9/9(木) ䷮ 澤水困(たくすいこん)→䷄ 水天需(すいてんじゆ)


【運勢】
澤に溜まった水は地に吸い込まれ、川から海に流れやがて天に昇る。
壮大な自然の巡りに感謝し、身を委ねると良い。
無理に着飾ろうとせず、成果の出ない時は、寡黙に努力し誠実さを体現すべきである。


【結果】

本卦:澤水困(たくすいこん)
之卦:水天需(すいてんじゆ)
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 老陰]
《爻辭》
[四爻][三爻][初爻]


【原文】
《本卦:
澤水困》
困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。彖に曰はく、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。象に曰はく、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。


《之卦:
水天需》
需孚有り。光に亨る。貞にして吉。大川を渉るに利し。彖に曰はく、需は須なり。險前󠄃に在るなり。剛健にして陥らず。其の義、困窮せず。需は孚有り。光に亨る。貞吉とは、天位に位して以て中正なるなり。大川を渉るに利しとは、往きて功有るなり。象に曰はく、雲、天に上るは需。君子以て飲食宴樂す。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《本卦:
澤水困》
困は苦しむことである。しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。


《之卦:
水天需》
天位に居るとは五爻のことである。中正。そして物を待つ。之が需道である。乾德で進めば亨る。童蒙は旣に德を持つ。


〔東涯の解釋〕
《本卦:
澤水困》
正しく生きるということは元々困難なものである。それでも正しいことを続けていかなければならない。徳のない人にはできないことである。口で立派なことを言っているだけでは駄目である。行動が伴わないと信用されない。


《之卦:
水天需》
需は待つべきであるという卦である。下卦の陽は進もうとする。然し前には険難がある。我慢して待てば険難に陥らない。五爻が主爻である。五爻は剛中の才がある。能く待ってから進むことが出來る。心が弱い人は待つことができないで冒険して失敗し困窮する。忍耐は大切である。


〔根本通明の解釋〕
《本卦:
澤水困》
上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。他方、下卦の坎は流れる水である。つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。即ち水不足による困となる。『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。其れで大いに亨る所がある。孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。ここで君子は争わずに時を待たねばならない。
[彖伝]
「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。それで言わない方が良いのである。
[象伝]
水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。


《之卦:
水天需》
下卦の乾は三爻共に陽爻で賢人の象である。上卦の五爻目は陽爻を以て陽位にあり、明君である。しかしながら上卦の坎は水であり、天下が水に溺れる象がある。これは三四五爻目に離の卦があり、主爻となる六四の大臣が、火が物を害する様に天下の人民を苦しめている象である。其所で此の禍の元凶である大臣を、天下の賢人が撃ち拂わければならない。需と云うのは、須(ま)つと云う事である。上卦では力を盡したいと云う賢人を需(ま)ち、下卦では明君が賢人を求める所を需って居る。天子に孚が有り、賢人が国家の為に盡す時には、危険を冒してでも往く所に宜しき所がある。
[彖伝]
需は「須つ」と訓み、「待つ」とは違って、暫く控えると云う義である。険難を前に大事を行おうと思っても、速やかには行われない。天下の賢人は遠く慮る所があり、無理に川を渉って危険に陥らない。九五の天子は天位に居り、何処迄も正しく中庸である。其所で遂に孚の亨る所がある。
[象伝]
雲が天に上り十分に集まった所で雨が降る。即ち需つの象である。下に居る賢人は、時を需って居る間、飲食を以て身を養い、宴楽を以て心を養う。そして時が到れば雷の如くに進んで往くのである。

9/8(水) ䷉ 天澤履(てんたくり) 上爻四爻


【運勢】‬
順調な時、困難な時、様々な状況下での行いが自らの糧となっている。
これまでの行いを省みて、今後の判断に活かすと良い。
柔軟な対応が必要な時こそ、周りが信頼する、礼儀を弁えた誠実な人にならなければいけない。


【結果】
䷉◎⚪︎
天澤履(てんたくり) 上爻四爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 少陽][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][四爻]


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
[上爻 優先]
上九。履を視て祥を考ふ。それ旋れば元吉なり。
象に曰く、元吉上に在りとは、大いに慶びあるなり。
[四爻]
九四。虎の尾を履む。愬愬(さくさく)たり。終(つひ)に吉なり。象に曰はく、「愬愬(さくさく)たり。終ひに吉なり」とは、志行はるるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


《爻辭》
[上爻 優先]
禍福の祥、履む所に生ず。履の極に處り、履道成る。故に履を視て祥を考ふべきなり。極に居りて説くに應じ、高くして危ふからず。是れ其れ旋るなり。履道大いに成る。故に元吉なり。
[四爻]
虎の尾を履むような恐ろしい状況であるが、常に恐れを持って行動している。
その慎しみが上に伝わり目的を達成できる。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
無し


《爻辭》
[上爻 優先]
[四爻]


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象伝]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。


