【運勢】
鈍感であるが故に事なきを得る時。軽率な行動は慎むと良い。
公明正大な者に倣い、広い視野を持ち自然な感性を養うと良い。先入観を持たず、何事も素直に捉える事が大切である。
内実の伴う行動で誠意を示すと良い。


【結果】
䷞◎五⚪︎二
澤山咸(たくざんかん) 五爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利し。女を取る吉なり。
彖に曰く、咸は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨り、貞に利し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。


《爻辭》
[五爻 優先]
九五。其の脢に咸ず。悔なし。
象に曰く、其の脢に咸ずとは、志末きなり。
[二爻]
六二。その腓(こむら)に咸ず。凶。居れば吉。象に曰く、凶と雖(いえど)も居れば吉とは、順(したが)えば害あらざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
陰陽二気が揃ってはじめて萬物が化生する。天地万物の樣は感ずるところに現れる。同類でないものは心を通わせることが難󠄄しい。陰は陽に応じるものであるが、下でなければならない。下に在って初めて吉である。虚心になって人の意見を受け入れれば、物は感応する。


《爻辭》
[五爻 優先]
脢は、心の上にして、口の下なり。進みて大いに感ずること能はず、退くもまた志なきを爲さず。其の志淺末なり。故に悔なきのみ。
[二爻]
咸の道、轉り進み、拇を離れ腓に升る。腓の體は動き躁ぐ者なり。物に感じて以て躁ぐは、凶の道なり。躁ぐに由るが故に凶、居れば則ち吉なり。處るに剛に乘らず。故に以て居りて吉を獲るべし。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
咸は感じることである。反転すると
雷風恒になる。恒の初爻がこの咸の上爻になったのである。恒の四爻が下って咸の三爻になったのである。つまり、柔が昇って剛が下りている。陰陽二気が通じ合っているのである。内卦は止まり、外卦は喜ぶ意󠄃である。艮の少男を兌の少女に下す。皆和順している。物事がうまく行き、正しくしていれば害はない。人が交わる時は、互いが得るものがないと心が通じ合わない。妄動して心の通わせあいが正しくないと、良くない。

《爻辭》
[五爻 優先][二爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
是は下経の始まりである。上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。兌は少女、艮は小男である。上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。
[彖傳]
咸は無心で咸じる所を尊ぶ。情欲の私があってはいけない。天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。
[象傳]
山上に水気が上っているのが咸の卦である。山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。我が満ちていてはいけない。
《爻辭》
[五爻 優先][二爻]

9/22(木) ䷻ 水澤節󠄄(すいたくせつ) 上爻二爻

9/22(木) 水澤節󠄄(すいたくせつ) 上爻二爻


【運勢】
無理をして行き詰まる時。上手く行かないが後悔はない。
己の望まぬ道を進めば、上手く行ったとしても、選択を思い煩う事になる。
完璧に拘ってはいけない。困難な時こそ視野を広く、冷静さを保つ事が大切である。


【結果】
䷻◎上⚪︎二
水澤節󠄄(すいたくせつ) 上爻二爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
節󠄄は亨(とほ)る。苦節貞(てい)すべからず。
彖に曰く、節󠄄は亨(とほ)る。剛柔(ごうじゅう)分かれて、剛中を得る。「苦節は貞すべからず」とは、その道窮(きは)まるなり。よろこびて以て險(けん)を行き、位にあたりて以て節󠄄(せつ)す。中正にして以て通ず。天地節󠄄して四時成り、節󠄄して以て度を制すれば財を傷(そこな)はず、民を害せず。
象に曰く、澤上に水あるは節󠄄。君子以て數度(すうど)を制し、德行を議(ぎ)す。


