10/19(火) ䷕ 山火賁(さんかひ) 五爻

10/19(火) ䷕ 山火賁(さんかひ) 五爻

【運勢】

賁は、飾ることである。

しかし、仕事に力を入れるのであって、質素であることが必要なとき。

人からは、ケチだと言われようが質素倹約も大事である。終に吉であり、それが豊かになるもととなる。

【原文】

《卦辭》

賁は、亨る。小しく往く攸有るに利あり。

彖に曰はく、賁は亨る。柔來たりて剛を文る。故に亨る。剛を分かちて上りて柔を文る。故に小しく往く攸有るに利あり。天文なり。文明にして以て止まるは、人文なり。天文を觀て以て時變を察し、人文を觀て以て天下を化成す。

象に曰はく、山の下に火有るは、賁なり。君子以て庶政を明らかにし、敢へて獄を折むること无し。

《爻辭》

六五は、丘園を賁る。束帛戔戔たり。吝なれども終に吉。

象に曰はく、六五の吉は、喜び有るなり。

【解釈】

〔王弼の解釈〕

《卦辭》

剛柔分かたざれば、文何に由りてか生ず。故に坤の上六、來たりて二の位に居る。柔來たりて剛を文るの義也。柔來たりて剛を文り、位に居りて中を得。是を以て亨る。乾の九二、分かちて上位に居る。剛を分かちて上りて柔を文るの義也。剛上りて柔を文り、中の位を得ず、柔來たりて剛を文るの若くならず。故に小しく往く攸有るに利あり。

《爻辭》

尊位を得ている。飾の主である。飾の盛たる者である。物に飾を施せば、其の道害はるる也。丘園に飾を施せば、盛なること焉より大なるは莫し。故に束帛を賁る。丘園乃ち落たり。丘園を賁る、束帛乃ち戔戔たり。用て儉なるを過ぐる莫く、泰んじて能く約やかなり。故に必ず吝なり、乃ち終に吉を得るのである。

10/18(月) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻

10/18(月) ䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう) 上爻

【運勢】

大壯は、盛んである、勢いの強い者のことである。
勢いが強すぎれば、暴走してしまい。身動きが取れなくなってしまう。

ただ、そのことについて心から反省し、改心するのであれば問題はない。

【原文】
《卦辭》
大壯は貞に利し。
彖に曰はく、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。
象に曰はく、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。

《爻辭》

上六。羝羊藩に觸れ、退くこと能はず。遂ぐること能はず。利する攸无し。艱めば則ち吉。

象に曰はく、退くこと能はず、遂ぐること能はずとは、不詳也。艱めば則ち吉とは、咎長からざる也。

【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
大は陽爻をいう。
小の道は亡ぼうとしている。
大は正を得る。
故に利貞である。
天地の情󠄃は正大である。
廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。
壮大で礼に違えば凶。
凶であると壮を失う。
だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。

《爻辭》

三爻に応じている。故に退くことができない。剛長ずることを懼る。故に遂ぐることもできない。疑いを持ちて猶豫し、志定まる所なし。斯を以て事を決すれば、未だ利する所を見ず。剛長ずるに處ると雖も、剛正を害はず。苟くも其の分を定め、固く志三に在り。斯を以て自ら處れば、則ち憂患消え亡ぶ。故に艱めば則ち吉という。

〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
陰が小で陽が大である。
四つの陽が壮である。
二陰は徐々に薄れていく。
君子の道が長く続く時である。
其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。
人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。
陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。
四つの陽がみんな正しいわけではない。
私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。
盛大な時であるが、つまずくこともある。
君子は平素から礼法をまもる。
昔の人は天命を畏んだ。
雷ほど天威に似たものはない。
常に礼を大切にすべき時である。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。
また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。
人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。
剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖伝]
大なるものが極めて剛くなった。
卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。
従って、気力が強く動いて進む。
また天の気が動き、萬物を生じる。
人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象伝]
雷の気は萬物を生じる所の気である。
君子は礼に非ざれば履まずと云う。
上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。
其処で礼に非ざる事であってはいけない。

10/17(日) ䷂ 水雷屯(すいらいちゅん) 初爻

10/17(日) 水雷屯(すいらいちゅん) 初爻

【運勢】
屯は、なやみがあることである。

厳しい時期となるが、その中でも自分を見失わず耐え抜くことが重要である。

今は動くときではないので、動かないことに問題はない力を貯めるときである。


【結果】
䷂◎
水雷屯(すいらいちゅん) 初爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[初爻]