《爻辭》
[上爻 優先][四爻]
九四は天子を輔ける者である。
乾は兌の下に旋(め)ぐる。
四爻目は初爻の下に、五爻目は旋ぐった四爻目の下に、上爻は旋ぐった五爻目の下に旋ぐる。
このように旋ぐると四爻目が虎の尾を履む位置となる。
虎である九三の大臣を撃つのに、九四が手を下す象になる。
危険な所であるから、懼れなければいけない。
「愬」には懼れるという意味がある。
しかし逆賊を除く所であるから、一旦懼れ慎みはするが、終(つい)には虎を撃つことになる。
そこで「終吉志行也」となるのである。

9/7(火) ䷴ 風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し

【運勢】
大きな目標を掲げるだけでは、達成までの道筋が見えず、かえって土台を不安定にしてしまう。
困難な時ほど、細かく目標を立て、段階を踏み進めて行くと良い。
そうして、常に前へと皆の意識を向ける事が大切である。


【結果】

風山漸(ふうざんぜん) 変爻無し
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[変爻無し]


【原文】
漸は女歸いで吉。貞によろし。彖に曰はく、漸は進󠄃むなり。女歸いで吉なり。進みて位を得るは往きて功あるなり。進󠄃むに正を以てす。以て邦を正すべきなり。その位剛。中をえる。止りて巽。動いて窮まらず。象に曰はく、山上に木あるは漸。君子以て賢德にをりて風俗を善くす。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
漸は漸進の卦である。止まりて巽。だから適度に進む。巽に留まるから進󠄃む。だから女嫁いで吉なのである。進んで正しいものを用いる。進んで位を得るとは五爻を指す。この卦は進むことを主る。漸進して位を得る。


〔伊藤東涯の解釋〕
漸は次順番通りに進むことである。巽は長女、進んで上に在る。進めることをゆつくりしなければならないのは、女が嫁ぐ時である。五爻が位を得て、剛が中にある。家を正し、功があるだろう。君子が仕えるときは、進󠄃むに礼を以てし、退󠄃くに義を以てする。五爻剛中の徳がある。


〔根本通明の解釋〕
漸は、小さな木が次第に成長して大木になるように、順序を立てて進んで往く意である。この卦は鴻雁(こうがん)の象を取っている。雁は水鳥で、陰鳥であるから、陽に能く従う。そのため婚礼の時には、雁を以て礼を行う。即ち、女が夫に従う義を取ったのである。また臣たるものは、必ず君に従う。国に生まれた者は、皆君に仕えなければならないと云う義も示している。
[彖伝]
女の嫁入りは、速やかにするものではない。六礼といって、六つの段に分かれており、順次進んで往って婚礼が成る。また天子は天下を治めるのに、先ず我が身を正しくする。正しい所を以て、国家を正しくすることが出来る。
[象伝]
山の上に木がある。君子はこの義を用いて、賢徳ある人物を高い所に据え、賢人の徳を以て社会風俗の悪い所を能く直して行く。

9/6(月) ䷉ 天澤履(てんたくり)→䷡ 雷天大壯(らいてんたいそう)

【運勢】‬
礼儀を弁えた程良い立ち振る舞いが、全ての基本である。
欲深く邪な者は、力の有無に関係無く、機会を逃す。
その場の勢いに従い進む者を他山の石とし、自らを律し冷静な心を保つと良い。


【結果】

本卦:天澤履(てんたくり)
之卦:雷天大壯(らいてんたいそう)
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 少陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][三爻]


【原文】
《本卦:
天澤履》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《之卦:
雷天大壯》
大壯は貞に利し。彖に曰はく、大壯は大なる者󠄃、壯なるなり。剛以て動く。故に壯なり。大壯は貞に利しとは、大なる正しきなり。正大にして天地の情󠄃見るべし。象に曰はく、雷天上に在るは大壯。君子以て禮にあらざれば履まず。


【解釋】
〔王弼、東涯の解釋〕
《本卦:
天澤履》
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


《之卦:
雷天大壯》
[王弼]
大は陽爻をいう。小の道は亡ぼうとしている。大は正を得る。故に利貞である。天地の情󠄃は正大である。廣く正しくあれば天地の情󠄃を見ることが出来よう。壮大で礼に違えば凶。凶であると壮を失う。だから君子は大壮でありながら礼を大切にするのである。

[東涯]

陰が小で陽が大である。四つの陽が壮である。二陰は徐々に薄れていく。君子の道が長く続く時である。其れなのに正しくしていれば吉というのは何故か。人は辛い状況では戒めの気持ちを持つが、楽しい時はとかく邪の心が生じやすいのである。陽の道が盛んな時だからこそ、其の機を逃すべきではなく、ちょっとした間違いに警戒しなければならない。四つの陽がみんな正しいわけではない。私なく、天地の性である正大の道を実践すべきである。盛大な時であるが、つまずくこともある。君子は平素から礼法をまもる。昔の人は天命を畏んだ。雷ほど天威に似たものはない。常に礼を大切にすべき時である。


〔根本通明の解釋〕
《本卦:
天澤履》

下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象伝]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。


