7/3 (金) ䷒ 地澤臨(ちたくりん) 四爻

【運勢】

とても勢いがあるので、どんな事でも上手く行くだろう。

何事にも、意欲的であると良い。

こう言った好機は長く続かないので、備えておく必要がある。

【原文】

《卦辭》

臨は元(おほ)いに亨(とほ)る。八月󠄃に至りて凶有り。彖に曰はく、臨は剛浸して長ず。

說󠄁(よろこ)びて順。剛中にして應ず。大いに亨りて以て正し。天の道󠄃なり。八月に至りて凶有りとは、消すること久しからず。

《爻辭》

六四。至臨す。咎めなし。

象に曰はく、「至臨す。咎めなし。」とは、位當たるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

臨は下を見下ろすこと、臨むことである。

下から陽が二つ目まできており、たいへん勢いがある。

また、上から下を見下ろす余裕がある。

今はとても運気が良い。

しかし、八月には悪いことが起きるので、そのための備えを忘れてはならない。

《爻辞》

四爻は懇切叮嚀な大臣であり、初爻と相性が良く(応じ)、問題はない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦の坤は岸である。

岸の高い所から、下の水に臨んでいる。

臨は望とは違う。

望は遠くを見ることで、臨は高所から下を見ることである。

天子が尊い位から、下の万民を見るのが臨の卦である。

一・二爻目の陽爻が段々盛んになっていく。

九二は時で言えば旧暦十二月、十二支では丑の月である。

次に三爻目が陽爻となれば地天泰、四爻目が陽爻となれば雷天大壮、五爻目が陽爻となれば沢天夬、上爻が陽爻となれば乾為天、初爻が陰爻となれば天風姤、二爻目が陰爻となれば天山遯、三爻目が陰爻となれば天地否となる。

つまり、二爻目から数えて八ヶ月目に至って凶の卦となる。

[彖伝]

初爻目のみが陽爻の時は一陽来復で、初めて陽気の出た所の卦、地雷復である。

続いて二陽になって此の臨となる。

さらに三陽、四陽と長じて盛んになる。

順は、心が說び行いにも現れる所で、天道に背き違う所の無い所である。

剛中の九二の君子は徳があり、それに六五の天子が応じ、陰陽相和する所がある。

そこで大いに亨る。

明君は己を虚しくして賢人に能く応じるから何事も行われる。

八ヶ月目で凶が出て来るのは、盛んなる中に予め戒めたのである。

[象伝]

地の上の高い所から下を俯瞰する。

君子は思慮深くして物を教える。

深く考えるのが兌の象である。

教えを思うのは兌、無窮というのは坤である。

萬物を生じるのに窮まりが無い。

坤の地は良く兌の水を容れて、能く萬物を生じさせる。

その様に上なる者が人民を能く保って往く所が尤疆である。

《爻辞》

坤の地は厚く萬物を載せても破れない。

厚いのは摯(ねんご)ろという義がある。

至の字は摯の字と通じている。

親切で人情に篤い。

六四は大臣の位で、此の大臣が心底から親切で人情に篤い。

それで咎は無いのである。

[象伝]

陰を以て陰の位に在り、その位置が正当である。

7/2 (木) ䷞ 澤山咸(たくざんかん) 上爻

【運勢】

自分の心持ちを良く考え行動する事で、思慮深く、秩序を守り生きる事が出来る。

心持ちを理解したからと言って、欲に忠実であってはいけない。

直く、正しく生きるのが良いだろう。

【原文】

《卦辭》

咸(かん)は亨(とほ)る。貞に利(よろ)し。女を取る吉なり。

彖に曰はく、咸(かん)は感なり。柔上りて剛下る。二氣、感應(かんわう)して以て相與(そうよ)す。止(とどま)りて說󠄁(よろこ)ぶ。男、女に下る。是を以て亨(とほ)り、貞に利(よろ)し。女を取りて、吉なり。天地感じて萬物化生す。聖人人心を感ぜしめて、天下和平󠄃。その感ずる所を觀て、天地萬物の情見るべし。

象に曰く、山上に澤有るは咸。君子以て虚にして人に受く。

《爻辭》

上六。その輔、頬舌(けふぜつ)に咸ず。

象に曰く、その輔、頬舌(けふぜつ)に咸ずとは、口說󠄁に膝(あぐる)なり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