【原文】
《卦辭》
屯(ちゅん)は元(おほ)いに亨(おほ)る。貞(てい)によろし。往くところ有るに用ゐるなかれ。侯(こう)を建つるによろし。彖(たん)に曰はく、屯は剛柔始めて交はりて難生ず。険中に動く。大いに亨(とほ)りて貞し。雷雨の動く滿盈(まんえい)。天造󠄃草昧(てんぞうそうまい)。侯を建つるによろしくして、寧せず。象に曰はく、雲雷は屯。君子以て經綸(けいりん)す。


《爻辭》
初九。磐桓(はんかん)す。貞(てい)に居るに利(よろ)し。侯(こう)を建つるに利し。象に曰はく、磐桓すと雖(いえど)も、志正を行ふなり。貴を以て賤(いや)しきに下る、大いに民(たみ)を得ればなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《卦辭》
屯はなやみある象、また草が萌芽しはじめたところである。なやんで通ずることが出来ない状況である。ただし、時が至れば険難を脱して安泰な境地に至る。そのためには、正しさを固く守らねばならない。現在は草創期であり、社会の秩序がまだ整わない時である。こういう時は、適材適所で良い人材を登用しなければならない。


《爻辭》
[王弼]
屯の初めにいる。動けば則ち難を生じるので進んではならない。故に磐桓である。此の時によって、其の利、安くにか在る。唯だ貞に居て、侯を建てることのみてまある。乱れを息めて静かにする。静を守って侯たり。民を安んじて正に在り、正を弘くして謙に在り。屯難の世、陰、陽を求むめる。弱は、強を求める。民は、其の主を思う時である。初、其の主爻でまた、下である。爻、斯の義を備えている。宜しく其れ民を得るべきあるって、進むべきでない。故に磐桓するのである。宴安して成務を棄てるわけではない。故に磐桓すと雖(いえど)も、志正を行ふなり。なのである。
[東涯]
磐は盤と同じであり、盤垣である。難に進もうとしている貌である。この爻は、屯の初めで陽を以って下にいる。苦しい時で卑しく、その才を用い得ていない。故に盤垣である。ただ、正しくいて詭計詐謀を用いてはならず、かわいがるのである。故に貞に利し。陽剛の才を持って緖陰の下にいる。民衆は、服従して、その心を得ている。故に「侯(こう)を建つるに利し。」なのである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
屯は止まり艱(なや)むという義である。
下卦の震は、出で進んで往く所の卦であるが、目の前には大いなる水があり、往こうとしても往かれない。
水は険難の象で、外の世界は力の支配する恐ろしい状態で、軽々しく進めば難に遭う。
天下を治めるには、仁義礼智を具えた侯を建てなければならない。
[彖伝]
震は雷で気力が強く、如何なる険難に遭っても落胆して止まることは無い。
険難の中に在っても動いて出る所があり、始終は大いに亨る。
初九は侯となるべき人物で、仁徳を具えている。
この人が進んで遂に侯になる所の卦である。
雷が動いている中に、雨が降って来て、天地の間には萬物が一杯に生まれる。
真っ暗な世の中に侯を建て治めなければならない。
服し集まった者を以て治めれば良く、抵抗する様な者は勝手にさせておけばよい。
世の中の始まりは細やかに事を行ってはいけない。
[象伝]
経綸の経は縦糸、綸は横糸で、世を治めるのは一匹の布を織り立てる如きものである。
また雷は雷気が四方に敷き施し、ちょうど縦糸を竝べる所である。
綸は物を撚り合わせて集める方で、厚く集まった雲の象である。
この雲雷の象によって世の中を治める。

10/16(土) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 三爻初爻

10/16(土) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 三爻初爻

【運勢】

萃は、集まるものである。

しかし、自らの力だけでは、実現できない。

上の人の助けが必要である。

自ら助けを求めれば、寛大な心でうけとめてくれるはずである。

一度妥協して、そこからまた目標への道筋をたてることも考えてみる時。

【原文】

《卦辭》

萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。

彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。

象に曰はく、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。

《爻辭》

(三爻)

六三。萃如。嗟如。利しき攸无し。往けば咎め无し。小し吝。

象に曰はく、往けば咎无しとは、上巽ふ。

(初爻)