《之卦:
雷天大壯》
「大」の字は陽で、初爻目から四爻目まで重なっており、盛んな状態である。また「壮」の字は、鄭玄の解に「気力浸強之名」と有り、気力が浸(つ)いて強まって来たことだと云う。人の年齢で言えば、三十歳になり気力も積み重なって来た所である。剛いと云っても悪い方に強ければ害を為すので、正しい方に固まって居なければならない。
[彖伝]
大なるものが極めて剛くなった。卦徳では上卦の震は「動」、下卦の乾は「剛」である。従って、気力が強く動いて進む。また天の気が動き、萬物を生じる。人間の身体も天地の気を稟(う)けて居り、動いて事を行う時は正しくなければいけない。
[象伝]
雷の気は萬物を生じる所の気である。君子は礼に非ざれば履まずと云う。上卦の震は身体で言えば「足」であり、「礼」は天道天理を以て、履(ふ)んで往くことである。其処で礼に非ざる事であってはいけない。

9/5(日) ䷞ 澤山咸(たくざんかん) 二爻


【運勢】
先入観を持たず、相手の意見を素直な気持ちで捉える。
直感に頼る事が成功へのきっかけとなるだろう。
相手にただ従い、流され易い人間になるのでは無く、落ち着きを保ち、自らの意思で正しい行いをする事が大切である。


【結果】
䷞◎
澤山咸(たくざんかん) 二爻
《卦辭》
[上爻 少陰][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 老陰][初爻 少陰]
《爻辭》
[二爻]


【原文】
《卦辭》
咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利(よろ)し。女を取る吉なり。
彖に曰はく、咸は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨り、貞に利し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。
象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。


《爻辭》
六二。その腓(こむら)に咸ず。凶。居れば吉。
象に曰く、凶と雖(いえど)も居れば吉とは、順(したが)えば害あらざるなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
陰陽二気が揃ってはじめて萬物が化生する。
天地万物の樣は感ずるところに現れる。
同類でないものは心を通わせることが難󠄄しい。
陰は陽に応じるものであるが、下でなければならない。
下に在って初めて吉である。
虚心になって人の意見を受け入れれば、物は感応する。


《爻辭》


〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
咸は感じることである。
反転すると
雷風恒になる。
恒の初爻がこの咸の上爻になったのである。
恒の四爻が下って咸の三爻になったのである。
つまり、柔が昇って剛が下りている。
陰陽二気が通じ合っているのである。
内卦は止まり、外卦は喜ぶ意󠄃である。
艮の少男を兌の少女に下す。
皆和順している。
物事がうまく行き、正しくしていれば害はない。
人が交わる時は、互いが得るものがないと心が通じ合わない。
妄動して心の通わせあいが正しくないと、良くない。


《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辭》
是は下経の始まりである。
上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。
人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。
『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。
上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。
兌は少女、艮は小男である。
上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。
男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。
そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。
[彖伝]
咸は無心で咸じる所を尊ぶ。
情欲の私があってはいけない。
天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。
婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。
天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。
[象伝]
山上に水気が上っているのが咸の卦である。
山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。
それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。
我が満ちていてはいけない。

爻辭

9/4(土) ䷉ 天澤履(てんたくり) 三爻二爻

【運勢】‬
現状にいくら不平不満を訴えても、行動しなければ何も変わらない。
変わらない事に固執すると、精神の平穏を失うだろう。
言うは易く行うは難し。
安請け合いせず、自分の能力で解決出来るか冷静に考えると良い。


【結果
】䷉◎⚪︎
天澤履(てんたくり) 三爻二爻
《卦辭》
[上爻 少陽][五爻 少陽][四爻 少陽]
[三爻 老陰][二爻 老陽][初爻 少陽]
《爻辭》
[三爻 優先][二爻]


【原文】
《卦辭》
虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨(とほ)る。彖に曰はく、履は柔、剛を履(ふ)む。說󠄁(よろこ)びて乾に應(わう)ず。ここを以て虎の尾を履(ふ)む。人をくらはず。亨る。剛中正。帝位を履(ふ)みて疚(やま)しからず。光明あるなり。象(しやう)に曰はく、上天下澤は履。君子以て上下を辨(わきま)へ民の志を定む。


《爻辭》
[三爻 優先]
六三。眇(すがめ)能く視󠄃る。跛(ば)能く履む。虎の尾を履む。人を咥(わら)ふ。凶なり。武人大君と爲る。象に曰はく、眇能く視󠄃るとは、以て明󠄃有りとするに足らざるなり。跛能く履むとは、以て與に行ふに足らざるなり。人を咥ふ凶は位当たらざればなり。武人大君と爲るとは、志剛なればなり。
[二爻]
九二。履の道󠄃坦坦たり。幽人貞なれば吉。
象に曰はく、幽人貞なれば吉とは自ら亂れざるなり。


【解釋】
〔王弼、東涯の卦辞〕
履は踏むことである。上卦は人で、下卦は虎とされる。下卦の虎が口を開いて人に噛みつこうとしている。人が虎の尾を履んで、大変危うい状況にあるが、機を見るに敏であり助かる。喜んで天命にしたがう心があれば無事に済む。


