䷜

坎 爲 水

かんゐすい

The Abysmal

習坎。有孚。維心亨。行有尚。

彖曰、習坎。重險也。水流而不盈。行險而不失其信。維心亨。乃以剛中也。行有尚。往有功也。天險不可升也。地險山川丘陵也。王公設險以守其國。險之時用大矣哉。

象曰、水洊至。習坎。君子以常德行。習教事。

習坎しふかんは、孚まこと有り。維これ心亨とほる。行けば尚たふとばるること有り。

彖に曰く、習坎は、重險なり。水流れて盈みたず、險を行きて其の信を失はず。維れ心亨るとは、乃ち剛中なるを以てなり。行けば尚ばるること有りとは、往きて功有るなり。天の險は升のぼる可からざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公は險を設けて以て其の國を守る。險の時用じよう、大おほいなるかな。

象に曰く、水洊しきりに至るは、習坎なり。君子以て德行を常にし、教事を習ふ。

險の重なる習坎の卦は、まことがあり、その心は通じてゐる。進んで行けば、尊ばれることがある。

彖傳にいう。習坎とは、險が重なることである。水は流れて滿ちることがなく、險しい所を行つても、その信を失はない。その心が通じるとは、剛が中に在るからである。進んで行けば尊ばれるとは、行けば功があるのである。天の險しさは、登ることができない。地の險しさとは、山や川や丘陵である。王公は險しい備へを設けて、その國を守る。險を時に應じて用ゐるはたらきは、まことに大きい。

象傳にいう。水が次々と流れ至るのが習坎である。君子はこれに倣ひ、德行を常に變はらず保ち、人を敎へ導く事をくり返し習ふ。

Commentary 東洋文化硏究會 解釋 坎爲水 卦全体の解説

坎爲水かんゐすいは、坎を上下に重ねた八純卦の一つである。坎は一陽が二陰の間に陷る形にして、朱子先生は、外は虛にして中は實なりとし、その象を水とする。險の上に險が重なるゆゑ、卦辭はとくに習坎と名づける。孔穎達先生は、諸卦の名に字を加へぬ中で坎のみ習の字を冠するは險難のゆゑとし、習に、險の重なる意と、險を行く事に便習べんしふする意との二義ありといふ。險難はくり返し來る。されど彖傳は、水は流れて盈たず、險を行きて其の信を失はずといふ。重なる苦難の中にも中なる誠を失はず、くり返し習ひて道を行くことを敎へる卦である。

上卦も下卦も坎(水・険しさ)で、坎を二つ重ねた八純卦です。坎は一本の陽爻が二本の陰爻にはさまれた形で、陽が陰の中に落ち込んだ姿です。朱子は、外が虚で中が実であることから、坎の象を水とします。険しさが二重になっているので、この卦だけは卦名に「習」(重なる)の字が付き、「習坎」と呼ばれます。九二と九五の陽は、それぞれ上下の卦の真ん中で陰にはさまれています。険に囲まれても、中心の剛さを失わないことが卦全体の主題です。

一つの困難を乗りこえたと思ったら、また次の困難がやってくる。この卦は、そんな「困難の重なり」を表しています。形は、水の流れる深い穴が、上と下に二つ続いているところです。けれども水は、どんな深い穴にぶつかっても、流れることをやめません。大切なのは、つらい時にも、自分の中の正直な心をなくさないことです。何度も同じ困難に出会うことは、それに慣れ、うまく乗りこえる練習にもなります。あきらめずに、一歩ずつ進みましょう。

Hexagram Statement
Commentary 東洋文化硏究會 解釋

卦辭は、險の重なる中にも「孚まこと有り、維れ心亨とほる」と說く。王弼先生は、剛正が內に在るを孚有りとし、陽が外に發せずして內に在るを心亨るとする。內は亨り外は闇く、內は剛にして外は順なれば、これを以て險を行きて「尚ばるること有り」と注す。彖傳は、天の險は升るべからず、地の險は山川丘陵なりとし、王公は險を設けて國を守ると說いて、「險の時用、大いなるかな」と結ぶ。險は避くべきものとのみ見ず、時に應じて用ゐれば身と國とを守るものとなる。大象傳は、水の洊しきりに至る象に、君子は德行を常にし、教事を習ふといふ。くり返し習ひて身に熟すことが、險に處する道である。