初六。孚有りて終へず。乃ち亂れ乃ち萃る。若し號ぶときは一握の笑を爲す。恤ふること勿れ。往いて咎无し。

象に曰はく、乃ち亂れ乃ち萃まるとは、其の志亂るる也。

【解釋】

《卦辭》

〔王弼と東涯の解釋〕

萃は集まることである。

物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。

その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。

假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。

「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。

内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。

祭祀は大切にすべきである。

古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。

《爻辭》

(三爻)

〔王弼の解釋〕

位に当たっていない。四爻と比の関係にある。四爻も位を失っている。不正が集まれば不正である。煩わしさが生じる。応じるものに害をなす。上爻も応じていないので独立している。極まるところは憂えであり危うさである。助けてくれる友を求めるのであれば、待て。不正の所󠄃に集まるよりは、同志を待つ方が良い。二陰があうのは一陰一陽が合うのに及ばない。だから小さな悔いが残る。

〔伊藤東涯の解釋〕

陰柔で不中正である。上に応じるものがなく、三陰が内に居る。この集まるものは不正な者たちである。上卦は巽順で物を捨てることが出来ない。行きて従えば咎无しを得る。しかし少しの後悔は避けられない。その身が不正であり、交わる者がまた柔である。どうして高明󠄃な域に進むことが出来ようか。大きな益はない。人との交わりを慎まなければならない。

〔根本通明の解釋〕

九五の天子の元へ聚ろうとするが、九四の為に阻(へだ)てられて行かれず嗟(なげ)く。九四の大臣の方へ聚まっても利する所は無い。

縦令九四に阻てられても、何処までも往くのが宜しい。往くのは咎が無い。九四の大臣の方へ往けば我が方に利益があると云う様な小さな心で居れば吝である。

[象伝]

六三と上六は徳を同じくして居り、共に力を合わせる所がある。三四五爻目の巽は、三爻目が主爻である。巽の卦徳は入るであるから、上六の方でも我が方に潜り入って来る所がある。

(初爻)

〔王弼の解釋〕

四爻と応じて、三、之を承く。心懷きて疑うを嫌う。故に孚有りて終へざるのである。道を守ること能はず、以て至好を結び、迷ひて務めて競爭す。故に乃ち亂れ乃ち萃まる也。一握とは、小さきの貌也、笑を爲すとは、懦く劣るの貌也。己は正妃と爲り、三は近きを以て寵す。若し夫の卑退なるに安んじ、謙にして以て自ら牧へば、則ち恤ふること勿くして、往けば咎ない。

10/15(金) ䷵ 雷澤歸妹(らいたくきまい) 変爻無し

10/15(金) ䷵ 雷澤歸妹(らいたくきまい) 変爻無し

【運勢】

身に合わないようなことをなそうとしてはならない。

不正をはたらいたのであれば、そのことは、目先は良くても、のちに破滅をもたらす爆弾なのである。

身勝手な行動をおこさないようにするとととに、礼儀正しく最後まであり続けるべし。

【原文】
婦妹は征けば凶。利(よろ)しき攸(ところ)无し。
彖に曰はく、歸妹は天地の大義なり。天地交はらざれば萬物興らず。歸妹は人の終始なり。說󠄁(よろこ)びて以て動く。妹を歸く所󠄃なり。征けば凶とは位に当たらざるなり。利しき攸无しとは、柔、剛に乘ずればなり。
象に曰はく、澤上に雷有るは歸妹。君子以て終を永くし敝(へい)を知る。

【解釈】

〔王弼の解釋〕
妹は少女のことである。
兌は小陰で、震は長陽である。
小陰が長陽を承けるので、よろこんで動く。
妹を嫁がせる象である。
陰陽が既に合って長と少が交わった。
天地の大義、人倫の終始と言える。
少女を長男に嫁がせる。
少女は嬉しくない。
不正を犯し、それを喜んで動くのは邪道である。
終には敝を知る。

〔伊藤東涯の解釋〕
婦人のことを嫁とも歸ともいう。
兌は少女、震は長男である。
これは婦人が嫁ぐ時に礼を失している。
二爻から五爻まで位を得ていない。
三爻と五爻の陰爻が陽の上に居る。
これは陰として正しくない。
夫が先に声をかけて、それに妻は随うのである。
これは天地の大義である。
父母の命、媒酌の言を待ち、礼を尽くす。
その後にそれぞれがその道を尽くして家道󠄃がなる。
正しい道に由らないと、その夫婦は礼儀を乱し、制御できなくなる。