咸は感じる、互いに好意的であるの意味である。

剛柔が相応じて助け合うので思い通りに行くという。

柔がのぼり、剛が下るので、結婚に最適とされる。

当然夫婦になってからも咸を大切にしなければならない。

喜びがあっても、羽目を外すのは良くない。

正しくあろうとすべきである。

《爻辞》

上爻は好意的であることが行き過ぎてしまった爻である。

言葉巧みに人を喜ばせようとするが、内実が伴っていない。

これでは人はついて来ない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

是は下経の始まりである。

上経は天地を以て示した所で、下経は人を以て示す所である。

人倫の道は夫婦が始まりであるので、此の卦が下経の始まりなのである。

『序卦伝』では、この卦の始めに宇宙の発生の順番を「天地、萬物、男女、夫婦、父子、君臣、上下、礼儀」としており、夫婦は父子君臣に先立つ。

上卦は沢、下卦は山で、沢の水気が山の上に十分に上った象であり、山の気と沢の気と相交わっている。

兌は少女、艮は小男である。

上は外、下は内であるから、男子が外から妻を迎え入れる所の象である。

男女正しき所を以て相感じるのであり、情欲の私を以て感じるのではいけない。

そこで「咸」の字は下心のつく「感」を使わない。

[彖伝]

咸は無心で咸じる所を尊ぶ。

情欲の私があってはいけない。

天の気が地の気の下に来て、地の気が上に上る所である。

婚姻の礼は皆男子の方から女の方へ下って求める。

天地陰陽相感じることで、萬物が生じるのである。

[象伝]

山上に水気が上っているのが咸の卦である。

山から豊富な水が出てくるのは、山には土が満ちているようで、水気を受け容れるだけの虚なる所がある。

それが為に君子も我を虚しくして、人に教えを受ける所がある。

我が満ちていてはいけない。

《爻辞》

上六は人の顔にあたり、口の両脇の上を輔という。

また頬は鼻を挟んで両方に有る。

其れを以て人が說ぶのを説いたのである。

人が說ぶと、頬が必ず和らいで来る。

女は顔色口を巧みにする様ではいけない。

[象伝]

媵(よう)は婚姻の際に付添って往く女である。

これが口を以て人を說ばせ、万端のことを能く行うので、上六の婦人が自分から男の家に往って機嫌を取る様ではいけない。

また九三の男は止まるべき所は止まって時を待って迎えなければいけない。

7/1 (水) ䷥ 火沢睽(かたくけい) 上爻

7/1 (水) ䷥ 火沢睽(かたくけい) 上爻

【運勢】

周囲の人と相反するので、協力する事は出来ない。

しかし、自分の信念は持っているので、一人で出来ることは上手く行くだろう。

相反するとは否定では無いので、周りを害するのであれば上手く行かないだろう。

【原文】

《卦辭》

睽は小事吉。

彖(たん)に曰はく、睽(けい)は火動いて上り、澤動いて下り、二女同居して、その志同じく行はれず。說󠄁(よろこ)びて明󠄃に麗(つ)き、柔進みて上行す。中を得て、剛に應ず。是を以て小事吉。天地睽(そむ)いてその事同じきなり。男女睽(そむ)いて其の志通ずるなり。萬物睽(そむ)いて其の事類するなり。睽(けい)の時用大なるかな。

象に曰はく、上火下澤は睽(けい)。君子以て同じくして異なり。

《爻辭》

上九。睽孤(けいこ)。豕(ぶた)の塗を負ふを見る。鬼を一車に載す。先には之れが弧を張り、後には之れが弧を說󠄁く。寇するに匪(あら)ず婚媾(こんこう)せん。雨に遇󠄄ふときはすなはち吉なり。

象に曰はく、雨に遇ふの吉は群疑亡ぶるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

睽は背くの意󠄃である。

小さな事には吉である。

二爻と五爻が相性が良く(応じている)、下の☱沢が喜んで☲火につき従い、五爻が柔(陰)であり、二爻と応じてゐる。

よって大きなことには用いるべきでないが、小事には良い。

《爻辞》

上爻は猜疑心が深い。

三爻とは相性が良いが信用しない。

毛嫌いして来るものを弓で威嚇して拒絶するが、猜疑心も終わりを迎え、最後には誤解が解ける。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

睽は互いに相反して和せざる所の卦である。

『説文解字』には互いに反目する貌とある。

上爻の離の卦は目である。

下卦は兌の卦で癸(みずのと)で、この陰の卦が主となっている。

陰は小事の方が吉であって、大事は良くない。

[彖伝]

