䷝

離 爲 火

りゐくわ

The Clinging

離。利貞。亨。畜牝牛。吉。

彖曰、離。麗也。日月麗乎天。百穀草木麗乎土。重明以麗乎正。乃化成天下。柔麗乎中正。故亨。是以畜牝牛吉也。

象曰、明兩作離。大人以繼明照于四方。

離りは、貞ただしきに利よろし。亨とほる。牝牛ひんぎうを畜やしなへば吉なり。

彖に曰く、離は、麗つくなり。日月は天に麗き、百穀草木は土に麗く。重明ちょうめいにして以て正に麗き、乃ち天下を化成くわせいす。柔、中正に麗く、故に亨る。是を以て牝牛を畜やしなへば吉なり。

象に曰く、明兩ふたたび作おこるは、離なり。大人以て明を繼つぎて四方を照らす。

離の卦は、正しきを守るのがよく、さうすれば通じる。牝牛を飼ひ養へば、吉である。

彖傳にいう。離とは、麗く(附き從ふ)ことである。日と月とは天に麗き、百穀や草木は土に麗いてゐる。重なる明るさが正しきに麗き、そこで天下を敎化して成し遂げる。柔が中正に麗いてゐるので、通じる。それゆゑ牝牛を飼ひ養へば吉なのである。

象傳にいう。明るさが二度起こるのが離である。大人はこれに倣ひ、明るさを絕えず繼いで四方を照らす。

Commentary 東洋文化硏究會 解釋 離爲火 卦全体の解説

火は物に麗つきて初めて燃え、人は正しきに麗きて初めて明らかとなる。離爲火りゐくわは、離を上下に重ねた八純卦である。離の卦は一陰が二陽の間に麗く形をなし、朱子先生は、離を麗と訓じ、陰が陽に麗く卦にして、その象を火とし、體は陰にして用は陽なりと說く。孔穎達先生は、麗とは附著の意にして、萬物各々その附著する所を得るゆゑに離と名づくといふ。物の麗く所は正を得ることを貴ぶ。何に寄り添ひ、何を支へとするかによつて、人の明るさは定まる。柔順の德を養ひ、正しきに附きて明を繼ぐことを敎へる卦である。

上卦も下卦も離(火・明るさ・つく)で、離を二つ重ねた八純卦です。離は一本の陰爻が二本の陽爻にはさまれた形で、陰が陽にくっついて、そこに明るさが生まれる姿とされます。朱子は「離」を「麗」(つく、よりそう)の意味とし、象を火としたうえで、体は陰で働きは陽だと説きます。火は燃える物がなければ燃え続けられません。中心にある六二と六五の柔らかな陰が、何に寄り添うかが、この卦の要です。

火は、木や油など、燃えるものにくっついていないと燃え続けられません。この卦は、そんな「くっつく」ことと「明るく照らす」ことを表しています。太陽や月は空に、草や木は大地に、それぞれ寄り添って光ったり育ったりしています。人も、何に寄り添い、だれと手をつなぐかで、明るくもなれば暗くもなります。よい友だちや、正しい目標にしっかり寄り添い、まわりを明るく照らせる人になりましょう。

Hexagram Statement
Commentary 東洋文化硏究會 解釋

卦辭は、貞しきに利ろしく亨るとし、牝牛ひんぎうを畜やしなへば吉と結ぶ。王弼先生は、離の卦は柔を以て正となすゆゑ、必ず貞しくして後に乃ち亨るとし、柔が內に處りて正中を履むは牝の善、外に強く內に順ふは牛の善なりと注す。剛猛の物を畜ふべからず、柔順なる牝牛を畜ひて吉なのである。彖傳は、日月は天に麗き、百穀草木は土に麗くと說き廣げ、重明にして正に麗きて天下を化成すといふ。大象傳は、明の兩たび作る象に、大人は明を繼ぎて四方を照らすといふ。一たびの明るさはすぐ絕える。柔順を養ひ、明を繼ぎ續けることこそ、離の道である。

卦辞は「利貞,亨」と、正しさを守ってこそ通じると述べます。離の主は六二と六五の陰爻で、陰の柔らかさは正しさを外れやすいからです。「畜牝牛吉」の牝牛は、柔順な生き物の代表です。孔穎達は、これは物のたとえで人の事を明らかにしたもので、内は柔順、外は強くという徳を行えば吉だと説きます。彖伝は日月が天につき、草木が土につくと「麗」の意味を広げます。大象伝は、明るさが二度起こる形から、明るさを絶やさず受け継いで四方を照らせと教えます。