10/14(木) ䷻ 水澤節󠄄(すいたくせつ) 変爻無し

10/14(木) 水澤節󠄄(すいたくせつ) 変爻無し

【運勢】


節は、節度のことだが、その匙加減は難しい。

調子に乗って、周りを見失えば大変になるが、物事に固執し続けても、本質を見失うこともある。

自身の立ち位置を理解するするとともに、無理をしない程度にしとくべき。


【結果】 

水澤節󠄄(すいたくせつ) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
《卦辭》
節󠄄は亨(とほ)る。苦節貞(てい)すべからず。
彖(たん)に曰はく、節󠄄は亨(とほ)る。剛柔(ごうじゅう)分かれて、剛中を得る。「苦節は貞すべからず」とは、その道窮(きは)まるなり。よろこびて以て險(けん)を行き、位にあたりて以て節󠄄(せつ)す。中正にして以て通ず。天地節󠄄して四時成り、節󠄄して以て度を制すれば財を傷(そこな)はず、民を害せず。
象に曰はく、澤上に水あるは節󠄄。君子以て數度(すうど)を制し、德行を議(ぎ)す。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辞》
坎は陽で兌は陰である。
陽が上で陰が下である。
剛柔が分かれている。
剛柔が分かれて乱れない。
剛が中を得て制となる。
主節󠄄の義である。
節󠄄で最大は剛柔が分かれている時である。
節󠄄で苦を過ぎれば堪えられない。
それでは正に復せない。
喜んで險を冒さず、中を過ぎて節󠄄となれば道󠄃が窮まる。


〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辞》
節󠄄は分かれて度がある。
竹の節のことである。
陰陽が均等である。
二爻と五爻が剛中である。
節󠄄があれば通り、及ばないという弊害がない。
上爻は陰柔で正を得て窮まれば、節󠄄を過ぎて窮まる。
君子の道は中に適うを貴しとする。
人は剛で折れず、柔で撓まなければよろしい。
又偏ることがない。
うまく行く。
及ばないことを恐れるのでなく、行き過ぎることに注意すべきである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
節は竹の節に由来する。
中が空洞で通っているが、所々に節があり止まって堅く動かない。
上卦は坎で水が流れて通じるが、下卦は兌で水が止まり、節の象がある。
総ての事は竹の節の様に分限がある。
天地の間にも、君と臣の間にも、一家の中にも各々身分に応じて為す所がある。
しかし己の分を守るということも、度を越せば苦節となる。
孟子に陳仲子という人物がおり、節義を守ることを徹底する余り、無道の君から受ける禄を穢れると言って嫌悪する。
しかしそれでは生きていくことは出来ない。
我が身を苦しめ無理をしてまで節を守ろうとしてはいけない。
[彖伝]
下卦が陰=柔で、上卦が陽=剛である。
上卦の主爻は五爻目で、下卦の主爻は三爻目である。
剛と柔が上下に分かれ、陽爻は皆中を得ている。
「苦節不可貞」は行う所の道が窮して行えなくなることである。
陳仲子の様に窮することになる。
[象伝]
沢の上に水が流れる。
沢は四方に堤防があって水を溜めている。
これが節である。
程好い所に止まっている。
君子は節に則って政を行う。

10/13(水) ䷥ 火澤睽(かたくけい) 五爻

10/13(水) ䷥ 火澤睽(かたくけい) 五爻

【運勢】

睽は、背くことであり、仲良くできず、相反し合ってる状態である。

されど五爻は、二爻と合い協力しあうことができるので、悔いがない。

仲良くしたいと思うのなら、行動するべきである。

【原文】

《卦辭》

睽は小事吉。

彖(たん)に曰はく、睽(けい)は火動いて上り、澤動いて下り、二女同居して、その志同じく行はれず。說󠄁(よろこ)びて明󠄃に麗(つ)き、柔進みて上行す。中を得て、剛に應ず。是を以て小事吉。天地睽(そむ)いてその事同じきなり。男女睽(そむ)いて其の志通ずるなり。萬物睽(そむ)いて其の事類するなり。睽(けい)の時用大なるかな。

象に曰はく、上火下澤は睽(けい)。君子以て同じくして異なり。

《爻辭》

六五。悔亡ぶ。厥の宗、膚(ふ)を噬む。往きて何のとがあらん。

象に曰はく、厥の宗、膚を噬むとは、往きて慶有るなり。

【解釋】

〔王弼と東涯の解釋〕

《卦辞》

睽は背くの意󠄃である。

小さな事には吉である。

二爻と五爻が相性が良く(応じている)、下の☱沢が喜んで☲火につき従い、五爻が柔(陰)であり、二爻と応じてゐる。

よって大きなことには用いるべきでないが、小事には良い。

《爻辞》

位に非ざるは、悔である。應ずる有るが故に悔亡ぶ。厥の宗とは二を謂ふ也。膚を噬むとは、柔かきを齧むのである。三、二に比しむと雖も、二の噬む所なり。己の応じることを妨げる者ではない。素早さを以てして行えば何の咎もない。往けば必ず合う。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

