7/23 (木) ䷁ 坤爲地(こんいち) 五爻

【運勢】

無為自然であれば、正しく徳を積む事が出来る。

人間社会での価値観に囚われると、先に進めなくなってしまうだろう。

どこまでも世界の意思に従い、自分に求め、他人に求めない、君子の道は美しい。

【原文】

《卦辭》

坤は元(おほ)いに亨(とほ)る。牝馬の貞に利(よ)ろし。君子往くところ有り。先(さきだ)つときは迷ひ、後るるときは主を得るに利あり。西南には朋を得る。東北には朋を失ふ。安貞にして吉。彖に曰はく、至れるかな坤元。萬物、資(よ)りて生ず。乃ち順にして天を承(う)く。坤、厚くして物を載す。德无疆に合ふ。含弘光大にして品物、咸(ことごと)く亨る。牝馬は地類。地を行くこと疆なし。柔順利貞は君子の行ふところ。先だつときは迷ひて道󠄃を失ひ、後るるときは順にして常を得る。西南には朋を得る。乃はち類と行く。東北には朋を喪ふ。すなはち終に慶有り。安貞の吉は地の无疆に應ず。象に曰はく、地勢は坤。君子以て厚德者物を載す。

《爻辭》

六五。黃裳は元吉なり。

象に曰はく、「黃裳元吉」とは、文、中に在るなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

坤は貞によろしい。

牝馬によい。

馬下にあって行く。

牝馬は柔順の至りである。

柔順を尽くして後にうまく行く。

牝馬の正しいものによろしい。

西南は人を養う地である。

坤の方角である。

だから友を得る。

東北は西南の逆である。

友を失う。

乾は龍を以て天を御し、坤は馬を以て地を行く。

地は形の名である。

坤は地を用いるものである。

両雄は並び立たない。

二人主が居るのは危うい。

剛健と對をなす。

長く領土を保つことが出来ない。

順を致していない、地勢が順わない。

その勢は順。

《爻辭》

黄色は中の色である。

裳は下を飾る。

坤は臣の道󠄃。

下を飾り、剛健さが無い。

そして物の情勢を極める。

理を通す。

柔順にして尊󠄄位にいる。

武を用いるのは良くない。

陰が盛んで、陽に変わられることも予想できない、文人が中を得る。

美の極みである。

大吉。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

坤の爻はすべて陰。

順の至りである。

牝馬は柔であり強く行く。

この卦は柔にして健である。

主に遇うとは、陽に遇うことである。

西南は陰、東北は陽。

順の至りでうまく行く。

君子まず行くところがあれば迷い、後に主を得る。

西南に行くと友を得て、東北に行くとその友は離れる。

正しいことだけをしていれば吉。

天の気を承け萬物を生ず。

陽に先んじてはならず、陽の後に行けばよい。

《爻辭》

黃は中の色である。

上を衣と言い下を裳という。

この爻は柔順中正で最尊󠄄位に居る。

自ら其の裳を着る。

元吉である。

君子の徳は人に承認されることを求めない。

盛徳の至りである。

坤は地の道󠄃である。

だから五爻だからと言って君主ではない。

ただ君子の道󠄃を言う。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

坤は乾と對であり、乾は天、坤は地である。

牝馬の話が出るが、これは乾の方が牡馬であることをも示している。

臣たるもの、必ず朝󠄃廷に行って君に仕えなければならない。

しかし、無学では全く役に立たないから、そのためには朋(とも)をもって助け合わなければならない。

西南は坤である。

☴巽の卦、☲離の卦、☷坤の卦、澤兌の卦は陰の卦である。

そこで、西南に陰の友が集まっている。

朋は友と違う。

一緒に勉強するもののことを朋というのである。

友とは朋の中でも特に親しいものである。

朋の字は陰で、友の字は陽である。

始めのうちは陰の友達が必要である。

そこで西南が良いのである。

また、東北は朝󠄃廷を意味する。

乾の気で萬物は始まり、坤の気で萬物に形が備わる。

坤の卦は地の上に地を重ねているから、地盤は盤石である。

天の気がどこまでも拡大していくのに、陰の気はどこまでも従うのである。

牝馬が牡馬に従うように、臣下は君主に仕えるのである。

先に行こうとしてはいけない。

常に後ろについていくべきである。

臣下は朋友を失うことになるが、君主に仕えることでそれを克服するだけの喜びを得る。

慶(ケイ、よろこ)びは高級な臣下の卿(ケイ)に通じる字である。

上に鹿の字が附くが、昔は鹿の皮を以て喜びを述べた。

人々が集まってくるのである。

[大象傳]