この卦の言葉は「正しくしていれば、うまくいく。めすの牛を育てれば、よいことがある」と言います。めすの牛は、おとなしく、すなおな動物です。強さや激しさではなく、やわらかく、すなおな心を育てなさいということです。また、太陽と月が空にあり、草や木が大地にあるように、どんなものも寄り添う場所があって輝きます。明かりを絶やさず、次の人へと受けついでいくことも大切です。毎日、すなおな心を少しずつ育てましょう。

卦 辭

離。利貞。亨。畜牝牛。吉。

離りは、貞ただしきに利よろし。亨とほる。牝牛ひんぎうを畜やしなへば吉なり。

離の卦は、正しきを守るのがよく、さうすれば通じる。牝牛を飼ひ養へば、吉である。

彖 傳

離。麗也。日月麗乎天。百穀草木麗乎土。重明以麗乎正。乃化成天下。柔麗乎中正。故亨。是以畜牝牛吉也。

離は、麗つくなり。日月は天に麗き、百穀草木は土に麗く。重明ちょうめいにして以て正に麗き、乃ち天下を化成くわせいす。柔、中正に麗く、故に亨る。是を以て牝牛を畜やしなへば吉なり。

離とは、麗く(附き從ふ)ことである。日と月とは天に麗き、百穀や草木は土に麗いてゐる。重なる明るさが正しきに麗き、そこで天下を敎化して成し遂げる。柔が中正に麗いてゐるので、通じる。それゆゑ牝牛を飼ひ養へば吉なのである。

大象傳

明兩作離。大人以繼明照于四方。

明兩ふたたび作おこるは、離なり。大人以て明を繼つぎて四方を照らす。

明るさが二度起こるのが離である。大人はこれに倣ひ、明るさを絕えず繼いで四方を照らす。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、離の卦は柔を以て正となすゆゑ必ず貞しくして後に亨るとし、柔の內に處りて正中を履むを牝の善、外強く內順なるを牛の善とする。彖傳には麗を著くとし、大象には繼を絕えざる意と注す。

〔卦辭〕離之為卦,以柔為正,故必貞而後乃亨,故曰「利貞亨」也。 柔處於內而履正中,牝之善也。外強而內順,牛之善也。離之為體,以柔順為主者也。故不可以畜剛猛之物,而「吉」於「畜牝牛」也。
〔彖傳〕麗猶著也。各得所著之宜。 柔著於中正,乃得通也。柔通之吉,極於「畜牝牛」,不能及剛猛也。
〔大象傳〕「繼」謂不絕也,明照相繼,不絕曠也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、離を麗、麗を附著とし、萬物各々附著する所を得るを離とする。離は陰柔を主とし、柔は不正に近きゆゑ利は正を行ふに在りと解し、牝牛は象を假りて人事を明らかにすとする。大象には、兩明前後相續きて離をなすといふ。