〔王弼の爻辞〕
[三爻 優先]
履の時に居る時は、陽が陽に居ても不謙と言われる。陰が陽に居て、陽の上に乗るなんてもってのほかである。すがめるものである。行動すれば跛である。その様な時に、危険な状況になれば、寅に噛まれる。志剛健があるが、履むところを確認しない。武は人をあなどろうとする。大君と為り、進めば凶を免れない。志は五爻にある。頑ななこと甚だしい。
[二爻]
道を履み、謙譲をとうとぶ。満ちることを喜ばず、務めは誠を致す。外を飾ることを憎む。二爻は陽でありながら陰位に居る。謙を履行するものである。内に居て中を履む。隠しながら顕している。道󠄃を履むことの美が盛んである。険しさや災厄はない。吉である。


〔東涯の爻辞〕
[三爻 優先]
眇は片目が小さいこと。跛は足が不自由なこと。虎の尾を履み、この爻は履の下卦の一番上に居て、不中不正である。才がなく志が高い。成功したいと願っている。武人が大君と為り、志は强いが凶である。荒󠄃い武人は先を見通せず、時を得ることが出来ない。そしてその強さを恣にして、結局敗れてしまうのである。往々にしてあることである。剛を履んでことを爲すことは出来ない。
[二爻]
坦坦とは道が平󠄃らなことである。剛中で下に在る。上に応じるものがないが、履行する所󠄃は道が平坦である。用いられても陥れられても心が乱れることはない。正しくしていればよいのである。利害の絡む場合、どうしても予期せぬ事態に巻き込まれてしまう。一方、利害の外に超然としていれば、道は平坦である。天下が乱れていては隠れて正しさを守るのが吉である。


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
下の兌の卦が虎で、虎は大臣の象である。革命の卦である沢火革では「虎変ず」とある。虎が乾の卦を履んで行く、つまり大臣が天子に咥ひ付くのである。天子が咥ひ付かれないようにするには、後ろに巡って虎の尾を履んで行けば良い。
[彖伝]
「履柔履剛也」は、乾が兌の前にある、つまり陰爻の兌=柔が陽爻の乾=剛を履んでいることである。虎は始めの内は従順であり、佞人(ねいじん:口先巧みにへつらう、心のよこしまな人)の巧言令色の卦である。天子の思召し通りに何でも其れを輔け、段々と立身し大臣と為ったが、いよいよ欲が深くなって君を侵す勢いとなり、天子は迂闊にしていると噛まれてしまう。そこで天子が虎の尾を履めば噛まれることはなく、道が亨るようになる。上九に「其旋元吉」とあり、上卦が下卦の下に旋(めぐ)って入れ替われば、沢天夬となり、虎の尾を履むことが出来る。そのため九五に「夬履」と云っている。沢天夬に「夬、揚于王庭。孚号、有厲」とあるのは、大臣を撃つことである。これを他の注解は全く書いておらず、下らない解釈ばかりである。
[象伝]
上に天があり、下に沢がある。沢は至って低い所であり、天地よりも天沢の方が猶低い所である。二・三・四爻目に離がある。離には礼儀の象意がある。そいて天沢の二字を用いて「辨上下」とある。つまり礼儀として上と下との区別を立てることである。上下の別を辨じて民の志を定めるのである。民は沢の如く、君は天の如きものであり、沢が上がって天に為るべき道は無い。「定民志」は、上を侵すべき道が無いという事が定まっていることである。


《爻辞》
[三爻 優先]
三爻目は虎の口である。至って剛情で、不正なる者である。目や足が片方しか無いのは、邪(よこしま)な心の譬えである。虎は君を犯して、大君となる勢いである。天子は油断できない。そこで虎の後ろに旋って、尾を履んで往く。
[象伝]
片目や片方の足では、明らかに見ることは出来ず、人に追いつくことも出来ない。六三は陰爻を以て陽位にあり、陽を犯す所の象がある。乱臣賊子の懼れるべき所を示す。
[二爻]

9/3(金) ䷶ 雷火豐(らいかほう)→䷅ 天水訟(てんすいしょう)

【運勢】
勢いの盛んな時は、その勢いを正しい方向へ向けなければならない。
争い事に執着したり、負の感情に流されてしまう様では、かえって物事の成就から大きく離れてしまう。
認め合いの精神が大切である。


【結果】

本卦:雷火豐(らいかほう)
之卦:天水訟(てんすいしょう)
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 老陰][四爻 少陽]
[三爻 老陽][二爻 老陰][初爻 老陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][三爻][二爻][初爻]


【原文】
《本卦:
雷火豐》
豐は亨る。王、之に假る。憂ふる勿れ。日中に宜し。
彖に曰はく、豐は大なり。明󠄃以て動く。故に豐なり。王、之に假るとは、大を尚ぶなり。憂ふる勿れ。日中に宜しとは、天下を照らす宜しきなり。
日中するときは則ち昃(かたむ)き、月󠄃盈(み)つるときは、則ち食󠄃す。天地の盈虚、時とともに消息す。而るを況や人に於いてをや。況や鬼神に於いてをや。
象に曰はく、雷電皆至るは豐。君子以て獄を折し刑を致す。