地が二つも重なっているので盤石である。

物を載せても耐えられる。

つまり様々なことを任されても耐えられる存在なのである。

《爻辭》

鄭玄(じょうげん)の説に従うと、舜が堯に試されて政治をし、周󠄃公が成王が幼少だったので政をしたことを表すという。

坤は臣たるべきものであり、五爻の君主の座にいるはずがない。

それなのに鄭玄は臣下が君子を代行したという。正しいことではない。

鄭玄は『書経』の注釈で周󠄃公旦が王位についたかのような書き方をしているほどである。

この坤は陰であるから、皇后を表すとするのが正しい。

腰より下に着るものを裳といい、腰より上に着るものを衣という。

衣裳の衣が天子、裳が皇后である。

黄色は五行の土の色である。

乾爲天の五爻の王の配偶の皇后である。

だから元吉である。

7/22 (水) ䷿ 火水未濟(かすいびせい) 上爻

【運勢】

何事にも恐れず、意欲的であるから、思った通りに物事が進むだろう。

素直な心を持ち続けているのでとても良い。

しかし、今の心持ちを忘れてしまうと、大きく転ずるので、注意しなければならない。

【原文】

《卦辭》

未濟は亨(とほ)る。小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る。其の尾を濡らす。利(よろ)しき攸(ところ)无(な)し。

彖に曰はく、「未濟は亨る」とは、柔、中を得るなり。「小狐、汔(ほとん)ど濟(わた)る」とは、未だ中に出でざるなり。「其の尾濡らす利しき攸无し」とは、續いで終らざるなり。位に當たらざると雖も、剛柔應ずるなり。

象に曰はく、火、水上に在るは未濟。君子以て愼みて物を辨(わきま)へて方に居る。

《爻辭》

上九。飲酒に孚(まこと)あれば、咎(とが)なし。其の首を濡らせば孚有れども是を失ふ。

象に曰はく、「酒を飲みて首を濡らす」とは、亦節󠄄を知らざるなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

柔が中にあり、剛に違わない。

よく剛健を納めるので、うまく行く。

小狐が大きな川を渡ることができない。

あと少しの所󠄃で実現できない。

剛健が難を抜き、その後に可能になる。

ほとんどわたれるが、危険を脱することができない。

小狐渡れるだろうが、余力がない。

もう少しで渡れるのであるが、力尽きる。

終わりまで続けられない。

今も険難の時である。

未濟はまだ険難の時が終わらないの意󠄃味である。

位に当たらないので未濟である。

剛柔が応ずれば済む。

《爻辭》

未濟の極みである。

既濟の逆である。

任ずるところは当たる。

任せるところが当たると、信じられる。

疑いなくして喜ぶ。

だから飲酒にまことがあり、咎められないという。

よく物を信じられるので、喜びを得る。

事が廃れるのを恐れないが、楽しみに耽ることが甚だしく、節󠄄を失するまでに至る。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

未濟は事が成就しないことである。

火が上に在り、水が下に在る。

上下交わらない。

互いに用いないので未濟という。

五爻は柔で中にいる。

ことはよく通󠄃るが、初爻は陰で一番下にいて中に到らない。

狐は陰の存在であり、積極的にやろうとすると失敗に終わる。

始めはうまく行く。

そして、下に止まっていればよいのである。

いたずらに難局を打開しようとすれば失敗する。

君子は外は時勢を見て、内は己の才をはかる。

上が陽で下が陰である。

互いに妨害しない。

《爻辭》

上爻は剛明󠄃の才を以て最上の位に居る。

不安が無いわけではないが、天命に任せているので楽しみがあり、不安を忘れる。

ただし、楽しみに耽るのが度を越せば、其の首を濡らすに至るという。

注意しなければならない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

下は水上は火である。

水は低きにあり火は上に昇るもので、居るべき場所にいるが、互いに和することが無い。

互いが作用しないので、萬物が創造されない。

しかし、両者あるべき場所に在る。

しかし、いずれは互いに動き出し、交わり始めるのである。

だから最終的には亨るのである。

☵坎は狐である。

この卦の場合、小さな狐である。

それが川を渡ろうとするが、終にはしっぽを濡らしてしまう。

狐は川を渡る時にしっぽを濡らさないようにあげている。

疲れてくるとしっぽが下がり、水につかって驚いて引き返してしまう。

忍耐力が無いのである。

忍耐力が無いと何事をしてもうまく行かない。

気力が無いと何事も達成できないのである。

[彖傳]

柔が中を得ている。

五爻のことである。これが主爻である。

また初爻に關しては、あと少しのところまでやって、忍耐力なく引き下がる。

この卦全体でみると、ことごとく全て位を外している。

陰は陽に居て、陽は陰に居る。

しかし、隣同士陰陽で相性が良く、うまく行っている。

また、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻、それぞれ応じている。

最終的にはうまくいくのである。

[象傳]

火は南に居り、水は北に居る。

自分の居場所をはっきりとしていて、混じるところが無い。

何事もはっきりと分ける象である。

☲離はものを明󠄃らかにする。

それぞれが自分のいる場所にいることを示している。

《爻辭》

上爻は戦も終わって君臣相和らいで宴会を開いている。

宴会の時も君臣、よく身分を弁えていれば間違いがない。

安楽に耽って、だんだん増長するようではいけない。

[象傳]

