11/18(木) ䷜ 坎爲水(かんゐすい) 二爻

11/18(木) 坎爲水(かんゐすい) 二爻


【運勢】
一度決意を固めたなら、伴う責任を鑑みて軽はずみな言動は避けなければならない。
失敗は成功のもと、何事も目標に向かって挑戦を続ける事が大切である。
順調でない時は、周りの意見に耳を傾け、広い視野を持つと良い。


【結果】
䷜◎
坎爲水(かんゐすい) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
習坎は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とほ)る。行いて尚ふること有り。彖に曰く、習󠄃坎は重險(じゅうけん)なり。水流れて盈(み)たず。險(けん)を行いて其の信を失はず。維(こ)れ心亨るとは、乃ち剛中を以てなり。行いて尚ふること有りとは、往いて功有るなり。天の儉(けん)は升(のぼ)るべからざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公、險を設けて以て其の國を守る。險の時と用と大なるかな。象に曰く、水洊(しきり)に至るは、習󠄃坎。君子以て德行を常にして敎事を習󠄃ふ。


《爻辭》
九二。坎に險に有り。求めて小(すこ)しく得(う)。
象に曰はく、求めて小しく得とは、未だ中を出でざるなり。

【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
坎(水)は險難の卦である。それが二つも重なっているので、道を見失ったような状況である。この状況を脱するには、心に実(じつ)がなければならない。どんな辛い状況でも誠を貫き通せば、最終的には安楽の境地に達し、人に尊ばれることになる。


《爻辭》
[王弼]
履むに其の位を失う。なので坎という。上に応じて助け合う関係にない。故に「險有り」という。坎であって困難である。未だ困難の中を出ることができない。中にいて初爻、三爻と相得ている。なので求めて小しく得ることができる。初爻、三爻は未だ大いに助けてくれるわけではない。故に「求めて小しく得」という。
[東涯]
この爻は坎にあって、坎に陥っていて、二陰の中にいる。故に「險有り。」という。険の地のところに至る。未だ困難から抜け出すことできない。しかし、其の才は剛中である。苟も求める所があるのならば、小しく得ることができる。まさに険難の地にいて、剛中の才があると雖も、未だ平穏にはならない。則ち未だ功有らざるなり。唯君子は戒慎の心あれば、時が至らないことはない。ゆえにその事を全うする。

11/17(水) ䷜ 坎爲水(かんゐすい) 変爻無し

11/17(水) 坎爲水(かんゐすい) 変爻無し


【運勢】
どんなに辛い状況であっても、自らの芯を曲げない事が大切である。
順調でない時は、周りの意見に耳を傾け、広い視野を持つと良い。
立ち止まらずに自ら道を切り拓く、思い切りの良さが成功の秘訣である。


【結果】

坎爲水(かんゐすい) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
習坎は、孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とほ)る。行いて尚ふること有り。
彖に曰く、習󠄃坎は重險(じゅうけん)なり。水流れて盈(み)たず。險(けん)を行いて其の信を失はず。維(こ)れ心亨るとは、乃ち剛中を以てなり。行いて尚ふること有りとは、往いて功有るなり。天の儉(けん)は升(のぼ)るべからざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公、險を設けて以て其の國を守る。險の時と用と大なるかな。
象に曰く、水洊(しきり)に至るは、習󠄃坎。君子以て德行を常にして敎事を習󠄃ふ。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
坎(水)は險難の卦である。それが二つも重なっているので、道を見失ったような状況である。この状況を脱するには、心に実(じつ)がなければならない。どんな辛い状況でも誠を貫き通せば、最終的には安楽の境地に達し、人に尊ばれることになる。

11/16(火) ䷐ 澤雷隨(たくらいずゐ)→䷧ 雷水解(らいすいかい)


11/16(火)
澤雷隨(たくらいずゐ)→ 雷水解(らいすいかい)


【運勢】
盲目的でないか、考えが偏っていないか、冷静に自らを客観視すると良い。
ただ立ち止まり悩むのでは無く、先ずは力強く行動する事が大切である。
言行一致を心がければ、何事も上手く行くだろう。


【結果】

本卦:澤雷隨(たくらいずゐ)
之卦:雷水解(らいすいかい)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 老陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[五爻][二爻][初爻]


【原文】
《本卦:
澤雷隨》
隨(ずゐ)は元(おほ)いに亨(とほ)る。
貞(てい)によろし。咎めなし。彖(たん)に曰(い)はく、隨は剛に來たりて柔に下る。動いて說󠄁(よろこ)ぶは隨(ずゐ)。元(おほ)いに亨(とほ)り、貞。咎めなし。しかして天下時に隨(したが)ふ。時に隨(したが)ふの義、大なるかな。象に曰はく、澤中に雷あるは隨。君子以て晦(みそか)に嚮(むか)ひて入りて宴息(えんそく)す。