火の性は動けば上がり、水は動けば下方へ流れる。

また火は物を焼いて害し、水は物を潤して生じるから、その性質は反対である。

人でいえば、家族が別々になって相争う所の卦である。

兌の卦は少女で、巧言令色で旨く寵愛を得ており、内の方で権を握って居る。

少女を大切にして、年を取っている離の中女を遠ざけて居れば、互いに嫉妬心が起こり、火が熾(さかん)になるように互いに害しあう。

兌にも毀折の象がある。

しかし反目は何時までも続くのではなく、相和する所の象もある。

兌は說(よろこ)んで明らかなる方へ麗(つ)く。

五爻目が陰爻で、二爻目は剛で陽爻である。

君臣でいえば、君が弱く、臣が強いという卦である。

君を輔ける者が少ないから、大事を行うのはいけない。

小事が吉である。

しかし君臣は国家の為に為すべき所があり、天地は萬物を生じさせ、夫婦は一家を興す。

つまり半目し合っていても志は通じており、大いなる仕事を為す所がある。

[象伝]

上る方の火と、下る方の沢とで相背くが如くである。

しかし君の為に尽くそうという所は皆同じである。

人によって皆長じる所が異なっており、武をもって事(つか)える者がいれば、文をもってする者もいる。

君子は是を用いて事を為す。

《爻辞》

上九と九四が睽孤である。

独りに為り、助けてくれる者が無い。

睽孤は六三を疑っており、泥を背中に塗り付けた豕(ぶた)のように不潔なるものと見ている。

また車一杯に乗った悪人達で鬼の様に嫌悪すべきものが、相集って来る。

そこでこれら六三を弧で射ようとするが、心を落ち着けて考えてみれば、そのようなものでは無かった。

六三は兌の卦の主爻であり、我に対して說びあるもので、相和する所のものだった。

上九の陽と六三の陰は互いに親しくするべきである。

陰陽和すれば雨が降る。

大いに吉を得る。

そこで上九が六三と交わって互いに往来すると、雷天大壮の卦になる。

そうなると、仲春二月の卦となり、萬物花が咲いて說ばしき所になる。

[象伝]

睽弧が六三を悪人と見ていたが、その疑いが悉く晴れた。

6/30 (火) ䷭ 地風升(ちふうしょう) 四爻


【運勢】

普段からしている細かい積み重ねを、大きく評価される。

自分に厳しく、やるべき事をこなして行けばとても良い。

どんな人にも、何かしら積み重ねはあるので良い一日になる。

【原文】

《卦辭》

升は元(おほ)いに亨(とほ)る。大人を見るに用う。恤(うれ)ふることなかれ。南征して吉。

彖に曰はく、柔は時を以て升(のぼ)る。巽にして順。剛中にして應ず。是を以て大いに亨(とほ)る。「大人を見るに用う。恤ふることなかれ」とは、慶あるなり。南征して吉とは、志行はるるなり。

象に曰はく、地中に木を生ずる升。君子以て德に順(したが)ひ、小を積みて以て高大なり。

《爻辭》

六四。王用ゐて岐山に亨(とほ)す。吉にして咎(とが)め无(な)し。

象に曰はく、「王用ゐて岐山に亨す」とは、順にして事(つか)ふるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

升は登ること、二爻と五爻は相性が良く(應じる)、五爻が陰であり、王に厳しさはなく、賢人(二爻)を用いるので、賢人は階級が昇るのである。

下卦が巽(從順)であり、よく王に従う。

南征とは、大変良いことが起こることを指す。

君子は小さなことを積み重ねて、大きなことをなすべきである。

《爻辞》

四爻は大臣の爻で、ここでは文王が岐山に登って神を祭った象である。

大変有能であるが、王に服してよく仕える大臣である。

どんな徳の無い王でも、良い臣下の助けを得て天下は治まっている。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

升は升(のぼ)って進むという義がある。

昇と同じである。

三・四・五爻の震の卦は陽木、下卦の巽は陰木である。

地に陽木と陰木の芽が出ている。

それが天を貫くまでに段々進んで往くのが升である。

元亨の元は震で、亨は兌である。

また震は仁で、兌は義であるから、この卦には仁義の象がある。

震は長子で、仁義の徳が段々と上って行けば、天子の位に即(つ)く所があり、心配には及ばない。

南に征くとは、南面の位に即くことをいう。

[彖伝]

太子は升るべき時を以て天子の位に升る。

皇太子が二爻目になると陽爻であるから剛である。

内卦の皇太子が剛で中庸の徳を備えているから、外卦の坤=天下皆その徳に応じて服する。

心配には及ばない。

必ず天子の位を相続して大いなる慶びが出てくる。

[象伝]

地の中に巽と震の卦がある。

木が次第に上の方に進んで伸びて往く。

君子はこの卦の象を用いて徳を順にする。

巽は『説卦伝』に「高し」とある。

《爻辞》

岐山は西の山である。

兌は西であり、岐山において祭る。

即ち皇太子が天子に代わって天を祭る。

そこで吉であり、咎が無い。

[象伝]