飲酒が行き過ぎて節度が無くなる。

宴会もほどほどでやめなければならない。

折角太平になっても、節度を忘れて安楽に耽ってばかりいると、また乱世になってしまう。

7/21 (火) ䷦ 水山蹇(すいさんけん) 初爻

【運勢】

悩みを抱えるが、早急に解決しようと焦ってはいけない。

どの道を通っても厳しいのは、今が行くべき時では無いからである。

進んだ先で大成するので、その時に備え、学と徳を積むと良いだろう。

【原文】

《卦辭》

蹇(けん)は西南によろし。東北によろしからず。大人を見るによろし。貞にして吉。彖に曰はく、蹇は難󠄄なり。險(けん)前に在る。險を見てよく止まる。知なるかな。「蹇は西南によろし」とは、往きて中を得る。「東北によろしからず」とは、その道窮(きは)まるなり。「大人を見るによろし」とは、往きて功あるなり。蹇の時用大なるかな。象に曰はく、山上に水あるは蹇。君子以て身に反して德を修(をさ)む。

《爻辭》

往けば蹇(なや)み、來れば譽(ほまれ)あり。

象に曰はく、「往けば蹇み、來れば譽あり」とは、宜しく待つべきなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

西南は地であり、東北は山である。

難󠄄しい平地を行けば解決は難しい。

難󠄄しい山地を行けば道󠄃が窮まる。

爻は全部位に当たっている。

正しきを履んでいるのが、邦を正す道である。

ただし、難に遇うと正を失う。

それは良くない。

小人には対処できない。

難󠄄を除くには德を高めるしかない。

《爻辭》

難の始めの所󠄃であり、止まるの始めである。

事前に危ないことが分かり、其時を待つ。

往けば難󠄄に遇い、来れば誉ありである。

〔伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

蹇は難である。

進みことができない。

前に難があり進めず、険難があるので止まる。蹇が変わると解になる。

解の二爻が外卦の五爻に行って中を得る。

だから、西南がよく、止まりて進まない。

東北に利なし。

五爻は位に当たって中正。

君を得て、國を正すことが出來る。

だから賢人に遇う時であるという。

世が乱れているので、蹇に遇えば身を滅ぼす。

時を待って行動せよ。

我が身を反省して、德を修めよ。

《爻辭》

君子は安全な場所にいて、天命の時を待つ。

小人は往きて難󠄄に遇い、破滅する。

時を待ちて動け。

名誉を求めない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

蹇は歩行が難󠄄しい状況である。

西南がよい、上卦が☵であるが、上に在る時は月󠄃である。

二三四爻の互卦にも☵がある。

これは三日月を表す。

旧暦の三日に西南から現れ、東北になくなる。

又西南は坤である。

草莽にいてどこまでも学問をして學藝を磨くのかよい。

何の能力もなく朝廷に出ようとしてはならない。

艮は朝󠄃廷を表す。

学問を修めたのなら、賢人に遇って、天下を経営するのに良い。

[彖傳]

☵の卦は大水であり、行けばおぼれてしまう。

☶は止まるであるから、大水に行かずにとどまった。

目の前に大水があるので、進めない。

止まるべきところで止まるのが知である。

西南に於いて学問を修めから、東北に行けば賢人に遇って、明君を得ることになる。

今は無学であるから、進んでも利なし。

険難の時代に生まれても大いに活躍できるのである。

[象傳]

君子は険難の時代には、良いことをしようとしてもうまく行かない。

そこで、己を正しくして、だんだんと德を修めると二爻から上爻までは正しい位にいるが、初爻だけは陽の位に陰でいる。

始めが正しくないといけない。

だから君子はまず自分の修身から始めるのである。

《爻辭》

外に行くのではなく、内に入ってとどまっておけば、それが誉であるという。

つまり、時を待つべきである。

[象傳]