《之卦:
雷水解》
解は西南によろし。往くところなし。それ來たり復すれば吉。往くところあれば、夙(つと)にして吉。彖(たん)に曰(い)はく、解は險(けん)以て動く。動いて險より免(まぬが)るるは解。「解は西南によろし」とは、往(い)きて衆を得るなり。「それ來たり復して吉」とは、乃(すなは)ち中を得るなり。「往くところ有れば夙にして吉」とは、往きて功あるなり。天地解(ひら)けて雷雨作(おこ)り、雷雨作りて百果艸木(ひゃくかそうもく)皆甲拆(こうたく)す。解の時大なるかな。象に曰はく、雷雨作るは解。君子以て過ちを赦(ゆる)し、罪を宥(ゆる)す。


【解釋】
《本卦:
澤雷隨》
〔王弼、通解の解釋〕
隨はしたがうの意󠄃味である。
内卦は震で動き、外卦は兌であり、よろこぶの意󠄃である。
君主が行動するとき、人々はよく協力してくれ、思い通りにできる。
人々は時機にしたがい行動する。


〔根本通明の解釋〕
随は後ろに随って行く義である。
同じ「したがう」でも、従の字は左に付いても右に付いても従うだが、随の字は後ろに附いて行くという義である。
初九はニに随う。
二は三に随う。
三は四に随い、四は五に随い、五は六に随う。
先の方に随うという象があるが、何でも随へば良いわけではない。
仁義礼智に外れないようにすれば咎が無い。
[彖傳]
初九の陽爻が二・三爻目に随っているので、剛柔に随う。
下卦の震は雷なので動く。
動いた先の兌が說ぶ。
随うには正しき所をもってすれば、必ず大いに亨る。
二・三・四爻目の艮は時の象がある。
時は重要で、必ず随わなければならない。
[象傳]
兌は秋、雷は春である。
春に雷が出で、秋に沢中に潜む。
これは時に随うの義である。
君子は晦に嚮(むか)う。
晦は日の暮れる所である。


《之卦:
雷水解》
〔王弼の解釋〕
西南は衆である。難を解決し、危険を整える。利を衆に施す。また東北に困まらない。故に東北に利がないとは言わないのである。まだ、困難を解決するによくない。安に処する迷う。解とは困難を解決し、厄を除くことである。中を失わない。難があっても行けば、迅速であれば吉。難が無ければよく中に復す。難があれば厄を除く。


〔東涯の解釋〕
解は解散の意󠄃である。危険に居てよく動けば、険難を回避できる。卦は変じて蹇となる。二爻が蹇の外卦に行き、五爻が西南坤の方に行く。坤には地の象がある。險の中でよく動ける才でよく進み、よく止まる。どこでも通用する。君子は陰陽を和し、過失であれば赦して問わず、罪悪があれば、寛大にこれを宥す。仁政の至りである。解の道である。


〔根本通明の解釋〕
前の卦の水山蹇(
、天下の険難なる所の卦)が解けた所の卦である。
長い大乱で農業が廃れ、人民は衰えてしまっている。
西南は坤の卦で、地の象である。
地に五穀を植立てて、以て人民を養う。
天下が平らいだなら、進んで事を為す所の仕事は無い。
漸次人民を養えば宜しい。
若し大乱が平らいでいても、進んで往く所の事柄があるならば、速やかに往ってこれを治めるのが宜しい。
[彖傳]
険難に屈せずに踏み越えて外へ出ることで、険難を免れた。
西南は坤の卦で、衆口衆口という象がある。
大勢の人民を我が方へ撫で育てるようにしなければいけない。
既に大難は解けているから、多く仕事をし過ぎず、程良い所に止(とど)まるのが宜しい。
往くべき所があるなら、往けば必ず功が出て来る。
[象傳]
天地に於いては万物を生じ育(やしな)う時である。
君子に於いては仁を行う時であるから、人を殺めるのは良くない。
其所で過ちを赦し、罪人を宥(なだ)める。
善い事を為す心で行った悪事を過ちと云い、それならば無罪になる。
しかし意あって悪事を為したのは、赦すわけにはいかないので流刑などに処す。

11/15(月) ䷾ 水火旣濟(すいかきせい)→䷁ 坤爲地(こんゐち)

11/15(月) 水火旣濟(すいかきせい)→ 坤爲地(こんゐち)