従順にして能く天に事(つか)う所がある。

皇太子が天子に代わって祭るのは、やはり順なる所である。

6/29 (月) ䷋ 天地否(てんちひ) 上爻

【運勢】

道理に合わない物事が多くなり、世の中が欲で乱れてしまう。

徳を重んじる考えは理解されづらく、更に非難を浴びる可能性すらある。

志高い者達が否を正して行く事で、最後には平和を取り戻すだろう。

【原文】
《卦辭》
否は之(こ)れ人に匪ず。君子の貞によろしからず。大は往き、小は來る。

彖に曰はく、「否は之れ人に匪ず。大は往き小は來る」とは、則ち是れ天地交はらずして、萬物通ぜざるなり。上下交はらずして天下邦无(な)きなり。内、陰にして外、陽。内、柔にして外剛。内小人にして外君子なり。小人は道󠄃長じ、君子は道󠄃消ゆるなり。

象に曰はく、天地交はらざるは否。君子以て德を儉し難を避け、榮するに禄を以てすべからず。

《爻辭》
上九。否を傾く。先には否にして後には喜ぶ。象に曰はく、否終はるときは則ち傾く。何ぞ長かるべきや。

【解釋】
〔王弼、通解の解釋〕
《卦辞》
否は塞がる、匪人は悪人の意󠄃味である。

天地が通じず、上下の意思が通わない様を表す。

世の中が乱れる時である。

君子が正しくしていても、臣下や国民には伝わらない。

悪人が栄え、有徳者は德を隠す。

このような時には、徳のある者は徳を隠し、控えめにするのが良い。

《爻辞》
長く世が乱れていたが、漸く否の時が終わりそうである。

始めは傾いているが、後には通じて喜びにかわる。

否の時は長続きしないものである。

〔根本通明の解釋〕
《卦辞》
否は塞がるの義である。

天地陰陽の気が塞がっている。

これは地天泰と反対である。

こうした隔絶をつくったのは匪人である。

匪人は人間でなく、悪の最も大なるものである。

君子が正しい政治を行っても災を受け、小人が権力を握る。

このような状態では咎を無くし、誉も出ないように謹慎しなければ危うい。

大往小来は、陽が外の方へ往ってしまい、陰ばかりが内側に来ることである。

[彖伝]
天の気が上にあり下に降ってこない。

地の気は下に滞って上に騰がっていかない。

天地の気が交わらなければ、萬物は生長して往かない。

上は上で高振って下を顧みず、下は下で上を上と思わず尽くす所が無い。

君臣の道も、親子の道も無く、禽獣の住む所と変わらず、人間の国ではない。

外卦は陽爻で内卦は陰爻である。

これを一人の小人とすれば、内の心は柔弱で陰、外は無理に剛を偽って拵える。

朝廷とすれば、内にばかり在って政務を執るのは小人、外に出て遠くの田舎にまで往くのは君子である。

世の中が欲ばかり盛んになれば、道徳は廃れ、君子の正しい道は段々と消滅してくる。

それを小人の道が長じて、君子の道が消するという。

[象伝]
天地陰陽の気が調和せず、萬物は害を受け、人間の身体も病弱になる。

君子は我が身を全うすることを心掛け、なるべく徳を内に仕舞込んで用いない。

徳を外に顕すと小人に憎まれて必ず害を受ける。官から禄を与えるといっても、出れば害に遭うから賢人は出てこない。

そこで営するに禄をもってすべからず。

後世の本には「栄」の字で書いてあるが、古い方の「営」が正しい。

《爻辞》
人が否を傾け泰平にする。

先には否であるが、後には喜びが出る。

[象伝]
否が終わるのは自然に終わるのではなく、人の力で傾けたのである。

乱れた天下を志あるものが力を合わせて治めなければいけない。

6/28 (日) ䷎ 地山謙(ちさんけん) 五爻

【運勢】

無理をせず、自然に身を任せる事で、あるべき成果を得られるだろう。

見方を変える事で、何気ない日常を、より大切に感じられる。

これは、相手の気持ちに寄り添う事に繋がり、周りから信頼されるだろう。

【原文】

《卦辭》

謙は亨(とほ)る。君子は終はり有り。彖に曰はく、謙はとほる。天道下濟して光明。地道卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて、謙に益す。地道󠄃は盈を變じて謙に流る。鬼神は盈を害して謙に福す。人道は盈を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰ゆべからず。君子の終はりなり。

《爻辭》

六五。富まずその鄰を以てす。侵伐に用ゐるによろし。よろしからざることなし。

象に曰はく、「侵伐に用ゐるよろし」とは、服せざるを征するなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