《爻辭》
[上爻 優先]
上六。苦節す。貞なれば凶。悔い滅ぶ。
象に曰く、苦節、貞なれば凶とは、その道窮まるなり。
[二爻]
九二。門庭出でざれば、凶。
象に曰く、門庭を出でざれば凶とは、時を失ひて極るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
坎は陽で兌は陰である。陽が上で陰が下である。剛柔が分かれている。剛柔が分かれて乱れない。剛が中を得て制となる。主節󠄄の義である。節󠄄で最大は剛柔が分かれている時である。節󠄄で苦を過ぎれば堪えられない。それでは正に復せない。喜んで險を冒さず、中を過ぎて節󠄄となれば道󠄃が窮まる。


《爻辭》
[上爻 優先]
上爻は苦節が行き過ぎている。苦節に固執してはいけない。しかし、極限まで行ったので、この苦節に堪えたなら道が開けるだろう。
[二爻]
初爻は已に之を造り、二爻に至りて宜しく其の制を宣ぶるべし。而るに故らに之を匿す。時を失うことの極なれば、則ち遂に廃す。故に「門庭を出でざれば則ち凶」である。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
節󠄄は分かれて度がある。竹の節のことである。陰陽が均等である。二爻と五爻が剛中である。節󠄄があれば通り、及ばないという弊害がない。上爻は陰柔で正を得て窮まれば、節󠄄を過ぎて窮まる。君子の道は中に適うを貴しとする。人は剛で折れず、柔で撓まなければよろしい。又偏ることがない。うまく行く。及ばないことを恐れるのでなく、行き過ぎることに注意すべきである。


《爻辭》
[上爻 優先]
[二爻]
門庭は、門内の庭である。中門の外に在る。周禮、閽人門庭の埽を掌る。鄭氏は「門相当の地。疏という。中門外の地。之を門庭という」といっている。この爻は節にあり、陽を以て陰に居る。上に正応するものない。乗戻の質に懐いて、一節に固執する。退くこと知って、進むことを知らないものである。故に「門庭出でざれば、凶。」という。才能が有って、良い機会が遭う。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
節は竹の節に由来する。中が空洞で通っているが、所々に節があり止まって堅く動かない。上卦は坎で水が流れて通じるが、下卦は兌で水が止まり、節の象がある。総ての事は竹の節の様に分限がある。天地の間にも、君と臣の間にも、一家の中にも各々身分に応じて為す所がある。しかし己の分を守るということも、度を越せば苦節となる。孟子に陳仲子という人物がおり、節義を守ることを徹底する余り、無道の君から受ける禄を穢れると言って嫌悪する。しかしそれでは生きていくことは出来ない。我が身を苦しめ無理をしてまで節を守ろうとしてはいけない。
[彖傳]
下卦が陰=柔で、上卦が陽=剛である。上卦の主爻は五爻目で、下卦の主爻は三爻目である。剛と柔が上下に分かれ、陽爻は皆中を得ている。「苦節不可貞」は行う所の道が窮して行えなくなることである。陳仲子の様に窮することになる。
[象傳]
沢の上に水が流れる。沢は四方に堤防があって水を溜めている。これが節である。程好い所に止まっている。君子は節に則って政を行う。
《爻辭》
[上爻 優先][二爻]

9/21(水) ䷩ 風雷益(ふうらいえき) 上爻

9/21(水) 風雷益(ふうらいえき) 上爻


【運勢】
益の極。私欲にまみれ、公に尽くす気持ちを失ってしまう時。
周りから信頼されず、物事は次第に上手く行かなくなるだろう。
献身的な行動が周りを感化する。
相手に寄り添い、誠意を持って正しさを守る事が大切である。


【結果】
䷩◎
風雷益(ふうらいえき) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
益(えき)は、往く攸(ところ)有るに利し。大川を涉るに利し。
彖に曰く、益は上を損して下を益す。民說󠄁(よろこ)ぶこと疆(かぎ)りなし、上より下に下る。其道󠄃大に光なり。往く攸(ところ)有るに利(よ)しとは、中正(ちうせい)にして慶(けい)有り。大川を涉るに利しとは、木道(もくどう)乃ち行く。益は動いてしかして巽(したが)ふ、日に進むこと疆(かぎ)りなし。天施し地生(しょう)ず。其益方(かた)なし。凡そ益の道󠄃は、時と偕(とも)に行ふ。
象に曰く、風雷は益。君子以て善を見れば則ち遷(うつ)り、過(あやまち)有れば則ち改む。