【運勢】
堅実に成功を求めるなら、明確な目標を持って行動し、その上で今ある環境を最大限活用する事が大切である。
何気ない積み重ねが大きな力となる。
頼まれた事は素直に引き受け、信頼を得ると良い。


【結果】

本卦:水火旣濟(すいかきせい)
之卦:坤爲地(こんゐち)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 少陰]
[三爻 老陽][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[五爻][三爻][初爻]


【原文】
《本卦:
水火旣濟》
旣濟は亨(とほ)る。小、貞に利し。初めには吉、終はりには亂る。
彖に曰はく、旣濟は亨るとは、小なる者、亨るなり。貞に利しとは、剛柔正して位當たる。初めは吉とは、柔、中を得るなり。終に止まれば則ち亂る。其の道󠄃窮まるなり。
象に曰はく、水、火の上に有るは旣濟。君子以て患を思ひて豫め之を防ぐ。


《之卦:
坤爲地》
坤は元(おほ)いに亨(とほ)る。牝馬の貞に利(よ)ろし。君子往くところ有り。先(さきだ)つときは迷ひ、後るるときは主を得るに利あり。西南には朋を得る。東北には朋を失ふ。安貞にして吉。彖に曰はく、至れるかな坤元。萬物、資(よ)りて生ず。乃ち順にして天を承(う)く。坤、厚くして物を載す。德无疆に合ふ。含弘光大にして品物、咸(ことごと)く亨る。牝馬は地類。地を行くこと疆なし。柔順利貞は君子の行ふところ。先だつときは迷ひて道󠄃を失ひ、後るるときは順にして常を得る。西南には朋を得る。乃はち類と行く。東北には朋を喪ふ。すなはち終に慶有り。安貞の吉は地の无疆に應ず。象に曰はく、地勢は坤。君子以て厚德者物を載す。


【解釋】
《本卦:
水火旣濟》
〔王弼の解釋〕
旣濟は完全に渡り切ったという意味である。
小は残らず渡り切った。五爻と二爻が位に当たっているので、邪悪なことは出来ない。ただ正しければ上手く行くのである。柔が中を得たら、小はとおるのである。柔は中を得ていないならば、小はまだ通らない。小はまだうまく行っていない。剛で正を得ているといっても、まだ旣に渡り切れていないのである。だから旣濟の要は柔が中を得るにあるのである。旣濟を安定となすのは、道󠄃が窮まり進めないからである。止まるから乱れるのである。存續している時に亡びることを忘れない。旣濟は未濟を忘れてはいけない。


〔東涯の解釋〕
濟は交わり作用しあうことである。火が下に在って炎上し、水は上に在って下を潤す。陰陽が互いに作用していることである。陰陽六爻がそれぞれ正しいところにある。二爻は陰で中を得て、上には坎つまり止がある。だから始めは吉を得て、終には止まってしまい、衰乱の時代になる。治乱盛衰は永遠に互いに作用し続ける。陰陽が交わり互いに作用し、日が南中しているようであり、月󠄃が満月に近い状態である。よくうまく行くといっても、ただ小のみである。大吉ではない。ただ正しさを守るべきである。そうしなければ始めはうまく行っても、終いには乱れるのである。易の戒めるところである。


〔根本通明の解釋〕
水火相和して、萬物悉く生育する。
何事も亨り達する。
小なるものの二爻目は、主爻となり、陰爻を以て陰位にある。
よって中を得て居り、小なるものが正しくして居る。
内卦は始まりで、萬物が盛んになって来るが、半ばを過ぎれば衰えが出て来るから、油断をせずに対策しなければならない。
[彖傳]
二爻目は柔で陰位にあり、九五は剛で陽位にあり、正しく剛柔である。
険難が除けて、天下泰平になる。
安楽になれば人は動かず、為すべきことを怠って、乱れが起って来る。
[象傳]
水火相和しているというものの、性質で言えば分かれる所がある。
水は火の上に在れば宜しいが、水の性質は下を好む。
又火の氣が何処までも上がり、互いに反対に為って相害する所が出て来る。
安楽なる内に災の出ない様に之を防がなければならない。


《之卦:
坤爲地》
〔王弼の解釋〕
坤は貞によろしい。牝馬によい。馬下にあって行く。牝馬は柔順の至りである。柔順を尽くして後にうまく行く。牝馬の正しいものによろしい。西南は人を養う地である。坤の方角である。だから友を得る。東北は西南の逆である。友を失う。乾は龍を以て天を御し、坤は馬を以て地を行く。地は形の名である。坤は地を用いるものである。両雄は並び立たない。二人主が居るのは危うい。剛健と對をなす。長く領土を保つことが出来ない。順を致していない、地勢が順わない。その勢は順。