睽は互いに相反して和せざる所の卦である。『説文解字』には互いに反目する貌とある。上爻の離の卦は目である。下卦は兌の卦で癸(みずのと)で、この陰の卦が主となっている。陰は小事の方が吉であって、大事は良くない。

[彖伝]

火の性は動けば上がり、水は動けば下方へ流れる。また火は物を焼いて害し、水は物を潤して生じるから、その性質は反対である。人でいえば、家族が別々になって相争う所の卦である。兌の卦は少女で、巧言令色で旨く寵愛を得ており、内の方で権を握って居る。少女を大切にして、年を取っている離の中女を遠ざけて居れば、互いに嫉妬心が起こり、火が熾(さかん)になるように互いに害しあう。兌にも毀折の象がある。しかし反目は何時までも続くのではなく、相和する所の象もある。兌は說(よろこ)んで明らかなる方へ麗(つ)く。五爻目が陰爻で、二爻目は剛で陽爻である。君臣でいえば、君が弱く、臣が強いという卦である。君を輔ける者が少ないから、大事を行うのはいけない。小事が吉である。しかし君臣は国家の為に為すべき所があり、天地は萬物を生じさせ、夫婦は一家を興す。つまり半目し合っていても志は通じており、大いなる仕事を為す所がある。

[象伝]

上る方の火と、下る方の沢とで相背くが如くである。しかし君の為に尽くそうという所は皆同じである。人によって皆長じる所が異なっており、武をもって事(つか)える者がいれば、文をもってする者もいる。君子は是を用いて事を為す。

10/12(火) ䷈ 風天小畜(ふうてんしょうちく) 三爻

10/12(火) ䷈ 風天小畜(ふうてんしょうちく) 三爻

【運勢】
畜には、制止するという意味がある。

猛進しようとしていて、止めようとする者との対立が避けられなくなってしまっている。

今無理に進もうとすれば、それまでの道筋が崩れてしまう。

今は小畜のときであるから、自身を制止すべきである。

【原文】

《卦辞》
小畜は亨る。密雲雨ふらず。我が西郊よりす。
彖に曰はく、小畜は柔、位を得て、上下之に應ずるを小畜といふ。健にして巽。剛中にして志行はる。乃(すなは)ち亨(とほ)る。密雲雨ふらずとは、往くを尚ぶなり。我、西郊よりすとは、施、行はれざるなり。
象に曰はく、風、天上を行くは小畜。君子以て文德を懿(よ)くす。

《爻辞》

九三。輿(くるま)輻を說(と)く。夫妻目を反す。

象に曰はく、夫妻目を反すとは、室を正すこと能(あた)はざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕

《卦辞》
大を養い、健をとどめることが出来ない。強い志があれば、うまく行く。四爻が主爻である。二陰四爻は陰に陰でおり、初爻と応じている。三爻は乗り越えることが出来ない。小畜の勢いは密雲を作るに足る。しかし雨を降らすには至らない。陽の上の陰が薄く、今初爻の復道󠄃を抑えることが出来ない。下の方は往くを尊び、上爻だけが三爻の路を固めることが出来る。もし四爻五爻も上爻のように善畜であったなら、よく雨をふらせる。旣に設けられているが、行われない状態である。彖傳は卦全体を言い、象傳は四爻に特化して説明する。

《爻辞》

上、畜の盛と爲りて、以て牽きて征く可からず。斯を以て進む。故に必ず輻を説く也。已に陽の極爲り。上は、陰の長ずるを爲し、陰を畜ひて長ず。自ら復る能はず。方に之れ夫妻反目するの義也。


〔東涯の解釋〕

《卦辞》
畜はとどめる、制止の意󠄃である。一陰が四爻に在り、五爻はこれに従っている。陽は大であり、陰は小である。二爻五爻は剛であり、中を得る。君子が君を得ることを表すので、うまく行くという。二三四爻に☱澤がある。岐周󠄃より西で陰陽が交わり雨を降らそうとするが、陽気がまだ盛んであり、まだ降らない。剛のものが害をなせば柔のものが救う。陽が陰をとどめることが出来ていない。文德は礼樂教化をいう。