《爻辭》
上九。之を益すことなく、或いは之を撃つ。心を立つること恆勿し。凶。
象に曰く、之を益すことなしとは、偏の辭なり。或いは之を撃つとは、外自り來るなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
益は増すこと、増やすことである。
否の上卦の四爻が陽から陰となり、下爻の初爻が陰から陽になっているので、上が損をして下が得をした象である。上の者が損をして、下の者󠄃を助けることはとても良いことで、また二爻が陰、五爻が陽で、中正であるので、大事業をするのに好機である。上の者が動けば(震)、下の者が従う(巽)象である。


《爻辭》
益の極に處り、盈に過ぎる者なり。益を求めて己なく、心恆なき者なり。厭ふなくして之求むれば、人與せざるなり。獨り唱へて和するなし。是れ偏の辭なり。人の道は盈つるを惡み、怨む者は一に非ず。故に或いは之を撃つと曰ふなり。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
この卦は、前の卦の山沢損と反対である。山沢損は地天泰より来た。そして地天泰は天地否から来た。天地否は、上卦は乾、下卦は坤である。坤は空しさの象で、人民の困窮する卦である。そこで九四の陽爻が下りて、初六の陰爻が上る。これで風雷益の卦になる。これが下を益するという義である。上卦の震は、農業の卦である。人民を富ますのは農業であり、これは何処までも推奨される。それで「利有攸往」である。こうして人民が富んでいれば、如何なる大難が起こっても踏み越えて往く所となる。よって「利渉大川」である。
[彖傳]
「損上益下」とは、天地否の九四の陽爻を一つ損(へ)らして、代わりに初六の陰爻を益すことである。そこで民が説(よろこ)ぶ。陽が段々進んで往けば兌の卦になる。農事が盛んになればなるほど、人民は利益を得る。天の気が地の底に下って万物が生じる。出で来たものは大きくなって花が咲き草木に光を生じる。よって「其道光大」となる。「中正にして慶(よろこ)び有り」とは、中正(二爻が陰、五爻が陽で、爻が定位通りであること)の五爻目の天子に、同じく中正の二爻目が応じることである。いわば名君と忠臣が相助けて人民を生育する所に、慶びが出で来る。「木道乃行」とは、震と巽に対応する五行が双方とも木であり、万物が盛んになることである。
[象傳]
上卦が巽=風で、下卦は震=雷である。雷が起こると、風はこれを助ける。また巽は外卦であり、修飾して能(よ)く齊(ととの)えるという所がある。つまり外の人が行いを修めて行く所を見れば、周囲の者も自ずから其の方へ従って遷って往く。そして過ちがあれば速やかに改める。震には過ぎるという象があり、もし往き過ぎれば、物を害してしまう。雷山小過は霆(激しい雷)である。雷は下から上に昇るが、霆は上から打ってくる。これは往き過ぎである。善い事も過ぎると害を為すから、これを改めなければいけない。
《爻辭》

9/20(火) ䷼ 風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 四爻

9/20(火) 風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 四爻


【運勢】
間も無く時が満ちる。内実の伴う行動で誠意を示すと良い。
相手を思いやる事が大切である。
清き明き誠の心を持ち、地道に信頼を得ると良い。
世の流れを機敏に感じ取り、先を見据えた考えを持つ事が大切である。


【結果】
䷼◎
風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 四爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[四爻]


【原文】
《卦辭》
中孚は豚魚吉。大川を渉るに利し。貞に利し。
彖に曰く、中孚は柔、内に在りて、剛、中を得る。說󠄁(よろこ)びて巽(したが)ふ。豚魚吉とは、信豚魚に及󠄃ぶなり。大川を渉るに利しとは、木に乘りて舟虚なるなり。中孚以て貞に利し。乃ち天に應ずるなり。
象に曰く、澤上に風有るは中孚。君子以て獄を議し、死を緩(ゆる)す。