時を待たねばならない。

無闇に進むのは良くない。

7/20 (月) ䷷ 火山旅(かざんりょ) 二爻

【運勢】

とても上手く行っていたが、行き過ぎて大きく転じてしまい、力を失う事になる。

力が無いので、徳を持たなければ、助けてもらう事は出来ない。

幸いに、助けてくれる人が居るので、進む事が出来るだろう。

【原文】

《卦辭》

旅は小(すこ)し亨(とほ)る。旅、貞なれば吉。

彖に曰はく、旅は小し亨る。柔、中を外に得て、剛に順ふ。止まりて明󠄃に麗(つ)く。是を以て小し亨る。旅、貞なれば吉なり。旅の時義、大なるかな。

象に曰はく、山上に火有るは旅。君子以て明󠄃に慎みて、刑を用ゐて、獄を留めず。

《爻辭》

六二。旅、次󠄄に卽(つ)く。其の資を懐き、童僕の貞を得たり。

象に曰はく、「童僕の貞を得たり」とは、終ひに尤无きなり。

【解釋】

〔王弼の解釋〕

《卦辭》

貞吉(ていきち)であることには達しておらず、ただ遠くに行くという状況に於いて貞吉なだけである。

だから、特に重ねて「旅貞吉」とあるのである。

物がその主を失うと散る。

柔が剛に乘る。

五爻は剛位に乘り、また外卦の中を得ている。

陰は陽に従って、陽は尊󠄄位を得ていない。

小し亨る。

旅は大いに散る時で、物は元の場所󠄃を失う時である。

《爻辭》

次󠄄は旅先で安んずることである。

二爻は位にあたっており、旅で必ず宿舎を得る。

資金も懐にある。

童僕の正しい者を得る。

〔伊藤東涯の解釋〕

旅は旅行である。

五爻は陰で、順の徳がある。

安全な場所で、命を待つ状況にないと言っても、柔順の徳がある。

少しはうまく行くのである。

旅で生き抜くには、ただ正しいだけでなく、智略も必要である。

旅の時には、助けてくれる人も必要である。

信用できない人に頼ってはならない。

《爻辭》

旅の途中、柔順で中正である。

必要な資金は懐にあり、さらに心が正しい童僕を得た。

両方とも、道中大変ありがたいものである。

道中最も安定ているといえる。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

この卦は諸侯でいえば国を失い、大夫でいえば家を失ったものにあたる。

一つ前に䷶雷火豐があるが、これが転倒してしまったのである。

贅沢が過ぎて、身を滅ぼしてしまったのである。

その後、旅に出る。

旅に出ると、威張っていてはどうしようもないので、身を小さくしておくのが良い。

謙遜の態度を守って、正しくしていればうまく行くのである。

[彖傳]

この卦の五爻の陰爻は、元々は䷶雷火豐の時には、内卦にいた。

それが外に出たので、旅をするというのである。

旅に出たはいいが、陰であり独立自尊の気概がない。

そこで、上爻と四爻に依存している。

このようにただ縮こまっていてはいけない。

旅は大変危険なものであるから、ちゃんとした助けが必要で、公明正大な人間についていくべきである。

怪しい人間は避けた方が良い。

[象傳]

山は動かず、火は行き過ぎる。

この二つが同居しているのが旅である。

君子は刑罰を慎まねばならない。

なぜなら、旅に出て、家を離れ、國を離れたものが罪を犯すことがある。

それはその土地の法をよく知らないから、無意識に犯しがちである。

君子は一人一人を大切にしなければならないので、旅人だからと言っていい加減に裁いてはならない。

慎重に刑罰を行うべきである。

《爻辭》

二爻は旅の卦の中で一番安定している。

次とは宿のことで、旅人が宿を得たということである。

そればかりではなく、懐には資金があり、童僕もいる。

童僕とは若い召使と年を取った召使である。

二人とも忠誠心があり、旅の友としては最適である。

お金をたくさん持っていても安心である。

[象傳]

童僕が良く尽くしてくれるので、憂えが無くなるのである。

7/19 (日) ䷤ 風火家人(ふうかかじん) 四爻


【運勢】

時世に心を悩ませるよりも、家族の為に生きると良い。

隠し事をせず、話し合いをする事で、家族の絆を強固に出来る。

これは、家族に諸々の好機が訪れる事だけで無く、世の中の安泰にも繋がるだろう。

【原文】

《卦辭》

家人は女の貞によろし。彖に曰はく、家人女位を内に正し、男位を外に正(ただ)す。男女正しきは天地の大義なり。家人に嚴君(げんくん)有りとは、父母の謂(い)ひなり。父は父たり。子は子たり。兄は兄たり。弟は弟なり。夫は夫なり。婦は婦なり。而して家道󠄃正し。家を正しくして、天下定まる。象に曰はく、風火より出づるは家人。君子以て言物有りて行恒あり。

《爻辭》

六四。家を富す。大吉。

象に曰はく、「家を富す。大吉。」とは、順にして位に在るなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

家人の爻は家族それぞれが一家を治める道について説く。

家の外の他人のことは分からない。

家人は夫人のことである。

☲は中女を表す。☴は長女を表す。

四爻が主爻である。主に女性について説かれている。

家をそれぞれがうまく治めることで天下も治まるのである。家庭円満の象である。

《爻辭》

富を治めて柔順で位に居る。

だから大吉である。

陰で上の五爻の陽爻と比の関係にある。

よく家の中を治め、富み榮える。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

家人は家族全員のことであるが、この卦は上が長女下が中女であるから、女ばかりである。

家の中がいざこざなく、よく治まるためには女がしっかりしなければならない。

この卦の女性は全員和合しており、家はよく治まっている。

国家に当てはめると、五爻が天子、二爻が皇后である。

兩方中である。

皇后の助力により、宮中はよく治まり、朝󠄃廷が治まり、天下が治まるのである。

[彖傳]

五爻が天子で二爻が皇后であり、陰陽正しい位置にある。

これはすべての家に言えることで、嚴君というのは、立派な父親と母親を指す。

子供は母親に甘えがちであるが、母親が甘やかすと子供に良くないので、厳しさが求められる。

家族それぞれが自分の為すべきことをして家はよく治まる。

婦と妻と二つの字がある。

双方婚礼を平等にするときに妻といい、旣に嫁入りしてからは婦という。

中男と兄にも嫁がある。

一つの家に三つの夫婦が揃っている。

[象傳]

この卦の場合、☴は木、☲は火である。

物を煮たり焼いたりするのは竈である。

竈をよく治めることが家を治める時の第一である。

家族は秘め事をしてはいけない。

《爻辭》

四爻は陰で陰の位に居り、長女の主爻である。

天子の妃となるので、家を富ます。

貯蓄が得意である。

[象傳]