〔根本通明の解釋〕

《卦辞》
畜は育成するの意󠄃味である。育ててよいものにしていくことである。小は陰、大は陽である。又止めるの意󠄃味がある。君が悪い方に行くのをとどめ、良い方に導くことである。小は臣であり、君に対するものである。君を諫めるのは難しい。君を徹底して批判するのは正しくない。至誠を以て諫めるのが良い。密雲というのは細かな雲が集まって大きくなることを言う。それは二三四爻の☱澤をさす。雲は陰である。陰が集まっているが陽が作用しないと雨は降らない。上卦の風☴が雲を吹き払ってしまい、雨が降らない。兌は西である。東は陽、西は陰である。西の方に雲ができる。臣下(陰)が天下をよくしようと志す。しかし君主(陽)がそれに応じない。
[彖傳]
四爻が主爻である。これは人に譬えるなら周󠄃公旦であり、その徳を慕って人々が集まってくる。下卦は☰であるから意志が強い。意志が強いが謙遜を忘れていない。下のものが天下をよくしようとどこまでも志すが、君主がそれに応じてくれない。それでも下のものはどこまでも誠を尽くして君に訴える。どこまでも諦めないのである。そして上爻に達すると雨が降る。君主に至誠が通じたのである。そして、恩沢があるが、まだその時でない。
[象傳]
風が天の上をふいて雲が散じたり集まったりして、いろいろな模様ができる。

10/11(月) ䷲ 震爲雷(しんゐらい)→䷈ 風天小畜(ふうてんしょうちく)

10/11(月) ䷲ 震爲雷(しんゐらい)→䷈ 風天小畜(ふうてんしょうちく)

【運勢】

驚くようなことがあったら、自分を見直すとともに、慎重になるべきである。

本卦が震爲雷であり、之卦が風天小畜であり、本卦から之卦に移るとして考えると、雷がなっているのに、まだ雨が降ってこない。

まだ、時でない。そろそろだと思う予兆は出ている。少しの辛抱である。

【原文】


《本卦:䷲ 震爲雷》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。
彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。
象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。

《之卦:䷈ 風天小畜》

小畜は亨る。密雲雨ふらず。我が西郊よりす。
彖に曰はく、小畜は柔、位を得て、上下之に應ずるを小畜といふ。健にして巽。剛中にして志行はる。乃(すなは)ち亨(とほ)る。密雲雨ふらずとは、往くを尚ぶなり。我、西郊よりすとは、施、行はれざるなり。
象に曰はく、風、天上を行くは小畜。君子以て文德を懿(よ)くす。

〔王弼と東涯の解釋〕


《本卦:䷲ 震爲雷》
震は雷鳴を表す。
上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。
人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。
雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。

《之卦:䷈ 風天小畜》

〔王弼の解釋〕
大を養い、健をとどめることが出来ない。強い志があれば、うまく行く。四爻が主爻である。二陰四爻は陰に陰でおり、初爻と応じている。三爻は乗り越えることが出来ない。小畜の勢いは密雲を作るに足る。しかし雨を降らすには至らない。陽の上の陰が薄く、今初爻の復道󠄃を抑えることが出来ない。下の方は往くを尊び、上爻だけが三爻の路を固めることが出来る。もし四爻五爻も上爻のように善畜であったなら、よく雨をふらせる。旣に設けられているが、行われない状態である。彖傳は卦全体を言い、象傳は四爻に特化して説明する。


〔東涯の解釋〕
畜はとどめる、制止の意󠄃である。一陰が四爻に在り、五爻はこれに従っている。陽は大であり、陰は小である。二爻五爻は剛であり、中を得る。君子が君を得ることを表すので、うまく行くという。二三四爻に☱澤がある。岐周󠄃より西で陰陽が交わり雨を降らそうとするが、陽気がまだ盛んであり、まだ降らない。剛のものが害をなせば柔のものが救う。陽が陰をとどめることが出来ていない。文德は礼樂教化をいう。