《爻辭》
六四。月望に幾(ちか)し。馬匹亡ぶ。咎なし。
象に曰く、馬匹亡ぶとは、類を絕ちて上るなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
上四に徳があって初めて誠となる。信立ちて初めて国が治まる。柔が内に在り、剛が中を得ている。剛が中を得れば正直、柔が内に在れば、静順である。喜んで従う。競い合わない。魚は虫の潜り隠れるものである。豚は獣の卑しく弱いものである。競い合う道󠄃はない。中信の徳があつければ、どんなに弱い者󠄃でも信用に足る。木を船の空洞に用いればついに溺れない。


《爻辭》
中孚の時に居り、巽の始めに處り、説の初に應ず。正に居りて順を履み、以て五を承く。内には元首を毘け、外には德化を宣ぶる者なり。陰德の盛に充つ。故に月望に幾しと曰ふ。馬匹亡ぶとは、羣類を棄つるなり。若し夫れ盛德の位に居りて、物と其れ競爭を校れば、則ち其の盛なる所以を失ふ。故に類を絶ちて上ると曰ふ。正を履みて尊を承け、三と爭はず。乃ち咎なきを得るなり。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
孚は信である。豚魚は江豚である。大きな澤に住み、風が起これば必ず出現する。二陰が四陽の中にある。二爻と五爻は共に剛中の徳があり、心が誠実である。だから中孚というのである。己に信があれば物は必ず感じる。木が澤の上に在る。真ん中が空洞の舟であり、櫂もある。大難を過ごして、誠を守る。誠があれば物は何でも動かせる。まだ誠がない場合は物を動かせない。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
心中に存する孚に感応して動く所が中孚である。我が孚が豚魚の様であれば吉である。豚魚は豕に似た魚の事である。平生は水の上に出ないが、風が出て来る時には必ず水面に出て来る。船に乗り魚を獲る者は、風信と名付け、風を人に示す所に間違いが無いと信じる。この豚魚を信じるが如く、孚があれば人の信用を得られ、危険を踏み越えて往くことが出来る。孚は正しい所を以てするので無ければいけない。
[彖傳]
内側の六三六四は柔で、九二九五の剛は中を得て居り、中庸を得て居る。下卦の兌は說びがあり人を愛し、上卦の巽は行いが謙遜で傲らない。其所で天下の人々は我が孚の精神に感じて、悪い者も自然と善き方へ化して来る。我が方の孚を人が信用する所は、豚魚に能く及んで居る。
[象傳]
この卦を大きく見て、初二爻を一つの陽爻、三四爻を一つの陰爻、五上爻を一つの陽爻とすれば、離の卦と解釈できる。離は明らかさの象があり、白と黒を判けるが如く、罪人の善悪を能く明らかにする。互體(ニ三四爻)は震の卦で、雷の如く決する所がある。また春の象があり、萬物を生育する如く恩恵が深く、処分を緩める所がある。
《爻辭》

9/19(月) ䷆ 地水師(ちすゐし) 四爻初爻

9/19(月) 地水師(ちすゐし) 四爻初爻


【運勢】
堅実に物事を進めるのに良い時。
困難な時は闇雲に進むのではなく、素直に退く事も大切である。
志操堅固な者が必要とされる。
気を引き締め過ごすと良い。
初志貫徹。一度決めたら最後までやり遂げる事が大切である。


【結果】
䷆◎四⚪︎初
地水師(ちすゐし) 四爻初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[四爻 優先][初爻]


【原文】
《卦辭》
師は貞なり。丈人なれば咎なし。
彖に曰く、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。
象に曰く、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


《爻辭》
[四爻 優先]
六四。師左次(さじ)す、咎なし。
象に曰く、左次す、咎なしとは、未だ常を失わざるなり。
[初爻]
初六。師出づるに律を以てす。否なれば臧きも凶。
象に曰く、師出づるに律を以てす、律を失へば凶なり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。