謙は謙譲や謙遜の意󠄃味である。

平面な地卦の下に高いはずの山卦がある様が謙遜を表す。

謙譲の徳を持っている者は、どんなところでも歓迎されるし、尊敬される。

しかし、謙譲の美徳は昇進するにつれて失いがちである。

謙譲の美徳を持ち続けて、人の上に立つことは難しい。

君子とは最後まで謙譲の美徳を全うすることができる人のことである。

これを有終の美という。

謙譲の美徳を有する者が上にいると、下の者を大切にするので、下の者は自分の実力を活かすことができる。

また、謙譲の美徳を有する者が下にいると、周りの人がその徳を慕って昇進を求める。

《爻辞》

五爻は王位であるが、富を持たないので、人を使役できず、仲間である二爻から上爻までの陰爻と共に行動するしかないとする。

遠方の服従しないものを討つのに好機である。

なぜなら、味方はその謙譲の美徳に従ってくれ、敵は服するからである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

謙は「へりくだる」と言われるが、本当は「小さい」という意味である。

我が身が小さくなって人の下に降って居る。

古くは言偏の無い「兼」の字であった。

小さいために一つで足らず合わせるという義である。

他に口偏を附けた「嗛」の字もあり、子夏伝はそう書いている。

口の中に入るだけの小さな物を含んでおり、嗛嗛之食という言葉は僅かの食物のことである。

小さいというのが本来の義である。

卦の象では地の下に山があり、人民の下に我が身を引き下げて小さくなって居る。

二・三・四爻目に坎がある。

水には功労があるが、低い所に居るので、謙遜の義がある。

これなら何処へ行っても尊ばれ亨ることになる。

しかし真実の謙虚さでなく、人望を得るために拵えて行うのは長く亨らない。

[彖伝]

天道下済とあるのは、上に在る天の陽気が降って来て地の徳を成すことである。

元は乾の一番上にあった陽爻が下に降って九三となったのである。

光明は三爻目に降りて来た陽爻である。

また元は三爻目にあった陰爻が一番上に上がったから上行という。

元の乾の卦が陽爻ばかりで剛に過ぎるので盈(えい)に虧(か)く。

上に居るべき人が小さく為って、人の下に降るのが謙である。

我が身を下しても人が侮って其の上を踰(こ)えて往くことは出来ない。

卑い所に居れば居るほど人が尊んでくる。

そうして君子は終を遂げる所となる。

[象伝]

上卦が地で下卦が山である。

地の広い方から見れば山が小さい。

天地の道理は何でも盈ちる所があり、それを虧かなければいけない。

そこで多い方から取って、少ない方へ益す。

政でも米を多い所から寡(すく)ない所に益すようにする。

政は物の多少を量り、平らかにしなければいけない。

《爻辞》

富まずというのは、天子が己を空虚にして邪の無いことである。

其の鄰を以ゆというのは、九三の賢人をはじめ周囲の人を能く用いることである。

侵伐は容易に出来るものでなく、謙遜の徳に天下皆服しているから勝利を得られる。

しかし是は外国を討つことが本義ではない。

[象伝]

若し国内に服することがなく、乱を起こす様な者があれば之を討つのが良い。

6/27 (土) ䷻ 水澤節󠄄(すいたくせつ) 五爻

【運勢】

この不安定な世の中で、珍しく穏やかに過ごす事が出来る。

こだわりを持ち過ぎては、周囲の環境に気が立ち過ぎてしまい、良くないだろう。

難しく考えず、自然の流れに身を任せて過ごす事が大切である。

【原文】

《卦辭》

節󠄄は亨(とほ)る。苦節貞(てい)すべからず。

彖(たん)に曰はく、節󠄄は亨(とほ)る。剛柔(ごうじゅう)分かれて、剛中を得る。

「苦節は貞すべからず」とは、その道窮(きは)まるなり。よろこびて以て險(けん)を行き、位にあたりて以て節󠄄(せつ)す。中正にして以て通ず。天地節󠄄して四時成り、節󠄄して以て度を制すれば財を傷(そこな)はず、民を害せず。