〔卦辭〕「離利貞亨」。○正義曰:離,麗也。麗謂附著也。言萬物各得其所附著處,故謂之「離」也。「利貞亨」者,離卦之體,陰柔為主,柔則近於不正,不正則不亨通,故利在行正,乃得亨通。以此故「亨」在「利貞」之下,故云「利貞亨」。 「畜牝牛吉」。正義曰:柔處於內而履正中,是牝之善者,外強內順,是牛之善者也。離之為體,以柔順為主,故畜養牝牛,乃得其吉。若畜養剛健,則不可也。此云「畜牝牛」,假像以明人事也。言離之為德,須內順外強,而行此德則得吉也。若內剛外順,則反離之道也。
〔彖傳〕正義曰:釋離卦之名。麗謂附著也。以陰柔之質,附著中正之位,得所著之宜,故云「麗」也。 正義曰:「日月麗乎天,百穀草木麗乎土」者,此廣明附著之義。以柔附著中正,是附得宜,故廣言所附得宜之事也。「重明以麗乎正,乃化成天下」者,此以卦象,說離之功德也,並明「利貞」之義也。「重明」,謂上下俱離。「麗乎正」者,謂兩陰在內,既有重明之德,又附於正道,所以「化成天下」也。然陰居二位,可謂為正。若陰居五位,非其正位,而云「重明麗乎正」者,以五處於中正,又居尊位,雖非陰陽之正,乃是事理之正,故總云「麗於正」也。「柔麗乎中正,故亨。是以牝牛吉」者,釋《經》「亨」義也,又總釋「畜牝牛吉」也。「柔麗於中正」,謂六五、六二之柔,皆麗於中,中則不偏,故云「中正」。以中正為德,故萬事亨。以中正得通,故畜養牝牛而得吉也。以牝牛有中正故也。案諸卦之《彖》,釋卦名之下,乃釋卦下之義,於後乃歎而美之。此《彖》既釋卦名,即廣歎為卦之美,乃釋卦下之義。與諸卦不例者,此乃夫子隨義則言,因文之便也。比既釋「離」名麗,因廣說日月草木所麗之事,然後卻明卦下之義,更無義例。
〔大象傳〕正義曰:「明兩作離」者,離為日,日為明。今有上下二體,故云「明兩作,離」也。案:八純之卦,論象不同,各因卦體事義,隨文而發。乾、坤不論上下之體,直總云「天行健」、「地勢坤」,以天地之大,故總稱上下二體也。雷是連續之至,水為流注不已,義皆取連續相因,故震云「洊雷」,坎云「洊至」也。風是搖動相隨之物,故云「隨風巽」也。山澤各自為體,非相入之物,故云「兼山艮」,「麗澤兌」,是兩物各行也。今明之為體,前後各照,故云「明兩作,離」,是積聚兩明,乃作於離。若一明暫絕,其離未久,必取兩明前後相續,乃得作離卦之美,故云「大人以繼明照於四方」,是繼續其明,乃照於四方。若明不繼續,則不得久為照臨,所以特云「明兩作,離」,取不絕之義也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、離を麗とし、陰の陽に麗く卦にしてその象を火、體は陰にして用は陽とする。物の麗く所は正を得るを貴び、牝牛は柔順の物なれば、占者能く正しければ亨り、牝牛を畜へば吉とする。大象の作を起と訓ず。

〔卦辭〕離麗也隂麗於陽其象為火體隂而用陽也物之所麗貴乎得正牝牛柔順之物也故占者能正則亨而畜牝牛則吉也
〔彖傳〕釋卦名義 以卦體釋卦辭
〔大象傳〕作起也

First Yang
初九

履 錯 然

ふむこと さくぜんたり

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Commentary · 初九 履錯 東洋文化硏究會 解釋

一日の始まり、明けの光の足もとである。初九は陽をもつて陽位に居り、離の最も下に在る。朱子先生は、剛をもつて下に居り明の體に處りて、志は上に進まんと欲するゆゑ、履むこと錯然さくぜんたる象ありとし、之を敬めば咎なしと占者を戒める。王弼先生は、錯然を警め愼む貌とし、離の始めに處りて將に進みて盛んならんとし、未だ濟るに在らざれば、履む所を愼み敬を務めとして咎を避くべしと注す。始めの一步は心はやるものである。はやる時ほど足もとを確かめ、敬みて進むことが、明るき日々の基となる。

初九は陽爻が陽位にある「正」の爻で、離の卦のいちばん下、明るさの始まりにいます。朱子は、剛の性質で下にいながら明の体にあり、上へ進みたいという志があるので、足どりが入り乱れる「履錯然」の象があると読みます。そこで「敬之无咎」、慎み敬えば咎めはないと戒めます。小象伝は「以辟咎也」と、慎むのは咎めを避けるためだと説明します。物事の始まりは気持ちが先走るもの。最初の一歩を丁寧に踏み出すことの大切さを教える爻です。

新しい一日や、新しい生活の始まりは、わくわくして、つい足が先へ先へと急いでしまいます。この線は、そんな、はやる気持ちで足もとが乱れている姿です。易は「つつしんでいれば、まちがいは起きない」と教えます。急ぎたい時ほど、一つひとつの動きをていねいにしましょう。朝の準備や、最初のあいさつを大切にすると、その日一日がうまく回りだします。始まりを大事にする人は、失敗が少なくなります。