良く家が締まっている。

婦人が立派なので家が富み栄える。

大吉。

7/18 (土) ䷱ 火風鼎(かふうてい) 四爻


【運勢】

大きな好機を得るが、慎重に進まなければ、好機を活かす事は出来ない。

助け合いの心が何より大切である。

人任せでいると、折角の好機があらぬ方向に進み、責任を取る事になる。

【原文】

《卦辭》

鼎は元(おほ)いに吉、亨(とほ)る。

彖に曰はく、鼎は象なり。木を以て火に巽れて、亨飪(かうじん)するなり。聖人亨(かう)して以て上帝を亨す。而して大いに亨して以て聖賢を養ふ。巽(そん)にして耳目(じもく)聡明(そうめい)。柔進みて上行す。中を得て剛に應ず。是を以て元いに亨る。

象に曰はく、木の上に火有るは鼎(てい)。君子以て位を正し、命を凝(あつ)む。

《爻辭》

九四。鼎足を折り、公の餗(そく)を覆(くつがへ)す。その形渥たり。凶。

象に曰はく、公の餗を覆すとは信に如何ぞや。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

古い制度が新しく刷新され、新しい制度が定着するので大吉である。

さらに、それが長くなる持続するので亨るという。

鼎(かなえ)は食べ物を煮炊きする器である。

程子はこの卦自体が鼎の形を象っているとする。

初爻が鼎の足で、二爻から四爻までが鼎の腹、五爻が口で、上爻が蓋であるとする。

下が木德であり、上が火德であるから、物の煮炊きに良いので、鼎とされるのである。

革の卦と対応しており、五爻と二爻が応じており、和順で聡明である。

だから、大吉なのである。

何かをする時に人の助けがあり、その人に任せられる。

君臣の心が通じ合っている。

おそらく、亨と烹は音が通じるので古代にはどちらも使われていたのであろう。

《爻辭》

[王弼]

四爻は上卦の土台にあたり、初爻と応じている。

その任に耐えられないので、足が折れるという。

そのせいで、尊󠄄位のひとの食事をこぼしてしまった。床が食べ物で濡れている。

[伊藤東涯]

諸本には「形渥」を「刑屋刂」とつくる。重い刑である。

陰の位なのに陽でいる。

この大臣は天下の賢人と力を合わせて行動しなければならない。

そこで応じている初爻を登用したが、実力がなく任に堪えなかった。

それで公(四爻)に大恥をかかせることになる。それを鼎の足が折れて、公の食事をこぼすと表現しているのである。

気が合うからと言って小人を用いてはならない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

鼎は三足の鍋で、天下の宝器であり、王の象徴である。

日本でいうところの三種の神器である。

鼎は五味を調和することが出來る。

だから肉であれ、魚であれ、釜で煮た後、最後は鼎に移して味を調えたのである。

天地宗廟の祭祀に用いる神饌は鼎で調理され、賓客への御馳走も鼎が用いられた。

伏羲の時代には、一つの鼎が宝器であった。

もとより天地万物は一つのものから生じたわけで、天地人の三才は鼎の三足、それが鼎により調和されるのである。

それが黄帝の時代に三つの鼎になった。

三才を表すためであるという。

堯舜までは三つであった。

その後、夏王朝初代の禹王の時代に九つになった。

なぜなら、九州(漢󠄃土全体は九つの國に分かれていた)を象徴するためである。

周代まで九つであった。

政治も料理と同じで、五味を調和して誰にとってもおいしいものでなければならない。

だから鼎が王の象徴なのである。

王を助けるのは宰相であるが、この宰の字は肉を盛って料理をこしらえるという意味である。

そして十翼に鼎を主るのは長子であるとする。

つまり、皇太子が皇統を継ぐべきであるというのである。

それでこそ元吉なのである。

[彖傳]

初爻が鼎の足、二から四までに☰があるが、これは物が入る部分である。

五爻が耳、上爻が持ち運びのためのひもにあたる。五爻の耳に通すのである。

元来、鼎は門外で煮炊きするもので、宗廟の門外東である。

[象傳]

木の上に火がある。

火は物を煮炊きするのに必要であり、強すぎても弱すぎてもいけない。

火にも陰陽があり、陽の火は強すぎて、すぐにものが焦げてしまう。

逆に弱すぎると火が通らないで生のままである。

陰陽が程よい状態ではじめて煮炊きが可能である。

牛羊豚で鼎を分ける。

是を三鼎という。

三鼎は日月星を表す。

心は巽順で耳目がしっかりしている。

五爻の王は二爻の賢人を用いて大いに栄えるのである。

《爻辭》

四爻は大臣である。

この大臣は自分と気が合うという理由だけで、徳の無い初爻を用いてしまった。

それで、任に堪えず国政は混乱する。

丁度鼎の足が重みに堪えず、折れてしまい、中に入っていた料理がこぼれてしまうようなものである。

その料理というのが、宗廟に捧げる神饌で、八珍である。

八珍とは八つの珍味という意味で豪華な料理である。

八の数字にこだわらなくてよく、四方八方から極上の食材が集まったということである。

極上の料理も、それを担当する人間のせいで台無しになる。

政治も大臣の私心のせいで、変な人間に任せると大変なことになるのである。

その大臣に対する刑は至極ひどいもので、屋刂という。

小さな小屋で行われ、人に見せないために屋刂というもので覆いながら行われる。

駄目な人間を私心で雇ったら、大臣が罰を受けるのである。

[象傳]