象に曰はく、澤上に水あるは節󠄄。君子以て數度(すうど)を制し、德行を議(ぎ)す。

《爻辭》

九五。甘節󠄄す。吉。往けば尚(くは)ふること有り。

象に曰はく、甘節󠄄の吉は、位に居て中するなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

節󠄄とはほどほどであることである。

この卦は陰陽の數が等しく調和がとれている。

また節目である。

物事には節目を設けて区切る必要がある。

自然界には四季があり、物には度量衡が設けられている。

陰陽が均等にあり、上卦下卦ともに陽が中をえている。

よろこび☱を以て難󠄄☵に当たるとうまく行く。

《爻辞》

五爻は剛健中正であり、ほどほどの節度があり、苦痛でない。

このまま行動していけば、良い結果が得られるだろう。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

節は竹の節に由来する。

中が空洞で通っているが、所々に節があり止まって堅く動かない。

上卦は坎で水が流れて通じるが、下卦は兌で水が止まり、節の象がある。

総ての事は竹の節の様に分限がある。

天地の間にも、君と臣の間にも、一家の中にも各々身分に応じて為す所がある。

しかし己の分を守るということも、度を越せば苦節となる。

孟子に陳仲子という人物がおり、節義を守ることを徹底する余り、無道の君から受ける禄を穢れると言って嫌悪する。

しかしそれでは生きていくことは出来ない。

我が身を苦しめ無理をしてまで節を守ろうとしてはいけない。

[彖伝]

下卦が陰=柔で、上卦が陽=剛である。

上卦の主爻は五爻目で、下卦の主爻は三爻目である。

剛と柔が上下に分かれ、陽爻は皆中を得ている。

「苦節不可貞」は行う所の道が窮して行えなくなることである。

陳仲子の様に窮することになる。

[象伝]

沢の上に水が流れる。

沢は四方に堤防があって水を溜めている。

これが節である。

程好い所に止まっている。

君子は節に則って政を行う。

《爻辞》

九五の天子は明君である。

節は十分に倹約して、程好き所を苦しまずに甘んじ楽しんで行う。

後世で言うなら漢の文帝である。

文帝は物見櫓を作るのに大工に見積もらせた所、百金掛かると言われ、人民の負担を考えて作るのをやめた。

また女の服は一尺も二尺も裾を下へ曳くものであるが、下を曳くだけの物は無用であるといって皇后の召物迄も短くした。

宮中の女は皇后に習い、皆男の着物のように短くした。

文帝は倹約を第一とし、それを甘んじて楽しんだ。

[象伝]

甘節の吉は天子の位に居って如何にも中庸の所を行うのである。

6/26 (金) ䷪ 澤天夬(たくてんかい) 初爻


【運勢】

自分の心持ちに何かやましい、不誠実な所がある。

この心があるから、誠実であろうと考えていても、一向に変える事が出来ない。

先ずはやるべき事を一つづつこなしていき、心の余裕を持つ事が大切である。

【原文】

《卦辭》

夬は王庭に揚ぐ。孚(まこと)有りて號ぶあやふきこと有り。吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず。往くところ有るによろし。

彖(たん)に曰(い)はく、夬は決なり。

剛、柔を決するなり。健にして說󠄁(よろこ)ぶ。決して和す。「王庭に揚ぐ」とは、柔五剛に乘ずればなり。「孚有りて號ぶ、あやうきこと有り」とは、それ危めば乃ち光るなり。

「吿ぐること邑よりす。戎に卽くによろしからず」とは、尚ぶ所󠄃乃ち窮まるなり。「往くところ有るによろし」とは、剛長じて乃ち終るなり。

象に曰はく、澤、天に上るは夬。君子以て禄を施して下に及ぼす。德に居りて則ち忌む。

《爻辭》

初九。趾を前󠄃(すす)むるに壮なり。往くも勝たず。咎めと爲す。

象に曰はく、勝たずして往く。咎めあるなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

夬は決める、引き裂くの意󠄃味である。

形は䷖剝の反対である。

君子が勢いを持ち、徳のないもの(上爻)を征伐する象である。

五陽に一陰が載っている。

危うい状態に耐えきったら大きな功をなす。

徳の無い者と戦うときはただ武力のみに頼るのでなく、誠実さを以て臨むべきである。

終には徳の無い者は除かれ、平和になる。

《爻辞》

初爻は卦の中で足に当たる。

上爻の徳の無い者を倒そうと力んでいるが、四爻との相性が悪く(応じていない)、結束力が無いので勝てない。

このままでは良い結果は望めない。

まずは策を明󠄃らかにして、計画性を持つべきである。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

夬は円(まる)い物を欠いて割るという義である。

上六の陰爻は大奸物(だいかんぶつ:悪知恵のはたらく心のひねくれた人間)である。

それが九五の天子に近接している。

巧言令色をもって諂って居るのが、段々と蔓延(はびこ)って害を為す。

必ず上六を撃たねばならない。

「揚于王庭」とは、この大臣の悪を明らかにして皆に告げる所である。

「孚号」は、大臣を除くにあたり誠心をもって協力を呼び掛けるのに号(さけ)ぶ所である。

天下はこれを信じ、協力は得られる。

しかし兵を挙げて撃つのではない。

早まってはいけない。

[彖伝]