卦辞の「有孚,維心亨」は、陽爻が中にある坎の形から読み取れます。九二と九五の陽が、上下それぞれの卦の中心にあり、外の陰に囲まれながら中は充実している。これがまことであり、心が通じている姿です。彖伝は「水流而不盈,行險而不失其信」と、水が険しい所を流れても信を失わない様子にたとえます。さらに天地の険、王公が険を設けて国を守ることに及び、険にも時に応じた用があると説きます。大象伝について朱子は、自分を治めるのも人を治めるのも、重ねて習ってこそ身につくと解します。

この卦の言葉は「まことがあれば、心は通じる。進めば認められる」と言います。困難が重なる時でも、心の中の誠実さを失わなければ、道は開けるということです。水は高い所から低い所へ、休まず流れ続けます。人も、毎日同じことを地道にくり返すことで、本当の力が身につきます。けわしい山や川が国を守るように、困難は、時には自分を守り、きたえてくれるものにもなります。苦しい時ほど、毎日の習慣を大切にしましょう。

卦 辭

習坎。有孚。維心亨。行有尚。

習坎しふかんは、孚まこと有り。維これ心亨とほる。行けば尚たふとばるること有り。

險の重なる習坎の卦は、まことがあり、その心は通じてゐる。進んで行けば、尊ばれることがある。

彖 傳

習坎。重險也。水流而不盈。行險而不失其信。維心亨。乃以剛中也。行有尚。往有功也。天險不可升也。地險山川丘陵也。王公設險以守其國。險之時用大矣哉。

習坎は、重險なり。水流れて盈みたず、險を行きて其の信を失はず。維れ心亨るとは、乃ち剛中なるを以てなり。行けば尚ばるること有りとは、往きて功有るなり。天の險は升のぼる可からざるなり。地の險は山川丘陵なり。王公は險を設けて以て其の國を守る。險の時用じよう、大おほいなるかな。

習坎とは、險が重なることである。水は流れて滿ちることがなく、險しい所を行つても、その信を失はない。その心が通じるとは、剛が中に在るからである。進んで行けば尊ばれるとは、行けば功があるのである。天の險しさは、登ることができない。地の險しさとは、山や川や丘陵である。王公は險しい備へを設けて、その國を守る。險を時に應じて用ゐるはたらきは、まことに大きい。

大象傳

水洊至。習坎。君子以常德行。習教事。

水洊しきりに至るは、習坎なり。君子以て德行を常にし、教事を習ふ。

水が次々と流れ至るのが習坎である。君子はこれに倣ひ、德行を常に變はらず保ち、人を敎へ導く事をくり返し習ふ。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、坎を險陷の名、習を便習とし、剛正の內に在るを孚有り、陽の外に發せずして內に在るを心亨るとす。彖傳には、坎を便習して坎の地に之けば往きて必ず功有りとし、天地より以下、險を須たざるは莫く、その用には時ありと注す。

〔卦辭〕「坎」,險陷之名也。「習」謂便習之。 剛正在內,「有孚」者也。陽不外發而在乎內,「心亨」者也。 內亨外闇,內剛外順,以此行險,「行有尚」也。
〔彖傳〕坎以險為用,故特名曰「重險」,言「習坎」者,習重乎險也。 險峭之極,故水流而不能盈也。處至險而不失剛中,「行險而不失其信」者,「習坎」之謂也。 便習於「坎」而之「坎」地,盡坎之宜,故往必有功也。 不可得升,故得保其威尊。 有山川丘陵,故物得以保全也。 國之為衛,恃於險也。言自天地以下莫不須險也。 非用之常,用有時也。
〔大象傳〕重險懸絕,故「水洊至」也。不以「坎」為隔絕,相仍而至,習乎「坎」也。 至險未夷,教不可廢,故以常德行而習教事也。「習於坎」,然後乃能不以險難為困,而德行不失常也。故則夫「習坎」,以常德行而習教事也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、諸卦の名に字を加へぬ中に坎のみ習を冠するは險難のゆゑとし、習に、上下俱に坎にして險の重なる意と、人の險を行くには先づ其の事に便習すべき意との二義ありとする。