《爻辭》
[四爻 優先]
位を得れども應ずることなく、應ずることなければ以て行くべからず。位を得れば則ち以て處るべし。故に之を左次す咎なきなり。師の法を行ふや、右に背ろ高からんと欲す。故に之を左次す。
[初爻]
師の始め爲り。師を齊ふる者なり。衆を齊ふるに律を以てす。律を失へば則ち散る。故に師出づるに律を以てす。律、失ふべからず。律を失ひて臧ければ、何ぞ否に異ならん。令を失ひて功有るは、法の赦さざる所なり。故に師出づるに律を以てせざれば。臧からずして皆凶。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。


《爻辭》
[四爻 優先][初爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖傳]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象傳]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。
《爻辭》
[四爻 優先][初爻]

9/18(日) ䷀ 乾爲天(けんゐてん) 五爻

9/18(日) 乾爲天(けんゐてん) 五爻


【運勢】
大事を行うのに良い時。
失敗を恐れず、志を同じくする仲間と協力し、好機を最大限に活かすと良い。
極端な選択は後悔の元となる。
白黒付けるのではなく、周りの意見に耳を傾け、柔軟に答えを導き出す事が大切である。


【結果】
䷀◎
乾爲天(けんゐてん) 五爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[五爻]


【原文】
《卦辭》
乾は元いに亨る、貞に利し。
彖に曰く、大なるかな乾の元は、萬物資りて始まる、乃ち天を統ぶ。雲行き雨施し、品物形を流く。大いに終始を明らかにし、六位時に成る。時に六龍に乗じて以て天を御す。乾道變化して、各おの性命を正し、大和を保合して、乃ち貞に利ろし。庶物に首出して、咸(あまね)く寧(やす)し。
象に曰く、天行は健なり。君子以て自ら彊めて息まず。


《爻辭》
九五。飛龍天に在り。大人を見るに利し。
九五に曰く、飛龍天に在り、大人を見るに利しとは、何の謂ぞかり。子曰く、同聲相應じ、同氣相求む。水は濕に流れ、火は燥に就く。雲は龍に從ひ、風は虎に從ふ。聖人作りて萬物覩る。天に本づく者は上に親しみ、地に本づく者は下に親しむ。則ち各其の類に從へばなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
《爻辭》
行かず躍らずして天に在り。飛ぶに非ざれば如何。故に飛龍と曰ふなり。龍德天に在れば、則ち大人の路亨るなり。夫れ位は德を以て興り、德は位を以て敍す。至德を以てして盛位に處り、萬物これ覩るなり。亦た宜しからずや。

〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
代義易を作られた其初めは元三畫の卦乃ち乾坤震巽坎離艮兌の八卦之を小成の卦と云ふ。其小成の卦を二つ重ねた所で六畫になる之を大成の卦と云ふ、乃ち此乾の卦は以下六十四卦皆伏義之を名けたる所の大成の卦である。乾此卦が天である。設卦に乾天爲りとある、天は元亨利貞の四徳を以て萬物を生じ之れを養ふて之を成す、成して復始むる。天の徳と云ふ者は宏大なるものである。其宏大なる徳と指すものは何であるとなれば萬物を生ずる所、是れが天の徳である。生じた上には其物を成す、萬物此天の氣に因て始まって來る其れより段々萬物が出る。始まつて出る所が元である。元は始と云ふ字で物の始まる所を元と云ふ。又此元の字が大ひなると訓む。此天の元氣と云ふ物は世界中一杯に周つて居るから是れ程大ひなるものが無い。又萬物此元の氣を禀けて始まつて是も大なるに至る。暢ひて段々大きくなる。其れが爲めに此元の字が始まりとも訓み、大なるとも訓み、又首とも訓む。凡そ世の中に此天の元の徳より尊きものが無い。萬物の首らになつて居るから又首と云ふ義もある。其元を禀けて生じた萬物が段々と暢びる。暢びる丈暢びて、往くべき所迄往きて、達する所があるから之を享と云ふ。享は暢びて通ずるの義がある。利と云ふが宜しきを得るを利と云ふ。宜しきを得るとなれば、萬物暢びて宜しきを得る。中にも長短がある。長くなつて宜しきものは長くなり、短ふして其れ丈けで宜しきものは短かき所に止まる、細き物もあり太き物もあり、細くなるべき物は細くなつて宜しきを得る、太くなるべきものは太くなつて宜しきを得る、此は皆利である。又貞と云ふ事は總て萬物なる者は其物丈けに確りと出来るが正しいのである。正しく出来た上には固まつて動か無い、此れが貞。貞は正しうして固しとふ義である。其所で元は春になる。春は出づると云ふ義である、春者出也と云ふて動いて出づると云ふ義である。其所で萬物、春で始まつて出て往つて其れから暢びる。亨は夏になる、夏に至つて萬物十分に暢びて大きくなる。此夏と云ふ字が夏者假也で大ひなると云ふ字である。秋と云ふ字が秋者收也就也で暢びた萬物が陰氣を以て之を引斂めて來るが收むるである。引斂むる所で物就つて宜しきを得る。利は秋。貞は冬者藏也。冬になれば、先づ其性の儘に凝つて固まる、固まつて翌年、相續して發生する迄之を蓄藏する。五毅の類が米でも豆でも皆出來て、味ひの甘い物は甘く出來、辛く出來るべき物は辛く出來る、苦く出來るべき物は苦く出來る、又酸く出來る物は酸つばい。是れが皆正しい。甘く出來る物が辛くなつては是れは正しく無い。又甘いでも酸つぱいでも無い様な物でも可けない。總て天地の間に生ずる物は皆五味の性を含んで居る。五味と云へば酸い所、苦い所、甘い所、辛い所、䶢い所、其れを皆蓄へて居る。是れは皆陰陽五行の氣を受けて居るものであるから必ず此五つの味がある。其の五つの味は、物に依て萬物に至る迄、各々其性分が異つて居る。其性分丈けの所確かりと其通に成れば、正しい其儘に凝つて固まるが貞である。
《爻辭》

9/17(土) ䷋ 天地否(てんちひ)→䷳ 艮爲山(ごんゐさん)

9/17(土) 天地否(てんちひ)→ 艮爲山(ごんゐさん)


【運勢】
結果が伴わず、物事に本気で向き合うのが難しい時。
心にゆとりを持ち、控えめに過ごすと良い。
目標を明確にし、堅実に努力を続ける事が大切である。失敗を最小限に抑え、成功を確実なものにすると良い。


【結果】

本卦:天地否(てんちひ)
之卦:艮爲山(ごんゐさん)
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 老陽][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻][四爻][三爻]


【原文】
《本卦:
天地否》
否は之(こ)れ人に匪ず。君子の貞に利しからず。大は往き、小は來る。
彖に曰く、「否は之れ人に匪ず。大は往き小は來る」とは、則ち是れ天地交はらずして、萬物通ぜざるなり。上下交はらずして天下邦无(な)きなり。内、陰にして外、陽。内、柔にして外剛。内小人にして外君子なり。小人は道󠄃長じ、君子は道󠄃消ゆるなり。
象に曰く、天地交はらざるは否。君子以て德を儉し難を避け、榮するに禄を以てすべからず。


《之卦:
艮爲山》
その背に艮(とどま)り、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。
彖に曰く、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。
象に曰く、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


【解釋】
《本卦:
天地否》
〔王弼の解釋〕
否者、閉塞なり。此卦、内坤にして外乾。卦變は泰にして興り相錯る。泰の三陽往きて外に居る、三陰來て内に居る。此の天氣は上騰して地氣は下降す。陰陽隔絶す。相交わりて通らざるの象有り。故に卦の名否に曰く、天地交わらず。則ち萬物成らず、萬物の生は人の大爲なし。故に辭系、人に匪ずと云ふ。上下否隔す、國その國非ず、君子、道を行ふ時に非ず。