爻 辭

初九。履錯然。敬之无咎。

初九。履むこと錯然さくぜんたり。之を敬つつしめば咎无し。

初九。踏み出す足どりが入り亂れる。これをつつしめば、咎めはない。

小象傳

履錯之敬。以辟咎也。

履むこと錯然たるの敬は、以て咎を辟さくるなり。

足どりが入り亂れる時につつしむのは、それによつて咎めを避けるためである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、錯然を警め愼む貌とし、初九は離の始めに處りて將に進みて盛んならんとし、未だ既濟に在らざるゆゑ、宜しく其の履む所を愼み、敬を務めとして其の咎を辟くべしと注す。

〔爻辭〕「錯然」者,警慎之貌也。處離之始,將進而盛,未在既濟,故宜慎其所履,以敬為務,辟其咎也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、初九は離の初めに身を處し將に前進せんとすれども其の道未だ濟らず、ゆゑに履踐する所は恆に錯然として敬愼し、敢へて自ら寧んぜずと解す。かく恭敬なれば禍を避けて咎無しとする。

〔爻辭〕「初九,履錯然,敬之無咎」。○正義曰:「履錯然」者,身處離初,將欲前進,其道未濟,故其所履踐,恒錯然敬慎不敢自寧,故云「履錯然敬之無咎」。若能如此恭敬,則得避其禍而「無咎」,故《象》云:「履錯之敬,以避咎也」。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、初九は剛をもつて下に居り明の體に處りて、志は上に進まんと欲するゆゑ履むこと錯然たるの象ありとし、之を敬めば咎なしと占者を戒む。小象の辟は避と同じと注す。

〔爻辭〕以剛居下而處明體志欲上進故有履錯然之象敬之則无咎矣戒占者宜如是也
〔小象傳〕辟避同

Second Yin
六二

黃 離

くわうり

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Commentary · 六二 黃離 東洋文化硏究會 解釋

黃は中の色である。六二は陰をもつて陰位に居り、下卦の中を得て、中正の德を具へる。朱子先生は、柔が中に麗きてその正を得るゆゑ、黃離くわうり元いに吉の象占ありと說く。孔穎達先生は、黃を中の色、離を文明とし、中に居り位を得て文明に處るゆゑに元いに吉、小象に中道を得といふは、中央黃色の道を得るゆゑと說く。王弼先生もまた、柔をもつて柔に處り、文明の盛んなるを履みて其の中を得ると注す。偏らず、正しきに寄り添ふ者の明るさは、穩やかにして久しい。派手な光でなく、中庸の溫かき光をこそ目指すべし。

六二は陰爻が陰位にあり、下卦の中を得た「中正」の爻です。「黃」は中央の色とされ、中の徳を表します。朱子は、柔らかな陰が中に寄り添って正しさも得ているので、「黃離元吉」、大いに吉の象と占いがあると説きます。上の六五とは同じ陰で応じませんが、上下の陽にはさまれて、離の明るさの中心にいます。小象伝の「得中道也」は、偏らない中の道を得ていることです。控えめで偏らない人こそが、最も明るい光を放つと教える爻です。

黄色は、昔から「真ん中」を表す色とされてきました。この線は、かたよらず、ちょうどよい真ん中にいて、やさしい光を放っている姿です。易は「とてもよい」と言っています。目立とうとして無理に強い光を出すよりも、自分の立場をわきまえ、まわりと調和しながら輝くほうが、ずっと長く人を照らせます。いつも、かたよりのない、おだやかな心でいることを心がけましょう。

爻 辭

六二。黃離。元吉。

六二。黃離くわうりなり。元おほいに吉なり。

六二。黃色(中の色)に麗いて輝く。大いに吉である。

小象傳

黃離元吉。得中道也。

黃離の元おほいに吉なるは、中道を得ればなり。

黃色に麗いて大いに吉であるのは、中の道を得てゐるからである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、六二は中に居りて位を得、柔を以て柔に處り、文明の盛んなるを履みて其の中を得るゆゑ、黃離にして元いに吉なりと注す。中と位と文明とを兼ぬるを、吉の本と見るのである。

〔爻辭〕居中得位,以柔處柔,履文明之盛而得其中,故曰「黃離元吉」也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、黃を中の色、離を文明とし、中に居り位を得て文明に處るゆゑ元吉とする。小象の得中道は、中央黃色の道を得るをいふと解す。

〔爻辭〕正義曰:黃者中色,「離」者文明。居中得位而處於文明,故「元吉」也。故《象》云「得中道」,以其得中央黃色之道也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、黃を中の色とし、六二は柔にして中に麗き、また其の正を得るゆゑ、黃離元吉の象占ありとする。中に麗きて正を兼ぬるを尊ぶのである。