〔卦辭〕正義曰:「坎」是險陷之名。「習」者,便習之義。險難之事,非經便習,不可以行。故須便習於坎,事乃得用,故云「習坎」也。案:諸卦之名,皆於卦上不加其字。此坎卦之名特加「習」者,以坎為險難,故特加「習」名。「習」有二義:一者習重也,謂上下俱坎,是重疊有險,險之重疊,乃成險之用也。二者人之行險,先須使習其事,乃可得通,故云「習」也。 「有孚維心亨」。○正義曰:「有孚」者,亨,信也,由剛正在內,故有信也。「維心亨」者,陽不發外而在於內,是「維心亨」,言心得通也。 「行有尚」。○正義曰:內亨外闇,內剛外柔,以此行險,事可尊尚,故云「行有尚」也。
〔彖傳〕「《彖》曰:習坎重險也」。○正義曰:釋「習坎」之義。言「習坎」者,習行重險。險,難也。若險難不重,不為至險,不須便習,亦可濟也。今險難既重,是險之甚者,若不便習,不可濟也,故注云「習坎者習重險也」。注「坎以險為用」至「習乎重險也」。○正義曰:言「習坎者,習乎重險也」者,言人便習於「坎」,止是便習重險。便習之語以釋「習」名。兩「坎」相重,謂之「重險」,又當「習」義,是一「習」之名,有此兩義。 正義曰:此釋「重險」「習坎」之義。「水流而不盈」,謂險陷既極,坑阱特深,水雖流注,不能盈滿,言險之甚也,釋「重險」之義也。「行險而不失其信」,謂行此至險。能守其剛中,不失其信也。此釋「習坎」及「有孚」之義也。以能便習於險,故守剛中,「不失其信」也。 正義曰:「維心亨乃以剛中也」者,釋「維心亨」義也。以剛在於中,故維得心亨也。「行有尚,往有功」者,此釋「行有尚」也。既便習於坎而往之險地,必有其功,故云「行有尚,往有功也」。 正義曰:此已下廣明險之用也。言天之為險,懸邈高遠,不可升上,此天之險也。若其可升,不得保其威尊,故以「不可升」為「險」也。 正義曰:言地以山川丘陵而為險也,故使地之所載之物保守其全。若無山川丘陵,則地之所載之物失其性也。故地以山川丘陵而為險也。 正義曰:言王公法象天地,固其城池,嚴其法令,以保其國也。 正義曰:言天地已下,莫不須險,險雖有時而用,故其功盛大矣哉!
〔大象傳〕正義曰:重險懸絕,其水不以險之懸絕,水亦相仿而至,故謂為「習坎」也。以人之便習於「坎」,猶若水之洊至,水不以險為難也。 正義曰:言君子當法此,便習於坎,不以險難為困,當守德行而習其政教之事。若能習其教事,則可便習於險也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、習を重習、坎を險陷とし、その象を水とする。陽が陰中に陷りて外虛中實なるを、重險の中に中實ある有孚心亨の象とし、是を以て行けば必ず功有りとする。大象には、己を治め人を治むるに重習して熟すべしと解す。

〔卦辭〕習重習也坎險陷也其象為水陽陷隂中外虛而中實也此卦上下皆坎是為重險中實為有孚心亨之象以是而行必有功矣故其占如此
〔彖傳〕釋卦名義 以卦象釋有孚之義言内實而行有常也 以剛在中心亨之象如是而往必有功也 極言之而贊其大也
〔大象傳〕治已治人皆必重習然後熟而安之