政治の混乱が起こってはどうしようもない。

その悪人を私事で用いた大臣には極刑が施行されるのである。

7/17 (金) ䷅ 天水訟(てんすいしょう) 三爻

【運勢】

正しいか間違えているかに関わらず、争いを始めると、徳を失うだろう。

自分本位になりすぎていないか確かめると良い。

自分を支えてくれている人の言葉を良く聞き、其れに従う事が大切である。

【原文】

《卦辭》

訟は孚有り。窒(ふさ)がる。惕(おそ)れ中するは吉。終(を)はれば凶。大人を見るに利ろし。大川を渉るに利ろしからず。

彖に曰く、訟は上剛下險(じょうごうかけん)。險にして、健なるは訟。「訟孚有り。窒り、惕れて中すれば吉」とは、剛來たりて中を得るなり。「終はれば凶」とは、訟、成すべからざるなり。

「大人を見るに利し」とは、中正を尚(たうと)ぶなり。「大川を涉るに利しからず」とは、淵に入るなり。

象に曰く、天と水と違ひ行くは訟。君子以て事を作(な)すに始を謀(はか)る。

《爻辭》

六三。舊德に食󠄃む。貞厲終ひに吉。或いは王事に從ふ。成󠄃ることなし。

象に曰はく、「舊德に食󠄃む」とは、上に從へば吉なるなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

訟は訴える、訴訟の意󠄃味である。

外は剛健で、内は陰険である。

徳の無い人(二爻)は訴訟を好む。

行き詰って、結局のところ、訴訟に勝つことは出来ない。

五爻は王の位であるが、この王は物事の是非を弁えた裁判が出來る。

大川とは内卦の☵を表す。

訴訟の結果、原告も被告も最終的には損をする。

やらない方が良い。

君子は訴訟が起こらないように初めから考えている。

《爻辭》

三爻は陰であり上に従う。

二爻から訴えられることもない。

自分の所有する物を保つことが出來る。

訴訟の時、二つの陽の間に挟まれていて危うけれども、その柔順の徳により最終的には無事である。

もし王に仕えることがあったなら、自分の手柄を主張してはいけない。

ただ号令を待つべきである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

天水訟の前の卦の需は飲食の道である。

飲食の次に生じるのは、慾による争いである。

そこで訟の卦となる。

『説文解字』によれば、訟は争である。

鄭玄の解には「辨財曰訟」とあり、金から争いが生じ、裁判するのが訟である。

訟は容易に起こすべきでなく、誰もが尤もと頷く所が必要である。

つまり孚(まこと)が無ければならない。

孚は坎の象で水である。

水の潮汐は正確で間違いが無いことに由来する。

また水は危険なものという象でもある。

窒は塞ぐの義で、自分の争いの心を引きとめることである。

一旦訟えても仲裁の流れが出て来たなら、中頃で止めるのが良い。

剛情にして遂げ終えるのは凶である。

[彖伝]

訟の大なる所では上と下との争いになり、上は何処までも剛にして、下を圧制したり税を課したりする。

三・四・五爻目の巽の卦は、利益を志向する象である。

そうなれば下は抵抗し、危険で険悪なる心が生じてくる。

一旦訟を持ち出すも、上から仲裁の諭しがあれば、中頃で訟を取り下げ止めるのが良い。

五爻目は中を得ている陽爻で明君であるから、必ず喜んで服する所となるだろう。

[象伝]

天と水は本は分かれて反対になる所があるが、元来は同じものである。

訟をするにも何事においても、抑々の始まりを考えてみなければいけない。

《爻辭》

二爻が周りを先導して五爻の王を訴えようとしている。

三爻は最初は二爻に惑わされて賛同したが、よくよく考えると、自分は代々、王からの恩恵を受けてきたことを悟り、二爻の煽動に乘らず、王に仕えたのである。

だから、二爻との關係はよろしくないが、臣下としての節󠄄を曲げなかったので、最終的には吉である。

[象傳]

三爻は常に自分から行動することはなく、常に王の命令を受けて行動する。

あくまでも天子に従うので吉である。

7/16 (木) ䷮ 澤水困(たくすいこん) 四爻

【運勢】

困難に遭っても、焦らずに、「冷静沈着でいる事」を心掛けると良い。

言葉では無く、「行動で示す事」が信頼に繋がるだろう。

困難な時こそ真価が問われるので、「努力を惜しまない事」が大切である。

【原文】

《卦辭》

困は亨(とほ)る。貞なり。大人は吉にして咎なし。言ふ有り。信ぜられず。

彖に曰はく、困は剛、揜(おほ)はるるなり。險以て說󠄁(よろこ)ぶ。困みてその亨るところを失はず。それただ君子のみか。貞なり。大人は吉。剛中を以てなり。言有り。信ぜられずとは、口を尚(たうと)べば乃ち窮まるなり。