〔爻辭〕黄中色柔麗乎中而得其正故其象占如此

Third Yang
九三

日 昃 之 離

ひかたむくのり

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Commentary · 九三 日昃 東洋文化硏究會 解釋

日は西に傾き、前の明るさは盡きんとしてゐる。九三は下卦離の終はり、上下二つの離の境に居る。朱子先生は、重なる離の間にありて前の明の將に盡きんとするゆゑ日昃くの象ありとし、常に安んじて自ら樂しまざれば、自ら處すること能はずして凶なりと說く。王弼先生は、明の將に終はらんとする時、人に委ねずして志を養ひ無爲に處らざれば、耋てつ老に至りて嗟きありと注す。缶を鼓して歌ふとは、老いを嘆かず、與へられた時を安らかに樂しむことである。終はりを受け入れる者は、終はりに亂されない。

九三は陽爻が陽位にあり、下卦離の最上位、つまり上下二つの離の境目にいます。前の明るさが尽きようとする位置で、これが「日昃之離」、日の傾いた明るさの象です。朱子は、平常に安んじて自ら楽しむことができなければ、身の処し方を失って凶になると読みます。「鼓缶而歌」は、素焼きの器をたたいて歌うことで、与えられた境遇を楽しむ姿です。老いや衰えを嘆いてばかりいると、残りの時間まで暗くしてしまう。小象伝は「何可久也」と結びます。

夕日が西にかたむく時、空は美しくそまりますが、やがて暗くなります。人生にも、そんな夕ぐれの時があります。終わりが近づくと、人はつい「昔はよかった」と嘆きたくなります。でも易は、器をたたいて歌うように、今を楽しみなさいと言います。若い人に役目をゆずり、肩の力をぬいて毎日を味わう。そうすれば、夕日のように、最後まであたたかく輝くことができます。

爻 辭

九三。日昃之離。不鼓缶而歌。則大耋之嗟。凶。

九三。日昃かたむくの離なり。缶ほとぎを鼓して歌はざれば、則ち大耋たいてつの嗟なげきあり。凶なり。

九三。日が傾くころの明るさである。缶を打ち鳴らして歌ひ樂しむのでなければ、ひどく老いた者の嘆きを見る。凶である。

小象傳

日昃之離。何可久也。

日昃かたむくの離、何ぞ久しかる可けんや。

日が傾くころの明るさが、どうして長く續かうか。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、嗟を憂歎の辭とし、九三は下離の終はりに處りて明將に沒せんとするゆゑ日昃之離とする。明の將に終はらんとする時に人に委ねて志を養ひ無爲ならずんば、耋老に至りて嗟き有りて凶なりと注す。

〔爻辭〕嗟,憂歎之辭也。處下離之終,明在將沒,故曰「日昃之離」也。明在將終,若不委之於人,養志無為,則至於耋老有嗟,凶矣,故曰「不鼓缶而歌,則大耋之嗟凶」也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、時既に老耄なれば事を委ね人に任せて自ら逸樂を取るべしとし、人に委ねざるは缶を鼓して歌はざるなりと解す。かくては大耋老耄に至りて咨嗟し、何ぞ久長なるべけんや、ゆゑに凶とする。

〔爻辭〕正義曰:「日昃之離」者,處下離之終,其明將沒,故云「日昃之離」也。「不鼓缶而歌,大耋之嗟凶」者,時既老耄,當須委事任人,自取逸樂。若不委之於人,則是不鼓擊其缶而為歌,則至於大耋老耄而咨嗟,何可久長?所以凶也。故《象》云:「日昃之離,何可久也?」

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、九三は重なる離の間に在りて前の明將に盡きんとするゆゑ日昃の象ありとし、常に安んじて以て自ら樂しまざれば、自ら處すること能はずして凶なりと占者を戒む。

〔爻辭〕重離之間前明將盡故有日昃之象不安常以自樂則不能自處而凶矣戒占者宜如是也

Fourth Yang
九四

突 如 其 來 如

とつじょとして それらいじょたり

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Commentary · 九四 突如 東洋文化硏究會 解釋