First Yin
初六

入 于 坎 窞

かんたんにいる

━ ━
Commentary · 初六 坎窞 東洋文化硏究會 解釋

穴の底に、さらに穴がある。初六は陰柔にして重なる險の最も下に居り、上に應援おうゑんなく、自ら濟ふ力もない。朱子先生は、陰柔をもつて重險の下に居るゆゑ、其の陷おちいること益ますます深しと說く。王弼先生は、重險に處してまた坎の底に入るは、險を行きて自ら濟ふこと能はず、道を失ひて坎底に窮まるものとし、ゆゑに凶と注す。小象傳もまた「道を失ひて凶なるなり」といふ。苦難に慣れて心が緩めば、人はかへつて深みにはまる。險に習ふとは、險に馴れ親しむことにあらず、險を出づる道を常に求むることである。

初六は陰爻が陽位にあり、正しくない位で、しかも重なる険のいちばん下にいます。上の六四も陰なので応がなく、引き上げてくれる助けがありません。「坎窞」は穴の中のさらに深いくぼみのことです。朱子は、弱い陰の身で重い険の底にいるので、ますます深く落ち込むと解します。小象伝の「失道凶也」は、道を見失ったために凶となることを指します。困難が続くと、人は抜け出す努力を忘れがちです。そうした心のゆるみへの警告と読めます。

穴に落ちて、もがくうちに、もっと深い穴に落ちてしまう。悪いことが次の悪いことを呼ぶ、そんな流れです。手をさしのべてくれる人もいません。つらいことが続くと、「どうせ無理だ」とあきらめて、道を見失ってしまうことがあります。そんな時は、まず深呼吸をして、今いる場所を確かめましょう。そして、ひとりで抱えこまずに、信頼できる人に助けを求めてください。抜け出す道を探すことを、あきらめないでください。

爻 辭

初六。習坎。入于坎窞。凶。

初六。習坎、坎窞かんたんに入る。凶なり。

初六。險の重なる中で、さらに穴の底の深みに落ち込む。凶である。

小象傳

習坎入坎。失道凶也。

習坎、坎に入るとは、道を失ひて凶なるなり。

險の重なる中でさらに穴に落ち込むとは、道を失つて凶なのである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、習坎を險難の事を習ひ爲すこととし、初六は最も坎の底に處りて坎窞に入る者とする。險を行きて自ら濟ふこと能はず、道を失ひて坎底に窮まり、上に應援の以て自ら濟ふべきなきゆゑ凶と注す。

〔爻辭〕「習坎」者,習為險難之事也。最處坎底,入坎窞者也。處重險而復入坎底,其道「凶」也。行險而不能自濟,「習坎」而入坎窞,失道而窮在坎底,上無應援可以自濟,是以「凶」也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、初六は既に坎底に處りて上に應援なく、險難の事を習ひ爲す者とし、人の應援なきゆゑ坎窞に入りて凶に至ると解す。道を失ひて自ら濟ふこと能はざるゆゑ、小象に失道凶といふとする。

〔爻辭〕正義曰:既處坎底,上無應援,是習為險難之事。無人應援,故入於坎窞而至凶也。以其失道,不能自濟,故《象》云「失道凶」也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、初六は陰柔をもつて重なる險の最も下に居り、その陷ること益深しとし、ゆゑに習坎にして坎窞に入るの象と、凶の占とをここに示すと解す。

〔爻辭〕以隂柔居重險之下其陷益深故其象占如此

Second Yang
九二

坎 有 險

かんにして けんあり

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Commentary · 九二 有險 東洋文化硏究會 解釋

九二は險の只中に在りて、なほ剛中を守る爻である。陽をもつて陰位に居りて位を失ひ、上の九五も陽なれば應援なく、ゆゑに坎にして險有り。朱子先生は、重險の中に處りて未だ自ら出づること能はずと說きつつ、剛にして中を得るゆゑ、求めて小しく得べしと占ふ。王弼先生は、中に處りて初六・六三と相得るゆゑ小しく得べけれども、初・三は援けとするに足らずと注す。小象傳は「未だ中を出でざるなり」といふ。大事は成らずとも、小さき得を積むことが、險を出づる足がかりとなる。焦らず中を守るべし。