〔東涯の解釋〕
否は塞がる、匪人は悪人の意󠄃味である。天地が通じず、上下の意思が通わない様を表す。世の中が乱れる時である。君子が正しくしていても、臣下や国民には伝わらない。悪人が栄え、有徳者は德を隠す。このような時には、徳のある者は徳を隠し、控えめにするのが良い。


〔根本通明の解釋〕
否は塞がるの義である。天地陰陽の気が塞がっている。これは地天泰と反対である。こうした隔絶をつくったのは匪人である。匪人は人間でなく、悪の最も大なるものである。君子が正しい政治を行っても災を受け、小人が権力を握る。このような状態では咎を無くし、誉も出ないように謹慎しなければ危うい。大往小来は、陽が外の方へ往ってしまい、陰ばかりが内側に来ることである。
[彖傳]
天の気が上にあり下に降ってこない。地の気は下に滞って上に騰がっていかない。天地の気が交わらなければ、萬物は生長して往かない。上は上で高振って下を顧みず、下は下で上を上と思わず尽くす所が無い。君臣の道も、親子の道も無く、禽獣の住む所と変わらず、人間の国ではない。外卦は陽爻で内卦は陰爻である。これを一人の小人とすれば、内の心は柔弱で陰、外は無理に剛を偽って拵える。朝廷とすれば、内にばかり在って政務を執るのは小人、外に出て遠くの田舎にまで往くのは君子である。世の中が欲ばかり盛んになれば、道徳は廃れ、君子の正しい道は段々と消滅してくる。それを小人の道が長じて、君子の道が消するという。
[象傳]
天地陰陽の気が調和せず、萬物は害を受け、人間の身体も病弱になる。君子は我が身を全うすることを心掛け、なるべく徳を内に仕舞込んで用いない。徳を外に顕すと小人に憎まれて必ず害を受ける。官から禄を与えるといっても、出れば害に遭うから賢人は出てこない。そこで営するに禄をもってすべからず。後世の本には「栄」の字で書いてあるが、古い方の「営」が正しい。


《之卦:
艮爲山》
〔王弼、東涯の解釋〕
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


〔根本通明の解釋〕
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

9/16(金) ䷉ 天澤履(てんたくり) 二爻

9/16(金) 天澤履(てんたくり) 二爻


【運勢】‬
相手を敬い尊重し、慎ましく過ごすのに良い時。平静を保つと良い。
安請け合いしてはいけない。
実力が伴わないと、相手からの信頼を失い事態を悪化させてしまう。
俗欲に惑わされる事なく、誠実に生きる事が大切である。


【結果】
䷉◎
天澤履(てんたくり) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。
彖に曰く、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。
象に曰く、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
九二。履の道󠄃坦坦たり。幽人貞なれば吉。
象に曰く、幽人貞なれば吉とは、自ら亂れざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


《爻辭》
[王弼]
履の道謙を尚び、盈つるに處るを喜ばず。務めて致誠に在り、夫の外に飾る者を惡むなり。而して二、陽を以て陰に處り、謙なるを履むなり。内に居りて中を履み、隱顯同じきなり。履道の美、斯に於いて盛をなす。故に道を履むこと坦坦たり。險厄なきなり。在りて幽に貞なり。宜しく其れ吉なるべきなり。
[東涯]
坦坦とは道が平󠄃らなことである。剛中で下に在る。上に応じるものがないが、履み行う所󠄃は道が平坦である。用いられても陥れられても心が乱れることはない。正しくしていれば良い。利害の絡む場合、どうしても予期せぬ事態に巻き込まれてしまう。一方で利害の外に超然としていれば、道は平坦である。天下が乱れている時は、隠れて正しさを守るのが吉である。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖傳]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象傳]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。
《爻辭》

9/15(木) ䷼ 風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 変爻無し

9/15(木) 風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 変爻無し


【運勢】
直く正しく誠の心を持ち、内実の伴う行動で誠意を示すのに良い時。
地道に得た信頼は、才ある者の勢いよりも遥かに堅固で素晴らしい。
世の中の流れを機敏に感じ取り、先を見据えた考えを持つ事が大切である。