《之卦:
天水訟》
訟は孚有り。窒がる。惕(おそ)れ中するは吉。終はれば凶。大人を見るに利ろし。大川を渉るに利ろしからず。彖に曰く、訟は上剛下險。險にして、健なるは訟。「訟は孚有り窒り、惕(おそ)れて中すれば吉」とは、剛來たりて中を得るなり。「終はれば凶」とは、訟、成すべからざるなり。「大人を見るに利し」とは、中正を尚(たうと)ぶなり。「大川を涉るに利しからず」とは、淵に入るなり。象に曰く、天と水と違ひ行くは訟。君子以て事を作(な)すに始を謀(はか)る。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《本卦:
雷火豐》
豐の義はひろめる、ひらく、微細にするである。
隠れ滞っているものを通して天下の主となって、微隱にはうまく行かない。
憂えは未だに収まっていない。
だから、豐は亨に至るのである。
そして憂えが無くなる。
豐亨憂えなきの德を用い、天中に居るべきである。そして天下を照らす。


《之卦:
天水訟》
訟は訴える、訴訟の意󠄃味である。外は剛健で、内は陰険である徳の無い人は訴訟を好む。結局のところ、訴訟に勝つことは出来ない。


〔伊藤東涯の解釋〕
《本卦:
雷火豐》
豐は盛大である。
知有りて動く。
よくうまく行く。
王者が大事業を起こす時である。
火を日とし、下に在る。
その徳の光明、あまねく四方を照らせば、憂うことなく、自然と豊大である。
人は明󠄃がなければ物を照らすことできない。
動かなければ事業は出来ない。
明にしてよく動く。
昔は湯王の徳を慕っていった。
天が王に勇智を錫(たま)う。


《之卦:
天水訟》
五爻は王の位であるが、この王は物事の是非を弁えた裁判が出來る。大川とは内卦の
を表す。訴訟の結果、原告も被告も最終的には損をする。やらない方が良い。


〔根本通明の解釋〕
《本卦:
雷火豐》
「豊」は腆(あつ)いと云う義で、物が厚く充ち満ちて居ることである。
世の中で云えば、天子が名君で政事が能く行き届いて居り、天下が盛んで富んでいることである。
しかしながらどれだけ盛んであっても、衰える所も出て来る。
下卦の離は日である。
東に在る時は未だ日が低いが、日中になれば遍く東西南北を照らし届かない所は無い。
ただし日が昃(かたむ)くといけない。
[彖伝]
天子の明徳は宜しく四海天下を照らすべきで、暗い所が出て来てはいけない。
しかしながら日が南中すれば、やがては傾いて往く所がある。
月も満ちれば、欠けて来る。
天地の道は斯くの如きもので、いつまでも保つことは難しい。
人間の主でなって居る所の鬼神と雖も、神明なることもあれば、時には神明ならざることもある。
自然の勢いと云うものは、力を以て動かすことは出来ない。
[象伝]
雷と電が一書に来るのが豊の卦である。
天下が皆富んで、上下安楽の時である。
しかし安楽であると、自然と人の心には奢りが出て来るようになる。
其処で刑罰を厳重にしなければいけない。


《之卦:
天水訟》
天水訟の前の卦の需は飲食の道である。飲食の次に生じるのは、慾による争いである。そこで訟の卦となる。『説文解字』によれば、訟は争である。鄭玄の解には「辨財曰訟」とあり、金から争いが生じ、裁判するのが訟である。訟は容易に起こすべきでなく、誰もが尤もと頷く所が必要である。つまり孚(まこと)が無ければならない。孚は坎の象で水である。水の潮汐は正確で間違いが無いことに由来する。また水は危険なものという象でもある。窒は塞ぐの義で、自分の争いの心を引きとめることである。一旦訟えても仲裁の流れが出て来たなら、中頃で止めるのが良い。剛情にして遂げ終えるのは凶である。
[彖伝]
訟の大なる所では上と下との争いになり、上は何処までも剛にして、下を圧制したり税を課したりする。三・四・五爻目の巽の卦は、利益を志向する象である。そうなれば下は抵抗し、危険で険悪なる心が生じてくる。一旦訟を持ち出すも、上から仲裁の諭しがあれば、中頃で訟を取り下げ止めるのが良い。五爻目は中を得ている陽爻で明君であるから、必ず喜んで服する所となるだろう。
[象伝]
天と水は本は分かれて反対になる所があるが、元来は同じものである。訟をするにも何事においても、抑々の始まりを考えてみなければいけない。

9/2(木) ䷌ 天火同人(てんかどうじん) 上爻五爻

【運勢】
志を同じくする者が協力し合えば、より一層物事は進むだろう。
ただ大きな変化、責任を伴う事なので、細かい判断も正確にしなければならない。
心労がたたり、心折れてしまわない様に、適度な休憩が大切である。


【結果】
䷌◎⚪︎
天火同人(てんかどうじん) 上爻五爻
《卦辭》
[上爻 老陽][五爻 老陽][四爻 少陽]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻 優先][五爻]


【原文】
《卦辭》
同人野に于てす。亨る。大川を渉るに利ろし。君子の貞に利ろし。
彖に曰はく、同人は柔位を得、中を得る。而して乾に應ず。同人といふ。「同人野においてす。亨る。大川を涉るによろし。」とは、乾行くなり。文明にして以て健。中正にして應ず。君子の正なり。