九二は陽爻が陰位にあり位は正しくありませんが、下卦の中を得ています。上の九五も陽なので応がなく、険しさの中で孤立しています。それでも剛の強さと中の徳があるので、朱子は「求小得」、大きくは望めなくても求めれば少しは得られると読みます。小象伝は、まだ険の中から出ていないからだと説明します。困難のただ中では、一気に抜け出そうとせず、小さな成果を確実に積み重ねることが大切です。地道な一歩が、やがて脱出への道を開きます。

大きな問題をかかえている時は、一度に全部を解決しようとしても、うまくいきません。この線は、まだ困難の真ん中にいて、助けも少ない状態です。でも、あせらずに小さな目標を立てれば、それは少しずつかなえられます。今日は一つだけ片づける。明日はもう一つ。そうやって小さな「できた」を積み重ねるうちに、出口が見えてきます。大きな成功より、小さな前進を大切にしましょう。

爻 辭

九二。坎有險。求小得。

九二。坎にして險有り。求めて小すこしく得。

九二。穴の中にあつて、なほ險しさがある。求めれば、少しは得られる。

小象傳

求小得。未出中也。

求めて小すこしく得とは、未だ中を出でざるなり。

求めて少しは得られるとは、まだ險の中を出てゐないからである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、九二は位を失ふゆゑ坎、上に應援なきゆゑ險有りとし、未だ險の中を出づること能はずとする。中に處りて初・三と相得るゆゑ小しく得を求むべけれど、初・三は援けとするに足らざるゆゑ小得といふと注す。

〔爻辭〕履失其位,故曰「坎」。上無應援,故曰「有險」。坎而有險,未能出險之中也。處中而與初三相得,故可以「求小得」也。初三未足以為援,故曰「小得」也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、坎難に在りて又險に遇ひ未だ險の中を出でざるを小象の未出中とし、陽を以て中に處り初・三來り附くゆゑ小しく得を求むべきも、初・三は柔弱にして大援とするに足らずと解す。

〔爻辭〕正義曰:「坎有險」者,履失其位,故曰「坎」也。上無應援,故曰「有險」。既在坎難而又遇險,未得出險之中,故《象》云「未出中」也。「求小得」者,以陽處中,初三來附,故可以「求小得」也。初三柔弱,未足以為大援,故云「求小得」也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、九二は重險の中に處りて未だ自ら出づること能はざるゆゑ險有るの象とし、然れども剛にして中を得るゆゑ、その占は求めて小しく得べしとする。

〔爻辭〕處重險之中未能自出故為有險之象然剛而得中故其占可以求小得也

Third Yin
六三

來 之 坎 坎

きたるもゆくも かんかん

━ ━
Commentary · 六三 坎坎 東洋文化硏究會 解釋

前にも險、後ろにも險。六三は陰をもつて陽位に居り、中も正も得ず、上下二つの坎の間に挾まれる。朱子先生は、來るも往くも皆險にして、前は險しく後ろは枕ちんす、すなはち寄りかかりて未だ安からず、その陷ること益深しとし、用ゐるべからずと說く。王弼先生も、出づれば坎、居るも坎、出でても之く所なく、處りても安んずる所なしと注し、徒らに勞するのみといふ。小象傳は「終に功无きなり」と結ぶ。進退ともに窮まる時は、無理に動けば深みにはまる。動かずして時を待つこともまた、一つの身の處し方である。

六三は陰爻が陽位にあり、中でも正でもなく、下の坎と上の坎の境目に挟まれています。下に戻っても坎、上に進んでも坎で、「來之坎坎」とはこのことです。朱子は、前には険があり、後ろは寄りかかっても安らげない状態を「險且枕」と読み、ますます深く落ち込むので「勿用」、動いてはならないとします。小象伝は「終无功也」と、動いても結局は成果がないと述べます。どちらへ動いても危ない時は、むやみに動かないことも大切な判断です。