〔根本通明の解釋〕
畜は育成するの意󠄃味である。育ててよいものにしていくことである。小は陰、大は陽である。又止めるの意󠄃味がある。君が悪い方に行くのをとどめ、良い方に導くことである。小は臣であり、君に対するものである。君を諫めるのは難しい。君を徹底して批判するのは正しくない。至誠を以て諫めるのが良い。密雲というのは細かな雲が集まって大きくなることを言う。それは二三四爻の☱澤をさす。雲は陰である。陰が集まっているが陽が作用しないと雨は降らない。上卦の風☴が雲を吹き払ってしまい、雨が降らない。兌は西である。東は陽、西は陰である。西の方に雲ができる。臣下(陰)が天下をよくしようと志す。しかし君主(陽)がそれに応じない。
[彖傳]
四爻が主爻である。これは人に譬えるなら周󠄃公旦であり、その徳を慕って人々が集まってくる。下卦は☰であるから意志が強い。意志が強いが謙遜を忘れていない。下のものが天下をよくしようとどこまでも志すが、君主がそれに応じてくれない。それでも下のものはどこまでも誠を尽くして君に訴える。どこまでも諦めないのである。そして上爻に達すると雨が降る。君主に至誠が通じたのである。そして、恩沢があるが、まだその時でない。
[象傳]
風が天の上をふいて雲が散じたり集まったりして、いろいろな模様ができる。

10/10(日) ䷨ 山澤損(さんたくそん) 上爻五爻

10/10(日) ䷨ 山澤損(さんたくそん) 上爻五爻

【運勢】

損することなく、皆が豊かになれる。

周りにも富を分けることで、皆が良い生活を送ることができるが、損するのではなく、利益を生む。

節度を守って、事業を始めれば上手くいくとき。

【原文】

《卦辭》

損はまこと有り元吉。咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)用ゐて享すべし。彖に曰はく、損は下を損して上を益す。その道󠄃上行す。損してまこと有り。元吉咎めなし。貞すべし。往くところ有るによろし。曷(たれ)をかこれ用ゐん。二簋(にき)もちゐて享すべし。二簋(にき)時あるに應じ、剛を損して柔を益す。時有り。損益盈虚時とともに行はる。象に曰はく、山下に澤あるは損。君子以て忿(いかり)を懲らし、欲を窒(ふさ)ぐ。

《爻辭》

〈上爻〉

上九。損せずして之を益す。咎めなし。貞にして吉。往くところ有るによろし。臣を得て家なし。象に曰はく、損せずして之を益すとは、大いに志を得るなり。

〈五爻〉

六五。或いは之を益す。十朋の龜も違ふことあたはず。元吉。

象に曰はく、六五元吉は上より祐(たす)くるなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

外卦の艮は陽であり、内卦の兌は陰である。陰は陽に順うものである。陽は上にとどまり、陰は喜んで順う。下を損じて、上を益す。上に上昇するということである。損の道は下を損して上を益し、剛を損して柔を益す。不足を補うものではない。君子の道を長ずるわけでもない。損して吉を得るには、ただ誠の心がある場合だけである。だから元吉なのである。剛を損して柔を益す、それで剛を消さない。下を損して上を益す。それで上を満たして剛を損して邪をなさない。自然にはそれぞれ分というものが決まっている。短き者󠄃が不足しているわけでなく、長者󠄃が余っているわけでもない。損益とは、常なきものであり、だから時とともに動くのである。

《爻辭》

〈上爻〉

上爻は損の最上位に在り、悔いあることが多いが、陽の徳を大切にしているので、應爻の三爻が助けてくれて、損をすることはない。三爻は自分の家を失っても尽くしてくれる忠臣である。あくまで正しくあろうとすべきである。

〈五爻〉

陰が尊󠄄位に居る。尊󠄄を履んで損なので、あるいは益になる。亀は疑いを決める物である。陰は先に唱えてはいけない。柔は自分で任じることは出来ない。尊󠄄にいて、その場を守る。故に人はその力を用い、その功に尽くす。才能を持ったものが集まってくる。十朋の龜を得て、天人の助けを尽くす。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

損は減少である。損䷨は泰䷊の三爻(陽)と上爻(陰)とを入れ替えたものである。下が損して上が益する様である。天子は下を益することで、自らも利益を得るものであるから、下を損させて、益を得ようとすることはよくないことである。損は結果的に良い場合と悪い場合があるが、誠の心があれば問題はない。あくまで正しくあろうとすべきである。二つの簋(祖󠄃先を祭るときに用いる祭器)を用いて祭祀をすればよい。損益は時に應じておこなわれるとよい。

《爻辭》

〈五爻〉

昔は貝を貨幣としており、二つの貝を朋という単位にした。十朋の龜とは澤山の宝石に相当するものである。龜は大変貴重である。比に損があるが、柔順中正である。そして尊󠄄位に居る。二爻の賢人と応じている。五爻は賢人の言をきく。其れは利益となる。賢人と親しくなる益は、諸󠄃鬼神にただし、違うことはない。民の順うところに天は従う。神々も祝福するだろう。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