《爻辭》
[上爻 優先]
上九。同人、郊(こう)においてす。悔いなし。
象に曰はく、同人、郊(こう)においてすとは、志未だ得ざるなり。
[五爻]
九五。同人。先には號咷(ごうとう)して後には笑ふ。大師克ちて相遇ふ
象に曰はく、同人の先は中直を以てなり。大師相遇ふは相克つを言ふなり。

解釋
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
「同人野においてす。亨る。大川を涉るによろし」は、二爻の能くする所ではないこれが乾の行う所である。故に特に同人に曰くという。健を行うに武を使わずに、文明を使って之を用いる。相応してに邪を応じずに、中正によって応じる。君子の正しき事である。故に「君子、貞に利し」という。君子は文明をもって徳にする。天、上にあって、火の炎上げている。同人の意味である。君子、小人、各々同じくする所を得る。


《爻辭》
[上爻 優先]
郊は外の極みである。人と同じくするの時に、最も外に在る。同志を確保できなくても、内の争いから遠いところにいる。故に悔なしと言っても吝である。またその志を未だ得ていない。およそ同人の所にいて、これを泰んぜざれば、則ち必ず戦いを用いる。大いに通ることができなくなり、則ち各々其の党を私して、焉を利すことを求める。楚人弓をなくしても、楚を亡ぼすことは出来なかった。国を愛すること愈甚しければ、益々他の災いを起こしてしまう。是を以て同人弘くせず。剛健の爻、皆戦いを用いるに至ってしまう。
[五爻]
彖に曰く、柔位を得、中を得て、乾に應ずるを同人と曰ふ。然れば則ち柔を體して中に居り、衆の與へる所。剛を執りて直を用ふ、衆の未だ從はざる所。故に近づいても二の剛に隔てられ、未だ厥の志を獲ず。是を以て先には號き咷ぶなり。中に居りて尊に處り、戰へば必ず克く勝つ。故に後には笑ふなり。物をして自ら歸り使へて其の強く直なるを用ふること能はず。故に必ず大師を須て之に克て、然る後に相遇ふなり。


〔伊藤東涯の解釋〕
《卦辭》
同人とは人が互いに心を同じくすること、共に同じ目標を有することである。天(日)と火は同じ火の性である。野は広い場所のことで、狭い集団での友情も大切であるが、より広い範囲で人と交流することが、大きなことを成し遂げる際には必要である。そのためには正直で、正しい心を大切にしなければならない。


《爻辭》
[上爻 優先]
「郊においてす」とは、外に在って遠いところにいることをいう。この爻は同人であって、外に居て、応じるものがいない。「同人、郊(こう)においてす」の象に有りて、交じりて私昵ではない。故に後悔することがない。思うに交通の弊害である。則ち、とても親密になりすぎると最後には、必ず後悔する。
[五爻]
號咷とは泣く声である。二爻と応じてゐる。二爻と心を同じくし、三爻四爻の二陽は防ごうとするが志を遂げられない。最後は二爻と五爻は遇う。最後まで倦まず、善を行うべきである。


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
同人は、人と人が互いに相親しくして、吉凶ともに同じくする。野は都から遠く離れた田舎で、山や谷の間に居る者までも親しくするという義である。これは乾の象である。天下一軒の家の如くして居れば、互いに亨らない所は無い。九五の天子は六二の賢人を深く信用して、之を用いて往く。
[彖伝]
六二は陰爻を以て陰位に居り、位を得て居る。また下卦の真ん中にあるので、中を得て居る。これは賢人で、中正なる道徳があり、天道に応じて居る。乾は上卦であり、上は外であるから、内から外へ旋って往く。人は道徳を以て普く進んで行う所の義である。之は仁者であり、君子である。天下皆悉く応じて来る。
[象伝]
「天興火」の興は親しむと訓む。また火と天は元は同じ物である。人間も天の分子であるから、御互に親しまなければならない。族を類するとは、分家が自分達の先祖である宗家の祭りへ聚って来ることである。物を辨ずるというのは、聚って来た者は皆代数や衣服などが異なり、其々仕分けて往く所を云う。


《爻辭》
[上爻 優先]
[五爻]
九五は六二の賢人に遇おうとして呼び掛けるが、其の者は此方へ来る事にはならない。其所で歎くが、後には遇う所となり笑うことが出来る。併し是は容易な事では無い。間の九四、九三の悪い奴を師さを以て、撃ち払ったのである。そうして遇うことが出来たから、是程の喜びは無い。「断金の交わり」は是から出た事である。九五と六二の間に陽爻が二つあり間を妨げているが、双方が遇おうと思う心の鋭い所は刃物の如くで、間を隔てている金を貫く所となる。
[象伝]九五の天子は剛直で中正なる所を以て、終に思う所を遂げた。君臣の間で邪魔をするものを撃ち破るのは容易な事では無い。九三と九四も剛敵である。大いなる師さを挙げて、漸く戦に勝って遇ったのである。

9/1(水) ䷲ 震爲雷(しんゐらい)→䷼ 風澤中孚(ふうたくちゅうふ)