〔東涯の解釋〕
坤の爻はすべて陰。順の至りである。牝馬は柔であり強く行く。この卦は柔にして健である。主に遇うとは、陽に遇うことである。西南は陰、東北は陽。順の至りでうまく行く。君子まず行くところがあれば迷い、後に主を得る。西南に行くと友を得て、東北に行くとその友は離れる。正しいことだけをしていれば吉。天の気を承け萬物を生ず。陽に先んじてはならず、陽の後に行けばよい。


〔根本通明の解釋〕
坤は乾と對であり、乾は天、坤は地である。牝馬の話が出るが、これは乾の方が牡馬であることをも示している。臣たるもの、必ず朝󠄃廷に行って君に仕えなければならない。しかし、無学では全く役に立たないから、そのためには朋(とも)をもって助け合わなければならない。西南は坤である。
巽の卦、離の卦、坤の卦、澤兌の卦は陰の卦である。そこで、西南に陰の友が集まっている。朋は友と違う。一緒に勉強するもののことを朋というのである。友とは朋の中でも特に親しいものである。朋の字は陰で、友の字は陽である。始めのうちは陰の友達が必要である。そこで西南が良いのである。また、東北は朝󠄃廷を意味する。乾の気で萬物は始まり、坤の気で萬物に形が備わる。坤の卦は地の上に地を重ねているから、地盤は盤石である。天の気がどこまでも拡大していくのに、陰の気はどこまでも従うのである。牝馬が牡馬に従うように、臣下は君主に仕えるのである。先に行こうとしてはいけない。常に後ろについていくべきである。臣下は朋友を失うことになるが、君主に仕えることでそれを克服するだけの喜びを得る。慶(ケイ、よろこ)びは高級な臣下の卿(ケイ)に通じる字である。上に鹿の字が附くが、昔は鹿の皮を以て喜びを述べた。人々が集まってくるのである。
[大象傳]
地が二つも重なっているので盤石である。物を載せても耐えられる。つまり様々なことを任されても耐えられる存在なのである。

11/14(日) ䷘ 天雷无妄(てんらいむまう) 変爻無し

11/14(日) 天雷无妄(てんらいむまう) 変爻無し


【運勢】
結果に過度な期待を持たず、あるがままを納得する事が大切である。
自らの役目を良く理解し、我を通さず謙虚堅実に相手と向き合うと良い。
熱意を胸に次なる目標に進めば、積み重ねた努力を活かせるだろう。

【結果】
天雷无妄(てんらいむまう) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[変爻無し]

【原文】
无妄(むまう)は、元(おおい)に亨(とほ)る、貞に利(よろ)し。其れ正に匪(あら)ずんば眚(わざわい)有り。往く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。彖に曰く、无妄は剛外より來(きた)りて、内に主になり、動いて健。剛中にして應(おう)ず。大(おおい)に亨り以て正し。天の命なり。其正に匪ずんば眚有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往く、何(いずく)にかゆかん。天命、祐(たす)けず、行かんかな。象に曰く、天の下に雷行き、物に无妄を與(あた)う。先王以て茂(さかん)に時に對(たい)して萬物を育す。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
動いて健とは震のことをいう。雷動して乾健である。剛中というのは五爻を言う。剛が外からきて、内卦の主爻となる。動いていよいよ健である。剛中で応じている。私欲が行われない。妄動することはない。无妄の道ができ、大吉。剛が外から来て内の柔邪の道は消失する。動いていよいよ健であれば剛直の道が通る。剛中にして応じれば斉明の德が通る。天の教命である。もし正しくないのであれば、往く攸有るによくない。茂は盛んなことである。物は皆あえて妄でない。その後に萬物はそれぞれその性を全うできる。時に対して物は育つ。是より盛んなことはない。


〔東涯の解釋〕
妄(もう)は、望と音に相近し。无妄は、希望することがない。『史記』では无望󠄇とかく。この卦をさかさにすると
山天大畜になる。主爻は初九である。无妄は予期せずに来るものである。卦体は震が動くで、乾が健やかである。五爻と二爻は応じている。まさに天命である。逆に正しくないことをしていれば、どんどん禍いを増す結果となる。舜禹が君で伊傅が臣であるようなものだ。


〔根本通明の解釋〕
无妄は欲がないということである。無望の意味である。『史記』や『戦国策』にも無欲の意味で使われている。ただ誠にのみ志すのである。志が正しくなければ、災いがおこる。
[彖傳]
外卦が天で、内卦が雷である。五爻と二爻が応じており、上下心が通う。天命を受けることを表す。その天命に従うのがよい。それ以外のことをしようとするのは、天命でないことをすることになるので、よろしくない。
[象傳]
天の下に雷があるのが无妄である。人間が无妄であるのは当然であるが、万物も无妄であるべきである。先王はこの无妄の卦を用いて、つとめて万物を育んだ。春夏秋冬、天に従った生き方をした。