この卦は「損」を意味する。損とは有る物を失って不足になることである。前の卦の雷水解は、難が解ける卦である。解ければ人の心が緩む。緩めば損を生じる。この卦は、もと地天泰の下卦三爻目を損して、上卦三爻目に益すことによる。地天泰は下卦が乾であるから、下の方が満ちている。つまり人民が富んでいる。初爻目にはじまり、二爻目になると丁度良い加減になるが、三爻目になると度を過ぎてしまう。そこで余りを以て上に献ずる。そうして下卦は兌になり、上卦は艮になるのである。上の方ではこれを止(と)める。上は人民を十分に富ましたいので、献じなくてよいとするが、下は余剰を差上げる所を以て喜びとする。兌の卦は喜びを意味している。こうして上下富んでいるのは、上の徳義による。互いに孚(まこと)があるので、元吉にして咎が無い。しかし、是も程良い所でなければいけない。そこで貞が大切である。乾は満ちているから、奢りが生じる。余剰は御祭用に献上するのが良い。多くの献上物があっても、天子は二簋の祭器しか用いず倹約する。八簋供えるべきところに、僅か二簋だけでも祭りは出来る。孚を以てすれば供物が少なくとも神は是を享けるのである。

[彖伝]

損の卦は下を損(へ)らすから名付けられた。下を損らして、上を益すのである。下は上の為にどこまでも盡したいと思って行う。「損而孚アリ、元吉咎ナシ」とは、前の彖の辭をここへ述べてきたのである。二簋というのは倹約を言うが、損らすのも時による。豊年で献上物が多ければ、益すこともある。下は上に献上するが、上はこれを止めて、倹約をする。内卦の剛を損らして、上卦の陰へ益すというのも時による。凶年の時には上から下へ益して来ることもある。損すべき時には損し、益すべき時には益す。満ちるべき時には満ち、虚なるべき時には虚になる。これも其の時節に従って時と共に行うのである。

[象伝]

山下に澤があるのは損である。君子はこれを用いて怒りを徴らしめる。この「徴」の字は「懲らす」という字と同じである。これは止める義であり、元は乾の卦である。乾は三畫とも剛である。強い所に剛が重なり、気が立って怒りになる。

これを損らして、怒りを止めて、喜びに変ずるのである。三爻目が上へ往って、上六の陰が下に来ると、兌の卦となる。つまり喜ぶところとなる。また欲は坤の卦の象である。坤は吝嗇(りんしょく:極度に物惜しみすること)であって、どこまでも欲が深い。上は坤の卦であるから、欲が盛んである。その欲を窒(ふさ)ぐには、坤の上爻が変じて、艮になれば欲が止むのである。

《爻辞》

〈上爻〉

これは己が既に益を得ているから、その分損をして他人を益することを言うのではなく、咎は無い。「貞吉、利有攸往」は、人民から上の方へ益してきたのである。上爻が五爻目へ行き、五爻目が上爻へ行くと、艮が坎に為る。艮の卦が無くなったから、家なしと言う。「臣を得る」というのは、坤の陰爻が来たからである。坤は險(僉の字源:「亼」は覆いの下に集める、「吅」+「从」で人々が集まる様)であるから人民のことである。人民は皆家をなくして臣となる。臣たるものは我が家を持たない。我が家は無くして、皆上の為にするから、「臣ヲ得テ家ナシ」と言うのである。

[象伝]

大いに志を得るというのは、元来人民の方を富ましたいという志を遂げることである。祀りは倹約を以て二簋で行い、下にとって難儀になる様なことはしない。「大得志也」という。

〈五爻〉

六五と九二は互いに応じて居るが、二爻目は五爻目を益することが出来ない。ここでは上九から益するので、「或いは之を益す」るのである。上九が富んでいるのは、三爻目が六爻目を益したことによる。人民(三爻目)からの献納物を上方(六爻目)で受け取り、これを天子(五爻目)に差上げた格好になる。これは全く当然の事だから、「十朋の龜も違ふ能はず」なのである。一朋は二百十六銭であるから、十朋は二千百六十銭となる。それだけの価値がある上等な龜のことで、これは神霊である。この龜の甲羅で占えば、必ず吉となるのである。

[象伝]

六五を上九が祐(たす)ける。下からの献納物を上九が受けて、そこから天子の方へ廻っていく。よって「上より祐くる也」と云う。