象に曰はく、澤に水なきは困。君子以て命を致して志を遂ぐ。

《爻辭》

九四。來ること徐々。金車(きんしや)に困(くる)しむ。吝(りん)なれども終はり有り。

象に曰はく、來ること徐々とは、志下に在るなり。位に當(あた)らずと雖(いへど)も、與(とも)有るなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辞》

困は苦しむことである。

しかし、最後は苦しいながらも屈することなく困難から脱出できるだろう。

正しく生きるということは元々困難なものである。

それでも正しいことを続けていかなければならない。

徳のない人にはできないことである。

口で立派なことを言っているだけでは駄目である。

行動が伴わないと信用されない。

《爻辭》

四爻は初爻を志しているが、二爻の金車(堅い車)に邪魔されている。

金車とは二爻である。

陽爻で剛く、物を載せるのによい車である。

気の合う者󠄃がいても、間に障害があってなかなか会えないで困っている。

しかも、初爻と二爻とは相性が良い。

しかし、四爻は初爻と応じており、我慢すれば最終的には初爻と会うことが出來る。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦の兌は堤防で水を止めて置く所である。

他方、下卦の坎は流れる水である。

つまり堤防の底から水が流れており、貯えた水が尽きて無くなる。

即ち水不足による困となる。

『説文解字』には、古廬(古き家)とあり、家の用を為さないことが困とある。

しかし人というものは、困難に遭うことで益々奮発し気力が振るう。

其れで大いに亨る所がある。

孟子にも、天が国家の大事を任せ得ると思う人間に対しては、天の方から困難を与えるとある。

九二は剛中で中を得ており大人(たいじん)であるが、初爻と三爻目の二陰=小人(しょうじん)に一陽が挟まれている。

つまり君子が小人の為に苦しめられる所の象である。

もし讒言に罹っても、正しきを弁ずるのはいけない。

ここで君子は争わずに時を待たねばならない。

[彖伝]

「剛弇(おお)はるる」というのは、二爻目が陰爻に挟まれていることである。

「険以説」というのは、困難の中にあって困らず、身が苦しくても心は道を失わず、亨る所となる。

「言あるも信ぜられず」というのは、困難に遭った時に正しい所を弁じてはかえって窮する。

それで言わない方が良いのである。

[象伝]

水が無くなり窮する所となるが、君子は天より享けた命=道徳を行う。

何処までも履(ふ)んで行こうとする志を遂げるのである。

《爻辭》

四爻は初爻と応じており、四爻は陽爻、初爻は陰爻で陰陽も応じていて、非常に相性が良い。

しかし、初爻は小人である。

徳が無い。

その諸初爻が助けを求めるので四爻は助けに向おうとするが、何分初爻は信用できないので、二の足を踏んでいる。

しかも、二爻の賢人が初爻のところに行ってはならないと教え諭す。

初爻を助けたいという気持ちに悩まされるが、二爻の諫めもあって、初爻のところに行かず小人と関わらずに済んだ。

[象傳]

志が下に在るというのは、四爻が初爻を助けようとすることである。

四爻は陰の位に陽でいるが、二爻の賢人の助けを得て、世の中を救うことが出來る。

7/15 (水) ䷬ 澤地萃(たくちすい) 二爻

【運勢】

何かしらの貴重な機会を得るので、大切にすると良い。

自分を偽らずに過ごす事で、仲間と心を一つにする事が出来る。

賑やかである事は問題無いが、気を抜き過ぎると危険である。

【原文】

《卦辭》

萃(すい)は亨(とほ)る。王は有廟(ゆうびょう)に假(か)る。大人(だいじん)を見るに利(よろ)し。亨る。貞に利し。大牲(だいせい)を用ふれば吉。往く攸(ところ)有るによろし。

彖に曰く、萃は聚(じゅ)なり。順にして以て說󠄁(よろこ)ぶ。剛中にして應ず。故に聚(あつむ)るなり。「王有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るによろし。亨る。」とは、聚むるに正を以てするなり。

「大牲を用ゐて吉。往く攸(ところ)有るによろし」とは、天命に順ふなり。其の聚むる所を觀て、天地萬物の情見るべし。

象に曰はく、澤、地に上るは萃。君子以て戎器を除き、不虞を戒める。

《爻辭》

六二。引いて吉。咎なし。孚(まこと)有れば乃(すなは)ち禴(やく)をもちうるによろし。

象に曰はく、「引いて吉。咎なし。」とは、中未だ變ぜざるなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

萃は集まることである。

物事がうまく行く、王は宗廟に至り、人々は集まる。

その中には偉大な人もういるので、賢人に遇う機会を得られる。

假は至の意󠄃で『春秋左氏傳』でもそのように使われている。

「六月󠄃丁亥、公大廟に假(いた)る」三つの陰が下に集まり、上は五爻に従う。

内卦は柔順であり、外卦は喜びであるから、君臣が通じ合っている。

祭祀は大切にすべきである。

古代の王は宗廟を祭り、祭祀を嚴修することで民の心をつないでいた。

《爻辭》

二爻は初爻三爻と共に五爻に従おうとしている。

中の徳が失われていないからである。

それは良いことで、王は祭祀に彼らを用いるの良い。

〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

萃の下に亨の字があるのは間違いである。

萃とは草がたくさん集まって茂っている様を言う。

地の上に沢があるので草木が密集して茂るのである。

王が宗廟を祭る時は全国から人々が集まり、特産品が集まってくるのである。

そして、豚羊牛で祭るのが良い。

そうすれば、人々の心は一つになり、何事を行うにも良い状況となる。

[彖傳]