密接している悪を斬って除く。

一番上の陰爻を切り離す。

剛が柔を決する。

柔の小人は五人の賢人君子の上に上がって権勢を専らにしているので、その罪を揚げるのである。

厲(あやう)い所があるから容易に手を出してはならない。

危ぶみ慎しんで、人民が騒がしくならないように能く鎮撫する。

孚(まこと)を尊び、時を見て動かなければならない。

早く往き過ぎると却って窮する所が出てくる。

剛が次第に長じてくる所であるから、終(つい)には事を終え遂げることが出来る。

[象伝]

沢の水の気が、乾の天の上にあり、水気がまた下に戻ってくる。

君子は恩沢を下々の方まで汎く施す。

恩沢を上の方で置き蓄えて、吝(おし)み下へ及ぼさないのは君子にとって忌み嫌う所である。

《爻辞》

初九は草莽の者で、悪い大臣を一日も早く撃とうと烈しい所がある。

しかし未だ大臣の方に隙が無い。

勝つ見込みのない所に仕掛けて往くのは咎である。

孫子の兵法にも「総て能く戦に勝つ所の兵は戦わざる前(さ)きに先ず勝って其の上に戦いを求める」と軍形篇にある。

[象伝]

勝算の無いのに無暗に往くのは咎である。

初九は草莽間の血気盛んな若い者ばかりで、勇に逸(はや)る所である。

6/25 (木) ䷓ 風地觀(ふうちかん) 五爻

【運勢】

心を清らかにする事で、行くべき道を観る事が出来る。

先の人生を見渡して、誠心誠意生きる事を決意すると良い。

行動を起こす際には、周りの人々の理解を得られるかどうかが大切である。

【原文】

《卦辭》

觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり。

彖(たん)に曰(い)はく、大觀上に在り。

順にして巽。中正以て天下に觀らる。「觀は盥(あら)ひて薦めず。孚(まこと)有りて顒若(ぎようじやく)たり」とは、下觀て化するなり。天の神道󠄃をみて四時たがはず。聖人神道󠄃を以て敎へを設けて天下服する。

象に曰はく、風地上を行くは觀。先王以て方を省み民を觀て敎へを設く。

《爻辭》

九五。我が生を觀る。君子は咎めなし。

象に曰はく、「我が生を觀る」とは民を觀るなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

観は見ること、見られることである。

全体として艮☶の形であり、これは宗廟を表す。

宗廟に物を献ずるとき、神職は手を洗う。

手を洗うと今度は地上に酒を注いで神を降ろす。

その時、未だ捧げものをしていないが、天下の人々は仰ぎ見るという。

神は陽の存在であり、その姿は見えないが、四季が正しく順行しているさまに、神道の至誠を見るのである。

偉大な人は天の神道󠄃にしたがい、制度を整えて、よく治まったのである。

《爻辞》

五爻は君主の卦である。

自分の行いを見直し、有徳者と言える行いであるなら問題ない。

民が自分を慕っているかで判断するとよい。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

「観」は大いに観るという義である。

高い所から遍く四方を観廻す所である。  

『春秋穀梁伝(こくりょうでん:春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』の隠公の五年に「視曰視非常曰観」とある。

「視」は常の事を詳らかに見ることである。

一方「観」は常でない変や禍などを見ることである。

『公羊伝(くようでん:同じく春秋三伝の一つで、春秋の注釈書)』にも「登観臺以記雲物」とある。

冬至の朝に観臺に登って、四方を観廻して普通でない形の雲物などを見て一ヵ年の吉凶を占う。

卦の上二つに陽爻があり、高所から明らかに観廻すことである。

天子は偏りなく遍く四方を観なければいけない。

また天子は諸侯と対面し、諸侯は天下の状態を悉く天子に申し上げる。

天子は孚(まこと)を以て諸侯に交わり、鬱鬯(うっちょう:鬱金香(うっこんこう)を煮て黒黍に混ぜ、醸造した酒。中国で宗廟に捧げた)の酒を賜る。

鬱鬯は香気が強く、香気は精神の誠の表れである。

上卦が巽で、巽は香気である。

鬱鬯酒を賜る時に、天子は手を洗って清める。

巽は潔さの象でもある。

顒(ぎょう)は大いなる頭で、顒若(ぎょうじゃく)は天子の尊顔を拝することである。

[彖伝]