11/13(土) ䷆ 地水師(ちすゐし) 五爻二爻

11/13(土) 地水師(ちすゐし) 五爻二爻

【運勢】
志操堅固な者は、理想を語るだけで無く自ら率先して行動し、その意気込みを伝える事が大切である。
相手に思いが伝われば、理想は現実となる。
普段から、皆が道理を弁え行動する事で、非常時にも秩序を保てるだろう。


【結果】
䷆◎⚪︎
地水師(ちすゐし) 五爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陰][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 老陽][初爻 少陰]
《爻辭》
[五爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
師は貞なり。丈人なれば咎无し。彖に曰はく、師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以て正す。以て王たるべし。剛中にして應ず。險を行ひて順。此れを以て天下を毒し、而して民之に從ふ。吉又何の咎あらんや。象に曰はく、地中に水あれば師。君子以て民を容れ衆を畜(たくは)ふ。


《爻辭》
[五爻 優先]
六五。田に禽有り。言を執るによろし。咎なし。長子は師を帥ゆ。弟子は尸を輿ふ。貞なれば凶。
象に曰く、長子は師を帥ゆとは、中行を以てなり。弟子は尸を輿ふとは、使ふこと當らざるなり。
[二爻]
九二。師に在りて中なれば吉。咎なし。王三たび命を錫ふ。
象に曰く、師に在りて中なれば吉とは、天寵を承たるなり。王三たび命を錫ふとは、萬邦を懷くるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
丈人とは莊󠄂嚴の称である。師の正しいものである。戦争が起こり民を動かす。功罪はない。だから吉。咎めはない。毒は戦争のことである。


《爻辭》
[五爻 優先]
師の時に處り、柔は尊位を得る。陰は先づ唱へず、柔は物を犯さず。犯されて後に應じ、往けば必ず直なるを得る。故に田に禽有るなり。物先づ己を犯す。故に以て言を執るべくして咎なきなり。柔は軍帥にあらず、陰は剛武にあらず。故に行ふを窮めず、必ず授を以てするなり。授けて主を得ざれば、則ち衆從はず。故に長子は師を帥いるべきなり。弟子の凶、固より其れ宜なり。
[二爻]
剛を以て中に居り、而して五に應ず。師に在りて其の中を得る者なり。上の寵を承ける。師の主なり。大役を任ずること重なりて、功なければ則ち凶。故に吉にして乃ち咎なきなり。師を行ひて吉を得れども、善く邦を懷くるなし。邦懷けば衆服す。錫ふこと重なることなし。故に乃ち命を成すことを得る。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
師は衆のことである。古は陳では五人を伍とした。それを集めて二千五百人になると師といつた。だから師とは軍のことである。内卦は水で外卦は地である。二爻のみが陽である。衆陰をすべて下卦に居る。丈人は老成した人のこと。二爻は剛中で応じている。主爻である。険難の時にあり、柔順である。天下に戦争の危機があり、人々は従う。老成の優秀な人を得て成功する。古より兵法には二つある。暴徒を誅し、乱を平らげ、民の害を除くのが兵を用いる時の根本である。良將を任じればよく尽くしてくれるので兵の要である。だから先王は戦えば必ず勝利したのである。土地は人民が居るところである。君子は庶民をよく束ねて軍団を維持する。普段は生業を保証し、戦争の時は軍人として招集したのである。


《爻辭》
[五爻 優先][二爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
師は師(いく)さの卦である。師さには、軍と師と旅と三つある。軍(いく)さは一万ニ千五百人、その次の師さは二千五百人、その次の旅(いくさ)は五百人である。此処で師と云うのは、軍と旅とを内に兼ねる意味である。師さを用いるには、正当性がなければいけない。丈人は年の長じた人のことである。これは先に生まれたものであり、次男や三男でなく、長子であれば吉である。戦争に勝った上に、正しい師さである故、咎が無い。
[彖傳]
国内の人民を以て兵を組立て、以て無道なる者を討って、之を正しくする。そうして天下に王たるべき徳が成る。二爻目が陽爻であり、剛中を得て居る。中庸の徳があり、天下悉く応じる所がある。毒の字は馬融の解に「毒者治也」とある。毒薬を以て邪を除いて能く治まる所がある。師さに勝って、その正しき所を見れば、之を咎める者も無い。
[象傳]
外卦は坤で地、内卦は坎で水である。其所で地の中に水があるという象である。また坤は国であり、地中に水が含まれているように、国内の男子は皆兵隊である。君子は多くの民を能く畜(やし)なう。