【運勢】
力や勢いに任せて人を動かそうと考えても、そこに尊敬や信頼の念が無ければ傲慢だと一蹴されてしまう。
信頼を得るには、まず自分から。
何事にも誠実に対応する事が、内面の成長に繋がるだろう。


【結果】

本卦:震爲雷(しんゐらい)
之卦:風澤中孚(ふうたくちゅうふ)
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 老陰][四爻 老陽]
[三爻 少陰][二爻 老陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻][五爻][四爻][二爻]


【原文】
《本卦:
震爲雷》
震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり。笑言啞啞(ああ)たり。震百里を驚かす。匕鬯(ひちょう)を喪はず。
彖に曰はく、「震は亨(とほ)る。震の來たるとき虩虩(げきげき)たり」とは、恐れて福を致すなり。「笑言(しょうげん)啞啞(ああ)たり。」とは、後に則あるなり。「震百里を驚かす」とは、遠きを驚かして邇(ちかき)を懼(おそ)れしむるなり。出でて以て宗廟社稷を守りて、以て祭主と爲すべきなり。
象に曰はく、しきりに雷するは震。君子以て恐懼(きょうく)脩省(しゅうせい)す。


《之卦:
風澤中孚》
中孚は豚魚の吉なり。大川を渉るに利し。貞に利し。
彖に曰く、中孚は柔内に在りて、剛中を得る。説(よろこ)びて巽(したが)ふ。孚ありて乃ち邦を化す也。豚魚の吉とは、信(まこと)豚魚に及ぶなり。大川を渉るに利しとは、木に乘りて舟虚なるなり。中孚以て貞に利し。乃ち天に應ずるなり。
象に曰く、澤上に風有るは、中孚なり。君子以て獄を議し死を緩す。


〔王弼と東涯の解釋〕
《本卦:
震爲雷》
震は雷鳴を表す。
上下両方とも震であり、雷鳴が轟くときは傲慢になった人々も恐れ、敬意を取り戻す。
人々が恐れ敬いの心を取り戻せば、規則が守られ、幸福になる。
雷鳴は遠方まで轟きわたり、人々を驚かせるが、そんな中でも先祖を祭り、神々を祭る人は重い責任にたえられる人である。


《之卦:
風澤中孚》
[王弼]
柔が内にあって、剛が中を得ている状態でいる。直(なお)く正しいことであり、柔順であることである。皆がよろこんでしたがうだろう。そのような真心の厚い行いがいきわたる。このような状況は、剛中から発するのである。魚は蟲のように潜む隠者のことを指しで、豚は獣のような賤者を指す。そのような者にもその真心が通じるだろう。木の舟は中が空洞なので水に浮かんで大川を渡れるように、真心で中(あた)れば、どんなに困難なことも成し遂げられる。中孚は天に応じている。
[東涯]
孚は信である。
豚魚は江豚である。
大きな澤に住み、風が起これば必ず出現する。
二陰が四陽の中にある。
二爻と五爻は共に剛中の徳があり、心が誠実である。
だから中孚というのである。
己に信があれば物は必ず感じる。
木が澤の上に在る。
真ん中が空洞の舟であり、櫂もある。
大難を過ごして、誠を守る。
誠があれば物は何でも動かせる。
まだ誠がない場合は物を動かせない。


〔根本通明の解釋〕
《本卦:
震爲雷》
前の卦は火風鼎である。
鼎(かなえ)は天子の宝器のことで、日本では三種の神器にあたる。
皇統一系は天道であって万世不易のものであるから、革命が起こっても必ず皇統一系に引き戻さなければならない。
そのため火風鼎が示すように、皇后に子が無ければ、妾の子であっても皇位を嗣がせなければならない。
こういう理由で鼎の卦の次に、震の卦を置いたのである。
『序卦伝』にも「器を主(つかさ)どる者は長子にしくはなし。故にこれを受くるに震(しん)をもってす」とある。
この震は皇太子の象である。
皇太子はどのような困難に遭っても、何所までも忍耐して必ず位を嗣がなければならない。
震は剛(つよ)いから亨る。
また震は雷であり、この卦は雷を以て説く。
卦全体の主になるのは初爻目である。
虩虩(げきげき)とは恐懼する姿である。
激しい雷には聖人といえども恐れ慎む。
『論語』にも「迅雷風烈は必ず変ず」と出ている。
大いなる災難が来るが、恐れ慎めば後には必ず福を得ることになる。
天が天下を委任するに相応しい人だと思えば、禍(わざわい)を降して其の人の心身を苦しめる。
艱難辛苦を経ることで忍耐力が養われて、後に大事を為せるのである。
「笑言唖唖」とは、はじめ難に遭って苦しむが、後には安楽となり喜び笑う所となることである。
「匕鬯(ひちょう)」は、宗廟の祭祀のときに天子自ら使う道具である。
匕(ひ)は鼎の中の肉を掬(すく)い取る匙(さじ)である。
鬯(ちょう)は鬱金草(うこんそう)という香草を入れて醸した酒のことである。
この酒を地に撒くと香気が立ち上り、これによって神を降ろすのである。
このように匕と鬯は、祭祀に於いて最も重要であることから、この卦で取り上げられるのである。
身を砕くほどの雷が鳴っても、匕鬯を行える忍耐力が無ければいけない。
[彖伝]
「震亨、震来虩虩」と云うのは、災難に見舞われるも、恐れ慎んで徳を修めることで、遂に天の福を招く所となる。
「笑言唖唖、後有則也」には、「後」という字が加えてあり、難と福の順序を失わないようになっている。
雷により胆力を養い徳を修めた所で、皇太子が御殿から出て天子の位を継ぎ、宗廟社稷を守って祭る所の主人となることが出来る。
乾為天四爻目の「或いは躍る」がこれにあたる。
つまり天子が健在でも時によって皇太子が出て、宗廟社稷の祭祀を代わりに行えるだけの準備が出来ていることを意味する。
[象伝]
この卦は震が二つある。
二度も三度も打ち重なって雷鳴が響く。
君子は難に遭うことで、恐れ慎んで徳を修めて、我が身を省みる所が出てくるのである。