明天子が上の方に在り、洽(あまね)く天下を観る義である。

順は天子の徳が天道天理に逆らうことの無いことである。

また坤は乾に順う。

天子は中正を以て天下を観る。

中正は五爻で陽爻が陽位にあるから正しい。

下から上を見るならば、天子は厳然と礼儀正しく坐して居り、拝謁する者は皆良い方へ感化される。

天子は天下を観る計りではない。

天の神道をも観る。

これは神仏の神ではない。

『説文解字』に「神者伸也引萬物而出也」とある。

乃ち天の元気を以て萬物を引いて出だすのである。

これは春夏秋冬の周期において萬物が生じ育つように、天子がそうした法に則り天下万民を能く生育することを神道という。

「聖人以神道」とは、天子の政は神道による教えによって天下悉く服することである。

日本における神道とは異なる。

[象伝]

地上一面に風が吹き渡る。

風は万物を育て、巡々と吹く。

天子はこの卦の義を用いて、東西南北に巡狩する。

方を省するというのは、天子は外から見えない内幕も詳しく御覧になることで、人民の様子を見て政治、教えを立ててこれを行う。

《爻辞》

九五は名君であり、能く我が身の行いを省みる。

道徳に沿い、賢人を用い、咎を得る所は無い。

[象伝]

天子は民が服しているか服していないかを見て我が行いの善悪を判断する。

6/24 (水) ䷢ 火地晋(かちしん) 三爻


【運勢】

努力が実り、良い事が沢山起こる。

自分の努力が評価され、それに感化された、周りの人の徳も高まるだろう。

互いに切磋琢磨して進む事で、道を大きくひらく事が出来る。

【原文】

《卦辭》

晋は康侯用ゐて馬を錫(たま)ふこと蕃庶(ばんしよ)。晝日三接す。

彖(たん)に曰(い)はく、晋は進むなり。明󠄃地上に出づ。順にして大明󠄃に麗(つ)く、柔進みて上行す。是を以て康侯用ゐて馬を錫(たま)ふ蕃庶。晝日三接すなり。

象に曰はく、明󠄃地上に出づるは晋。君子以て自ら明德を照らす。

《爻辭》

六三。衆允(まこと)とす。悔い亡ぶ。

象に曰はく、衆之を允(まこと)とする。志上行するなり。

【解釋】

〔王弼、通解の解釋〕

《卦辞》

晋は進󠄃むである。

地上に日が昇り、あまねく天下を照らす象である。

陰が三つ上に登って太陽に付き従っている。

これは名君に人々が仕える象である。

そして立派な諸侯となり、王は恩恵を賜る。

三陰は柔順の徳がある。

柔順とは迎合のことではない。

君子の徳を明󠄃らかにする人のことである。

《爻辞》

現状は不安定であるが、志は下の二つの陰に押されて上を目指す。

上昇志向の下の者に信頼されて進めば後悔することはない。

〔根本通明の解釋〕

《卦辞》

上卦の離は日であり、下卦の坤は地である。

つまり地上に日が初めて出た所の象である。

晋は日が出て万物が進むという義である。

『説文解字』に「日出萬物進也」とあるように、太陽の働きで万物は育ち伸びてゆく。

二・三・四爻目に艮がある。

艮は東北の間であるから、将に日が出んとする所である。

康侯は、諸侯の職分が民を康(やす)んずる所にあることに由来する。

諸侯は天子に朝するに三度御目通りをするので「昼日三接」という。

その時に諸侯は自国の名馬を献ずる。

馬十匹を献ずることを錫(たま)うという。

錫という字は古くは上下の区別なく、下から上へ差上げるのにも錫うという。

『書経』にも「衆錫帝」とある。

これが上から下に与える意味に限られるようになるのは、始皇帝の時からである。

下から上へ差上げる時には、献ずる、奉るというようになる。

蕃庶は馬十匹で多いことによる。

[彖伝]

日が出て万物が段々進んで来る、即ち天子が上に在って諸侯が進んで拝謁する所の象である。

明は離の卦の象である。

「大明に麗(つ)く」というのは、大明=乾の卦の真ん中に陰爻が麗いて離の卦になることである。

天は大明、離は明である。

「柔進みて上行す」というのは、元これは真っ暗の夜の象である地火明夷の卦であったことによる。

五爻目の陰爻が二爻目にあり、それが上行して五爻目まで往く象である。

[象伝]

日が地の下にある真っ暗な状態は、欲に覆われて徳が明らかにならない状態である。

君子は欲を取り払って、明徳を明らかにして四方を照らす。

《爻辞》

六三は六二と一緒になって君の為に尽くす所がある。

そこで衆は之を允(まこと)として信用しているから、悔は亡ぶ。

六三は陰を以て陽の位にあるので悔が出るべき所であるが、誠の深い所を以て悔は亡ぶ。

[象伝]

六三の志はどこまでも六五の為に尽くす所があるので上行する。

六二と力を合わせて君の為に尽くすのである。