《爻辭》
[五爻 優先][二爻]

11/12(金) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 変爻無し

11/12(金) 艮爲山(ごんゐさん) 変爻無し

【運勢】
思う様にいかない事があっても、焦ってあれこれ手を出す様ではいけない。
何事も、堂々とした姿勢で成果が出るまで堅実に続ける事が大切である。
善行を習慣化し、心に余裕を持つ事で、平穏を保つ事が出来るだろう。


【結果】

艮爲山(ごんいさん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


〔根本通明の解釋〕
『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。艮は人の身体でいえば背中に相当する。動くものは前にあり、背中は動かないからである。また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。無欲であれば、我が身は無いのと同じである。我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。
[彖傳]
艮は止まるとある。三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。止まる方にばかり偏ってはいけない。また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。動と静の双方を含んでいることになる。つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。よって「其ノ身ヲ獲」ない。我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。
[象傳]
「兼山ハ艮」とある。山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。

11/11(木) ䷔ 火雷噬嗑(からいぜいごう) 変爻無し

11/11(木) 火雷噬嗑(からいぜいごう) 変爻無し

【運勢】
目の前の問題から目を背けたり、反対に、感情のまま私的に制裁を行なってはいけない。
問題が尾を引かぬ様に、正道を守り、公の場で判断する事が大切である。
堅実に秩序を守れば、災い転じて福となすだろう。

【結果】
火雷噬嗑(からいぜいごう) 変爻無し
‬《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陽]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[変爻無し]

【原文】
噬嗑は亨(とほ)る。獄を用うるによろし。
彖(たん)に曰はく、頤(おとがひ)の中に物有るを噬嗑といふ。噬(か)み嗑(あは)して亨る。剛柔分かれ、動いて明󠄃なり。雷電合して章なり。柔、中を得て、上行す。位に當たらざると雖も、獄を用うるに利しなり。
象に曰はく、雷電は噬嗑。先王以て罰を明󠄃らかにし、法を勅ふ。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
噬はかむこと。
嗑は合わせることである。
物は親しくなかったら、間を開けるものである。
物が整わず、過ちがある。
噛み砕いて合わせると通ずる。
噛まなければ通じない。
刑に服して改心するのは獄の利である。
剛柔が分かれて動けば乱れず、明らかである。
雷電が合わされば明るい。
獄に用いるべきである。
五爻が主爻である。
五爻は位に当たっていないが、獄に用いるのに良い。

〔東涯の解釋〕
噬嗑は嚙合わせることである。
物が口の中に入っている。
これを嚙合わせるのである。
上下に二陽があるが、これが口である。
四爻の陽爻が口の中のものである。
内卦は動いて外卦は明󠄃るい。
この卦は賁から来ており、賁の二爻が上に昇って五爻に来ている。
位に当たっていないが、君位に居て柔順の德と勢いを失っていない。
刑罰を執行するによい。
剛と柔が卦の中を得ており、偏りがない。

〔根本通明の解釋〕
噬は噛む、嗑は合わせるである。
口の中に物が一つある。
頤は上に動いて物をかむ。
上のあごは動かないものである。
飲食をする卦である。
堅いものが四爻に一つある。
骨である。
また、上と下とを通わせない悪人である。
悪人を取り締まるのが刑獄である。
刑獄を用いるによいというのは、そういうことである。
雷、火は造物者󠄃が天地の間の惡を砕くためにある。
[彖傳]
上は火で下は雷。
火は陰で雷は陽である。
雷は動く。
すると火が起こり、明るくなって、悪人がよく見えるようになる。
五爻は陰爻であり、位に当たっていないが、刑獄にはよい。
なぜなら、陽であったなら強すぎて苛烈な刑罰を下す。
それよりは陰の方が良い。
[象傳]
朱子学者は雷電を電雷にした方が良いという。
上が火で、これが電、下が雷というのである。
しかし其れは良くない。
文字に拘泥して道理に背いている。
この電は雷に発したものであるから、雷電で良いのである。
三四五爻に
がある。
是を法律とする。
世の中に悪人は絶えないものであるから、刑獄の必要性はなくならないのである。

11/10(水) ䷊ 地天泰(ちてんたい) 上爻二爻

11/10(水) 地天泰(ちてんたい) 上爻二爻

‪【運勢】‬
上に立つ者と従う者が応じ合う事で、社会の平穏は保たれている。
相手との違いをしっかり認識し、その上で、互いに共感出来る所を協力して進めて行くと良い。
現状に甘んじる事無く、気を引き締める事が大切である。