《之卦:
風澤中孚》
心中に存する孚に感応して動く所が中孚である。我が孚が豚魚の様であれば吉である。豚魚は豕に似た魚の事である。平生は水の上に出ないが、風が出て来る時には必ず水面に出て来る。船に乗り魚を獲る者は、風信と名付け、風を人に示す所に間違いが無いと信じる。この豚魚を信じるが如く、孚があれば人の信用を得られ、危険を踏み越えて往くことが出来る。孚は正しい所を以てするので無ければいけない。
[彖伝]
内側の六三六四は柔で、九二九五の剛は中を得て居り、中庸を得て居る。下卦の兌は說びがあり人を愛し、上卦の巽は行いが謙遜で傲らない。其所で天下の人々は我が孚の精神に感じて、悪い者も自然と善き方へ化して来る。我が方の孚を人が信用する所は、豚魚に能く及んで居る。
[象伝]
この卦を大きく見て、初二爻を一つの陽爻、三四爻を一つの陰爻、五上爻を一つの陽爻とすれば、離の卦と解釈できる。離は明らかさの象があり、白と黒を判けるが如く、罪人の善悪を能く明らかにする。互體(ニ三四爻)は震の卦で、雷の如く決する所がある。また春の象があり、萬物を生育する如く恩恵が深く、処分を緩める所がある。

8/31(火) ䷣ 地火明󠄃夷(ちかめいい) 上爻

【運勢】‬
現実に即した考え方というのは、ただ悲観的である事とは違う。
良く考え行動する事は大切だが、複雑に考え過ぎるとかえって的外れになってしまう。
一人で思い悩まず、人との交流を深め、見聞を広げる事が大切である。


【結果】
䷣◎
地火明󠄃夷(ちかめいい) 上爻
《卦辭》
[上爻 老陰][五爻 少陰][四爻 少陰]
[三爻 少陽][二爻 少陰][初爻 少陽]
《爻辭》
[上爻]


【原文】
《卦辭》
明󠄃夷は艱貞によろし。
彖(たん)に曰はく、明󠄃、地中に入るは明󠄃夷。内文明にして外柔順。以て大難を蒙る。文王これを以てす。「艱貞によろし」とは、その明󠄃を晦すなり。内艱にして能くその志を正す。箕子之を以てす。
象に曰はく、明󠄃地中に入るは明󠄃夷なり。君子以て衆に莅(のぞ)みて晦を用ゐて明󠄃なり。


《爻辭》
上六。明ならずして晦(くら)し。初めは天に登り、後には地に入る。
象に曰く、初めは天に登るとは、四國を照らすなり。後には地に入るとは、則を失へばなり。


【解釋】
〔王弼の解釋〕
《卦辭》
衆に莅むは顯明にして、百姓を蔽ひ僞る者なり。故に蒙を以て正を養ひ、明夷を以て衆に莅む。
明を内に藏めれば、乃ち明を得るなり。明を外に顯かにすれば、乃ち辟くる所なり。


《爻辭》
明夷の極に處り、これ晦きに至る者なり。その初めに本づくなり、光照に在り。轉じて晦きに至り、遂に地に入る。


〔東涯の解釋〕
《卦辭》
明󠄃夷は目をくらますことである。心の中では聡明で大きな徳を有しているが、外面は柔順である人、例えば文王のような人である。箕子は紂の親戚で國内にいたが、難󠄄に会い、内に志を正した。


《爻辭》


〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
明らかなるものが傷ついて夷(や)ぶる。内卦の離は明らかなるもので、外卦の坤は欲である。前の卦の火地晋の明徳が欲のために夷ぶれ亡びようとする所の卦である。
[彖伝]
明らかなるものは地の底に這入って悉く失われる。明徳を身に懐いていながら、その明徳を外に現さずに巽順にして能く仕えている。その結果、柔順なる聖人は大難を蒙る。ちょうど文王と殷の紂王の無道なる時に該当する。
[象伝]
明らかなるものが地の中に這って真っ暗に為った所が明夷である。君子は万民の上に立って晦を用いる。天子は余り世間の事を細かい所まで見るようではいけない。


《爻辞》