萃は集まるの意󠄃味で、内卦は順、外卦は喜ぶ。

天下の人が天子の徳を慕って集まってくるので、天子は天下の様々なものを以て宗廟を祭る。

天命にしたがうというのは、☴巽の卦が内包されてゐるからで、天命とは風と關係があるのである。

天子の恩沢に人々は集まるのである。

[象傳]

人々が集まってきたなら、思わぬ争いごとが起こるかもしれない。

そこで油断はできず、兵器の手入れを怠ってはならぬということである。

《爻辭》

二爻は陰の位に陰でいるから正しい。

そして五爻の王の許に初爻、三爻を率いていく。

禴(やく)という夏の祭に登用すべきである。

何故なら夏はお供え物が腐りやすく、澤山は供えられない。

そんな時は、物ではなく、真心をもった二爻のような者󠄃を祭員として、神に誠をつくすのが良い。

[象傳]

他の者が四爻に気を取られていても、二爻だけは五爻の王だけを慕っている。

あくまで五爻に集まるのである。

7/14 (火) ䷅ 天水訟(てんすいしょう) 五爻


【運勢】

皆の利益になる事を思い付き、其れを行うが、公平さを指摘される。

理不尽に感じたとしても、争いを避ける事が何より大切である。

正しいか間違えているかに関わらず、争いを始めると、徳を失うだろう。

【原文】

《卦辭》

訟は孚有り。窒(ふさ)がる。惕(おそ)れ中するは吉。終(を)はれば凶。大人を見るに利ろし。大川を渉るに利ろしからず。

彖に曰く、訟は上剛下險(じょうごうかけん)。險にして、健なるは訟。「訟孚有り。窒り、惕れて中すれば吉」とは、剛來たりて中を得るなり。「終はれば凶」とは、訟、成すべからざるなり。

「大人を見るに利し」とは、中正を尚(たうと)ぶなり。「大川を涉るに利しからず」とは、淵に入るなり。

象に曰く、天と水と違ひ行くは訟。君子以て事を作(な)すに始を謀(はか)る。

《爻辭》

九五。訟、元吉。

象に曰はく、「訟、元吉」とは、中正を以てなり。

【解釋】

〔王弼、伊藤東涯の解釋〕

《卦辭》

訟は訴える、訴訟の意󠄃味である。

外は剛健で、内は陰険である。

徳の無い人(二爻)は訴訟を好む。

行き詰って、結局のところ、訴訟に勝つことは出来ない。

五爻は王の位であるが、この王は物事の是非を弁えた裁判が出來る。

大川とは内卦の☵を表す。

訴訟の結果、原告も被告も最終的には損をする。

やらない方が良い。

君子は訴訟が起こらないように初めから考えている。

《爻辭》

尊󠄄位であり、訟の卦の主爻である。

中正の考えに基づいて曲直を判断すれば、誤ることはない。

公正であれば偏ることなく、邪になることもない。

だから、大いに吉である。

強すぎれば過酷過ぎ、弱すぎればいい加減になる。

中正が第一である。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

天水訟の前の卦の需は飲食の道である。

飲食の次に生じるのは、慾による争いである。

そこで訟の卦となる。

『説文解字』によれば、訟は争である。

鄭玄の解には「辨財曰訟」とあり、金から争いが生じ、裁判するのが訟である。

訟は容易に起こすべきでなく、誰もが尤もと頷く所が必要である。

つまり孚(まこと)が無ければならない。

孚は坎の象で水である。

水の潮汐は正確で間違いが無いことに由来する。

また水は危険なものという象でもある。

窒は塞ぐの義で、自分の争いの心を引きとめることである。

一旦訟えても仲裁の流れが出て来たなら、中頃で止めるのが良い。

剛情にして遂げ終えるのは凶である。

[彖伝]

訟の大なる所では上と下との争いになり、上は何処までも剛にして、下を圧制したり税を課したりする。

三・四・五爻目の巽の卦は、利益を志向する象である。

そうなれば下は抵抗し、危険で険悪なる心が生じてくる。

一旦訟を持ち出すも、上から仲裁の諭しがあれば、中頃で訟を取り下げ止めるのが良い。

五爻目は中を得ている陽爻で明君であるから、必ず喜んで服する所となるだろう。

[象伝]

天と水は本は分かれて反対になる所があるが、元来は同じものである。

訟をするにも何事においても、抑々の始まりを考えてみなければいけない。

《爻辭》

この五爻の天子は中正である。

大いに吉。

[象傳]

天子がどこまでも中世の正しき所を以てするのである。

それで中正なりという。