‪【結果】
䷊◎⚪︎
地天泰(ちてんたい) 上爻二爻‬
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
泰は小往き、大來る。吉にして亨る。
彖に曰はく、泰は小往き大來る。吉にして亨る。則ち是れ天地交はりて、萬物通ずるなり。上下交はりて其の志同じきなり。内陽にして外陰。内健にして外順。内君子にして外小人。君子は道󠄃長じ、小人は道󠄃消するなり。
象に曰はく、天地交はるは泰。后以て天地の道󠄃を財成󠄃し、天地の宜しきを輔相し、以て民を左右す。


《爻辭》
[上爻 優先]
上六。城隍(ほり)に復(かえ)る。師(いくさ)を用ふること勿れ。邑(ゆう)より命を告ぐ。貞なれば吝。象に曰はく、城隍に復るとは、其の命乱れるなり。
[二爻]
九二。荒󠄃を包(か)ぬ。馮河を用う。遐を遺󠄃れず。朋を亡ふときは、中行に尚ぶことを得る。
象に曰はく、荒󠄃を包ぬ。中行に尚ぶことを得るとは、以て光大なるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
泰は物が大いに通る時である。
上下がよく通じれば、物はその節󠄄を失う。


《爻辭》
[上爻 優先]
泰の上極に居て、各々の応ずる所に反る。泰の道滅びようとしていて、上下交わらない。卑しくして上を承けず、尊くして下に施すことをしない。故に「城隍に復る。」卑の道が崩れるのである。「師を用ふること勿れ」とは、攻めても苦しむだけである。「邑より命を告ぐ、貞なれば吝」とは、否の道に入っていて、命令は行き届かないのである。
[二爻]
健(陽)を体して中に居る。
そして泰に用いる。
よく荒󠄃い穢れを包含できる。
受け容れて川を渡る者である。
心を用いて弘大。
私なく偏りなし。
このようにして中行を尊ぶようになる。
中行とは五爻の事を言う。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
泰は通󠄃るという意味である。
卦は否と逆である。
否の三爻の陰が外卦に行き、三陽が下に来たのである。
陽は大であり、陰は小である。
天気が下降して地気が上昇したのである。
陰陽がよく通じているのである。
人は世の中で、人と交際しながら生きていく。
上は下をおさめ、下のものは上のものを助ける。
君臣上下から親戚や町の仲間にまで言えることである。
そして天下は治まるのである。
よく通るので吉である。


《爻辭》
[上爻 優先]
[二爻]
荒󠄃穢を包容する。
国の君主が清濁併せ呑むようである。
あえて川を渡る。
私党はない。
中行は中道である。
陽剛で中を得る。
上は五爻に応じている。
泰に治める任に当たり、君を得るものである。
だからよく清濁を併せのむことが出来る。
通泰の時に当たり、人情は安穏をむさぼり、引き締めを嫌う。
人は厳しさに堪えられない。
清濁を併せのまなければ人は服さない。
そして世情はゆるんでいる。
泰を治める道は剛中を尊ぶことである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
泰の字は滑らかという義で、天地陰陽の気が流動して滞らず、能く万物を成長させる。
太、代、世も皆通じる意味である。
外卦が坤で、内卦が乾であるから、小は外の方に往き、大は内の方に来る。
地の底で陽が三つになって、盛んになる。
一ヶ年で考えれば、丁度旧暦の正月にあたる。
旧暦の十一月に一陽来復するため、初爻目が十一月、二爻目が十二月、三爻目が正月となる。
この卦は天の元気が地に十分に充ちて居る所の卦である。
世の中で譬えてみれば、天子の恩沢が人民の間に一杯に溢れて居り、下々の者もそれに随って上の方に事(つか)え、上下相交わる所の卦である。
その為、是より吉なる所の卦は無い。
[彖傳]
天の気が下に降り、地の気が上に昇り、天地の気の交わった所で、万物が発生する。
地の中に陽気が十分に充ちており、陽気に随って陰気が外の方に昇っていく所である。
一人の人にしてみれば、乾は心が十分に剛く、且つ外の行いは順従で人に抵抗しない。
又世の中で譬えてみれば、内に在って事を用いるのは君子、外へ出て君子に使われているのは皆小人である。
又世の道徳上の事にとってみれば、君子たる所の仁義の道が段々と盛んになって行き、小人の方の道は段々と滅びる所となる。
[象傳]
天地が交わり万物の生成が盛んになる。
しかし人間がこれを輔けなければ、天地の造化は昌(さか)んになる様なものではない。
天地があり、人間というものがあって、天地を輔けるから天地人、これを三才という。
即ち君と書かずに后(きみ)の字を書いたのは、天地を承けてこれを相(たす)けるためである。
財の字は裁に通じ、物を計って余計な所は裁り、少ない所はこれを補う。
天子が天下を治め人民を取り扱うのは、我が家に生まれた赤子を養育する様な物で、倒れない様に右からも左からも手を引いて輔ける。
そうして民を左右するのである。