【結果】

風澤中孚(ふうたくちゅうふ) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
中孚は豚魚吉。大川を渉るに利し。貞に利し。
彖に曰く、中孚は柔、内に在りて、剛、中を得る。說󠄁(よろこ)びて巽(したが)ふ。豚魚吉とは、信豚魚に及󠄃ぶなり。大川を渉るに利しとは、木に乘りて舟虚なるなり。中孚以て貞に利し。乃ち天に應ずるなり。
象に曰く、澤上に風有るは中孚。君子以て獄を議し、死を緩(ゆる)す。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
上四に徳があって初めて誠となる。信立ちて初めて国が治まる。柔が内に在り、剛が中を得ている。剛が中を得れば正直、柔が内に在れば、静順である。喜んで従う。競い合わない。魚は虫の潜り隠れるものである。豚は獣の卑しく弱いものである。競い合う道󠄃はない。中信の徳があつければ、どんなに弱い者󠄃でも信用に足る。木を船の空洞に用いればついに溺れない。


〔東涯の解釋〕
孚は信である。豚魚は江豚である。大きな澤に住み、風が起これば必ず出現する。二陰が四陽の中にある。二爻と五爻は共に剛中の徳があり、心が誠実である。だから中孚というのである。己に信があれば物は必ず感じる。木が澤の上に在る。真ん中が空洞の舟であり、櫂もある。大難を過ごして、誠を守る。誠があれば物は何でも動かせる。まだ誠がない場合は物を動かせない。


〔根本通明の解釋〕
心中に存する孚に感応して動く所が中孚である。我が孚が豚魚の様であれば吉である。豚魚は豕に似た魚の事である。平生は水の上に出ないが、風が出て来る時には必ず水面に出て来る。船に乗り魚を獲る者は、風信と名付け、風を人に示す所に間違いが無いと信じる。この豚魚を信じるが如く、孚があれば人の信用を得られ、危険を踏み越えて往くことが出来る。孚は正しい所を以てするので無ければいけない。
[彖傳]
内側の六三六四は柔で、九二九五の剛は中を得て居り、中庸を得て居る。下卦の兌は說びがあり人を愛し、上卦の巽は行いが謙遜で傲らない。其所で天下の人々は我が孚の精神に感じて、悪い者も自然と善き方へ化して来る。我が方の孚を人が信用する所は、豚魚に能く及んで居る。
[象傳]
この卦を大きく見て、初二爻を一つの陽爻、三四爻を一つの陰爻、五上爻を一つの陽爻とすれば、離の卦と解釈できる。離は明らかさの象があり、白と黒を判けるが如く、罪人の善悪を能く明らかにする。互體(ニ三四爻)は震の卦で、雷の如く決する所がある。また春の象があり、萬物を生育する如く恩恵が深く、処分を緩める所がある。

9/14(水) ䷆ 地水師(ちすゐし) 初爻

9/14(水) 地水師(ちすゐし) 初爻


【運勢】
結果が求められる時。
皆を正しい道へ導く志操堅固な者が必要とされる。
何事も最初が肝心である。
気を引き締め目標を明確にし、迅速に行動する事が大切である。
初志貫徹。一度決めたら最後までやり遂げる事が大切である。


【結果】
䷆◎
地水師(ちすゐし) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
師は貞なり。丈人なれば咎なし。
彖に曰く、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。
象に曰く、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


《爻辭》
初六。師出づるに律を以てす。否なれば臧きも凶。
象に曰く、師出づるに律を以てす、律を失へば凶なり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。


《爻辭》
師の始め爲り。師を齊ふる者なり。衆を齊ふるに律を以てす。律を失へば則ち散る。故に師出づるに律を以てす。律、失ふべからず。律を失ひて臧ければ、何ぞ否に異ならん。令を失ひて功有るは、法の赦さざる所なり。故に師出づるに律を以てせざれば。臧からずして皆凶。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。
《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖傳]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象傳]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。
《爻辭》