前の明が沒して後の明が出づる、その變はり目に突如として來る者がある。九四は陽をもつて陰位に居りて位を得ず、上卦離の始めに在る。朱子先生は、後の明の將に繼がんとする時に、九四が剛をもつて之に迫るゆゑにこの象ありとし、小象の容いるる所無きを、焚かれ死し棄てらるることと說く。王弼先生は、九四は至尊の六五に逼せまり近づき、位にあらざるを履みてその盛んなるを進め、上を炎もやさんとするゆゑ命必ず終へず、應も承も無くして衆の容れざる所と注す。勢ひに任せて上を凌しのがんとする者は、自らを燒き盡くす。急なる進みは、身の置き所を失はせる。

九四は陽爻が陰位にあり、位は正しくありません。下の離が終わり、上の離が始まる境目にあたり、前の明るさが沈んで次の明るさが出ようとする時です。朱子は、後の明るさが受け継がれようとするその時に、九四が剛の勢いで迫るので、「突如其來如」の象があると説きます。続く「焚如,死如,棄如」は、燃え上がり、死に、捨てられることで、小象伝の「无所容也」、身を置く所がないことの中身です。勢いに任せて割りこむ危うさを戒める爻です。

順番を待たずに、いきなり前へ割りこむ。勢いはすさまじく、まるで火が燃え広がるようです。でも、そんなやり方は、まわりから受け入れられず、最後には居場所をなくしてしまいます。勢いだけで動くのは、それほどあぶないことなのです。早く認められたい、目立ちたいと思う時ほど、まわりの流れや順番を大切にしましょう。強い力は、正しい時と場所で使ってこそ、人を照らす光になります。

爻 辭

九四。突如其來如。焚如。死如。棄如。

九四。突如とつじょとして其れ來如らいじょたり。焚如ふんじょたり、死如しじょたり、棄如きじょたり。

九四。突如としてやつて來る。焚かれ、死に、捨て去られる。

小象傳

突如其來如。无所容也。

突如として其れ來如たりとは、容いるる所无きなり。

突如としてやつて來るとは、身を容れる所がどこにもないのである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、明道の始めて變ずる際に處り、昏くして始めて曉け、沒して始めて出づるゆゑ突如其來如とする。至尊に逼り近づきて位にあらずして上を炎やさんとすれば命終へず、應も承もなく衆の容れざる所なりと注す。

〔爻辭〕處於明道始變之際,昏而始曉,沒而始出,故曰「突如其來如」。其明始進,其炎始盛,故曰「焚如」。逼近至尊,履非其位,欲進其盛,以炎其上,命必不終,故曰「死如」。違離之義,無應無承,眾所不容,故曰「棄如」也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、三を始めて昏く已に沒する時、四を始めて曉け始めて出づる時とし、突然として至るを突如其來如と解す。至尊に逼りて上を焚き、命全からず、離道に違ひて衆の容れざる所となるとする。

〔爻辭〕「九四,突如其來如,焚如,死如,棄如」。○正義曰:「突如其來如」者,四處始變之際,三為始昏,四為始曉。三為已沒,四為始出,突然而至,忽然而來,故曰「突如其來如」也。「焚如」者,逼近至尊,履非其位,欲進其盛,以焚炎其上,故云「焚如」也。死如者,既焚其上,命必不全,故云「死如」也。「棄如」者,違於離道,無應無承,眾所不容,故云「棄如」。是以《象》云:「無所容也。」

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、後の明の將に繼がんとする時に、九四が剛をもつて之に迫るゆゑにこの象ありとし、小象の容るる所無しを、焚かれ死し棄てらるるをいふと解す。

〔爻辭〕後明將繼之時而九四以剛迫之故其象如此
〔小象傳〕无所容言焚死棄也

Fifth Yin — Sovereign Position
六五

出 涕 沱 若

なみだをいだすこと だじゃくたり

━ ━
Commentary · 六五 出涕 東洋文化硏究會 解釋

淚を流して憂ふる者が、かへつて吉を得る。六五は陰をもつて尊位に居り、上卦の中を得れども位は正しからず、上下を陽に挾まれる。朱子先生は、陰をもつて尊に居り、柔は中に麗けども正を得ず、上下の陽に迫らるるゆゑ、憂へ懼るること此の如く、然る後に吉を得ると說く。王弼先生は、柔をもつて剛に乘り、下の九四の剛が進み來りて己を害せんとするゆゑ憂へ傷むこと深く、されど麗く所は尊位にして、九四は逆の首なれば、衆の助くる所となりて吉を得ると注す。小象傳は、王公に麗くゆゑの吉と結ぶ。上に立つ者が危ふさを知り心から憂ふる時、人はその人を助ける。驕らぬ憂ひこそ、身を守る。