《爻辭》
[上爻 優先]
[二爻]
初爻目は陽爻が陽位に居るから動かない。
二爻目は陽爻を以て陰位に居るから動かなければいけない。
九二は六五に動くので龍徳と云う。
九二の皇太子は五爻目に昇るだけの徳を持っている。
五爻目の陽位に陽爻が往く。
中庸を以て言った辭の通り之を謹んで行う。
心に邪を入れずに虚になって居るならば、天の元気が宿る。
其の神霊なる所の誠を失わないようする。
世の中の習慣風俗の悪い所を、我が徳を以て洗い浄めて善くする。

11/9(火) ䷇ 水地比(すゐちひ)→䷲ 震爲雷(しんゐらい)

11/9(火) 水地比(すゐちひ)→ 震爲雷(しんゐらい)


【運勢】
一人で何でも出来る事が、必ずしも良いとは限らない。
集団の中で役割を分担し、成果を共有し、互いに関係を深める事が大切である。
助け合える仲間が居れば、如何なる困難に直面しても解決出来るだろう。


【結果】

本卦:水地比(すゐちひ)
之卦:震爲雷(しんゐらい)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 老陽][四爻 老陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陰]
《爻辭》
[五爻][四爻][初爻]


【原文】
《本卦:
水地比》
比は吉なり。原筮(げんぜい)。元永貞(げんえいてい)にして咎(とが)めなし。寧(やす)からざる方(まさ)に來たる。後るる夫は凶。
彖(たん)に曰はく、比は吉なり。比は輔(ほ)なり。下順從するなり。原筮、元永貞にして咎めなしとは、剛中(ごうちう)を以てなり。寧(やす)からざる方(まさ)に來たるとは、上下應ずるなり。
象に曰はく、地の上に水あるは比。先王(せんわう)以て萬國を建て、諸侯を親しむ。


《之卦:
震爲雷》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。
彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。
象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《本卦:
水地比》
比は親しむ、たすけるの意󠄃である。五爻の王だけが陽であり、他はすべて陰爻で王にしたがっている。筮に基づいて大変長く正しさを守っている人を選べば問題ない。五爻に親しむ機会を失ったものはよくない。人と親しもうとすべきである。


《之卦:
震爲雷》
震は雷鳴を表す。
上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。
人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。
雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。


〔根本通明の解釋〕
《本卦:
水地比》
比は親密なる所である。比は密であり、密は物と物とが密着して間に隙間の無いことである。上卦は水、下卦は地である。水は地の中に浸み込んでくるから、水と土は離れることが無く、密着した状態である。五爻目は陽爻で天子にあたる。天子は人民と密着しており離れることが無い。ちょうど水と土の関係のようである。これは吉である。「筮」は神に吉凶を問い訊ねることで、「原」は再びという意で三度問うことである。つまり天子は神に吉凶を訪ねるのと同じように、諸々の人民へ何事も懇ろに問い訊ねて事を謀るのである。「元永貞」とは元徳を持つ人が、永く怠らず、貞しい所を守っていることである。これは堯舜(古代中国で徳をもって天下を治めた聖天子である堯(ぎょう)と舜(しゅん)。転じて、賢明なる天子の称のようなものである。「後夫凶」は、四方の国が名君に服しているのに、後に残って服せずに居る男が禍を受けることである。
[彖傳]
比は吉である。また互いに相輔けることである。「下順従」の「下」は下卦の坤=人民のことである。そして「順従」は坤の卦の象であり、人民が皆九五の天子のもとに集まってくることである。「不寧方来」は上から下まで残らず天子に応じて服して来ることをいう。「後夫凶」は名君に服さない者が、自ずから往くべき所がなくなり、その道に窮することをいう。
[象傳]
地の上に水があるのが比である。地に悉く浸み込んで来る水は、名君の徳性が深く人民の方へ浸み込んでいく例えである。君と民は親密な関係であり、離れようもない。こうした君民一体の関係に、皇統一系の象が含まれているのである。


《之卦:
震爲雷》
前の卦は火風鼎である。鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。この震は皇太子の象である。皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。震は剛(つよ)いから亨る。また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。卦全体の主になるのは初爻目である。虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。
[彖傳]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。
[象傳]
この卦は震が二つある。二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。