六五は陰爻が陽位にあり、上卦の中を得た君位の爻ですが、位は正しくありません。しかも上の上九、下の九四という二つの陽にはさまれています。朱子は、柔らかな陰が中に寄り添ってはいても正しさを欠き、上下の陽に迫られているので、涙を流して憂え嘆くほどに恐れつつしみ、そうしてこそ吉を得ると読みます。小象伝は「離王公也」と、王公の位に寄り添っていることを吉の理由に挙げます。弱さを自覚して心から憂える指導者は、かえって支えを得ます。

涙がとまらないほど悩み、ため息をついている。でも、この線の結果は「よい」なのです。上に立つ人が、自分の弱さや危うさをきちんと感じとり、真剣に心配しているからです。こういう人を見ると、まわりの人は「助けたい」と思います。強がって平気なふりをするより、正直に悩む姿のほうが、人の心を動かすこともあります。つらい時は、無理に笑わなくてもいいのです。

爻 辭

六五。出涕沱若。戚嗟若。吉。

六五。涕なみだを出だすこと沱若だじゃくたり。戚うれへて嗟若さじゃくたり。吉なり。

六五。淚を流すこと雨のやうに激しく、憂へて嘆き悲しむ。吉である。

小象傳

六五之吉。離王公也。

六五の吉なるは、王公に離つけばなり。

六五が吉であるのは、王公の位に麗いてゐるからである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、六五は位にあらずして履む所に勝へず、柔を以て剛に乘りて下を制する能はず、下の剛進みて己を害せんとするゆゑ憂傷深しとする。されど麗く所は尊位にして四は逆首なれば、衆の助けを得て吉と注す。

〔爻辭〕履非其位,不勝所履。以柔乘剛,不能制下,下剛而進,將來害已,憂傷之深,至於沱嗟也。然所麗在尊,四為逆首,憂傷至深,眾之所助,故乃沱嗟而獲吉也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、六五は其の任に勝へず下の剛に害せられんとして涕を出だすこと滂沱、憂戚して咨嗟すと解す。小象は、五に居りて王公の位に離附し衆に助けらるるゆゑ吉とし、王に公を連ぬるは韻に會はせんがためとする。

〔爻辭〕正義曰:「出涕沱若」者,履非其位,不勝其任,以柔乘剛,不能制下,下剛而進,將來害已,憂傷之深,所以出涕滂沱,憂戚而咨嗟也。「若」是語辭也。「吉」者,以所居在尊位,四為逆首,已能憂傷悲嗟,眾之所助,所以「吉」也。
〔小象傳〕正義曰:此釋「六五吉」義也。所以終得吉者,以其所居在五,離附於王公之位,被眾所助,故得吉也。五為王位,而言公者,此連王而言公,取其便文以會韻也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、六五は陰を以て尊に居り、柔は中に麗けども其の正を得ず、上下の陽に迫らるるゆゑ、憂へ懼るること此の如くにして然る後に吉を得とし、占者を戒む。

〔爻辭〕以隂居尊柔麗乎中然不得其正而迫於上下之陽故憂懼如此然後得吉戒占者宜如是也

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上九

王 用 出 征

わう もちゐて いでてせいす

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Commentary · 上九 出征 東洋文化硏究會 解釋

離の極に至りて、明は遠くに及ぶ。上九は陽剛をもつて卦の極に居る。王弼先生は、離の極に處りて離の道已に成れば、其の非類を除きて民の害を去るべし、これ王用ゐて出でて征するの時なりと注す。朱子先生は、剛明遠きに及び、威は震へども刑は濫りならず、これ咎無きの道なりと說く。首を折るとは渠魁きよくわいを討つことにして、獲ること其の醜に匪ずとは、從ふ者どもまで捕らへぬことである。小象傳は、以て邦を正すなりと結ぶ。正義を行ふにも節度がある。惡の根を斷ちて、なほ多くを罰せず。明るさとは、照らして裁き過ぎぬことである。

上九は陽爻が陰位にあり、卦の最上位、離の明るさが極まった所にいます。朱子は、剛く明るい力が遠くまで及び、威勢は鳴り響いても刑罰はむやみに広げない、これが咎めのない道だと説きます。「有嘉折首」は手柄を立てて敵の首領を討つこと、「獲匪其醜」は手下の者たちまでは捕らえないことと読めます。小象伝は「以正邦也」と、征伐の目的は国を正すことにあると述べます。正しい力も、行き過ぎれば暴力になる。節度ある決断の大切さを教える爻です。

悪い人たちを退治しに出かける王さまの軍隊。でも、この線が大切にしているのは、悪の中心にいる者だけをこらしめ、ついてきただけの人たちまでは罰しないことです。正しいことをしている時ほど、人はつい、やりすぎてしまいます。注意したり、しかったりする時も、本当に正すべきところだけを正し、相手を追いつめすぎないようにしましょう。それが、まわりを明るく照らす、本当の強さです。

爻 辭

上九。王用出征。有嘉折首。獲匪其醜。无咎。

上九。王用ゐて出でて征せいす。嘉よみすること有りて首かしらを折る。獲ること其の醜たぐひに匪あらず。咎无し。

上九。王はこの者を用ゐて征伐に出る。手柄があつて、敵の首領を討ち取る。捕らへるのはその手下の者どもではない。咎めはない。

小象傳

王用出征。以正邦也。

王用ゐて出でて征すとは、以て邦くにを正すなり。

王がこの者を用ゐて征伐に出るのは、國を正すためである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、離を麗とし各々其の麗く所に安んずるを離といふ。離の極に處りて離道已に成れば、其の非類を除きて民の害を去る、これ王用出征の時なりとし、必ず嘉有りて首を折り、獲ること其の醜に匪ずして咎無しと注す。

〔爻辭〕「離」,麗也,各得安其所麗謂之「離」。處離之極,離道已成,則除其非類以去民害,「王用出征」之時也。故必「有嘉折首,獲匪其醜」,乃得「無咎」也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、離道既に成りて物みな親附すれば、非類を除き民の害を去るべきゆゑ王用出征とし、罪人を征して嘉美の功あり、其の首を折り、醜類に匪ざる者を獲ると解す。小象は、民の害を除きて邦國を正すをいふとする。

〔爻辭〕正義曰:「王用出征」者,處離之極,離道既成,物皆親附,當除去其非類,以去民害,故「王用出征」也。「有嘉折首,獲匪其醜」者,以出征罪人,事必克獲,故有嘉美之功,折斷罪人之首,獲得匪其醜類,乃得「無咎」也。若不出征除害,居在終極之地,則有咎也。
〔小象傳〕正義曰:釋「出征」之義。言所出征者,除去民害,以正邦國故也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、上九は剛明にして遠きに及び、威は震へども刑は濫りならず、これ咎無きの道なりとし、ゆゑに王用出征・有嘉折首・獲匪其醜の象占ありと解す。

〔爻辭〕剛明及逺威震而刑不濫无咎之道也故其象占如此

Supplementary Notes
上・下卦離(火) / 離(火) — 八純卦
卦 德麗(明)
象 意火・日・電・雉・目・中女
方 位南(後天八卦)
季 節夏(夏至の頃)
五 行火
身 體目
人 物中女
八 宮離宮 八純卦(本宮)(京房の八宮)
綜・錯・互綜卦 この卦自身
錯卦 坎爲水(第二十九卦)
互卦 澤風大過(第二十八卦)
序卦傳陷必有所麗。故受之以離。離者麗也。
陷おちいれば必ず麗つく所有り。故に之を受くるに離を以てす。離とは麗くなり。
雜卦傳離上。而坎下也。
離は上のぼりて、坎は下くだるなり。
占断總括離爲火を得た場合、一般には明るさと附著の卦。正しきものに寄り添へば光は廣く及ぶが、麗く所を誤れば燃え盡きる。柔順の德を養ひ、焦らず明を繼ぎ、裁くにも度を越えぬことが肝要。
前の明と後の明九三(日昃くの離)・九四(突如として其れ來如たり) 下の離の明が傾いて沒し、上の離の明が出でんとする境目の二爻。老いを樂しめずに嘆く者と、勢ひに任せて迫る者と、ともに明の移り變はりに處し得ぬ姿を示す
校 異底本はウィキソース『周易』。『周易正義』(王弼注・孔穎達疏)と朱熹『周易本義』で校めた。
九三の爻辭:底本「耋之差凶」を「耋之嗟凶」とした