前に進んでも、うしろに下がっても、どちらも危ない。この線は、そんな八方ふさがりの状態を表しています。こういう時に、あわててあちこち動き回ると、かえって深みにはまってしまいます。だから易は「動いてはいけない」と言います。じっとしているのはつらいものです。でも、待つことでしか見えてこない道もあります。動けない時は、体と心を休め、状況が変わるのを落ち着いて待ちましょう。

爻 辭

六三。來之坎坎。險且枕。入于坎窞。勿用。

六三。來るも之ゆくも坎坎かんかんたり。險にして且つ枕ちんす。坎窞かんたんに入る。用ゐること勿れ。

六三。來るも行くも、險また險である。前は險しく、後ろは寄りかかつても安らげない。穴の底の深みに落ち込む。動いてはならない。

小象傳

來之坎坎。終无功也。

來るも之ゆくも坎坎たりとは、終に功无きなり。

來るも行くも險また險であるとは、結局は功がないのである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、六三は位にあらざるを履み兩坎の間に處り、出づれば坎に之き居るもまた坎なるゆゑ來之坎坎とし、枕は支へありて安からざるの謂と解す。出でては之く所なく處りては安んずる所なく、徒らに勞するのみと注す。

〔爻辭〕既履非其位,而又處兩「坎」之間,出則之「坎」,居則亦「坎」,故曰「來之坎坎」也。「枕」者,枕枝而不安之謂也。出則無之,處則無安,故曰「險且枕」也。來之皆「坎」,無所用之,徒勞而已。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、六三は出づるも居るも坎に在り、出づれば應なく處れば安からずとし、出入ともに難しきゆゑ坎窞に入ると解す。勿用を出行すべからざる意とし、出行せば終に功なく徒らに勞するのみ、ゆゑに小象に終无功といふとする。

〔爻辭〕正義曰:「來之坎坎」者,履非其位而處「兩坎」之閒,出之與居,皆在於「坎」,故云「來之坎坎」也。「險且枕」者,「枕」,枝而不安之謂也。出則無應,所以險處則不安,故「且枕」也。「入於坎窞」者,出入皆難,故「入於坎窞」也。「勿用」者,不可出行。若其出行,終必無功,徒勞而已,故《象》云「終無功」也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、六三は陰柔にして中正ならず重險の間を履み、來往みな險にして、前は險しく後ろは枕すとし、枕を倚り著きて未だ安からざる意と解す。その陷ること益深く、用ゐる可からずとする。

〔爻辭〕以隂柔不中正而履重險之間來往皆險前險而後枕其陷益深不可用也故其象占如此枕倚著未安之意

Fourth Yin
六四

樽 酒 簋

そんしゅ き

━ ━
Commentary · 六四 樽酒 東洋文化硏究會 解釋

樽の酒、簋の食、素燒きの缶ほとぎ。六四の禮は、まことに質素である。六四は陰をもつて陰位に居りて正を得、すぐ上の九五の君に近い。朱子先生は、晁氏の說に從ひて樽酒簋を一句、貳用缶を一句と讀み、貳を益すことと解す。險の時に當たり剛柔相際まじはるゆゑ、薄き禮を用ゐて誠心を益し、牖まどより結びを進むる象ありとし、牖は正しき出入りの所にあらねど、室の明かりを受くる所なりといふ。王弼先生もまた、明信顯著なれば外飾を存せずと說く。飾りなき誠こそ、險の中にも人と人とを結ぶ。初めは艱しくとも、終に咎はない。

六四は陰爻が陰位にある「正」の爻で、君位の九五のすぐ下にいます。朱子は晁氏の説に従って「樽酒簋,貳用缶」と区切り、樽の酒と簋の食物に、素焼きの缶を添える程度の質素な礼と読みます。そして、険しい時に剛(九五)と柔(六四)が接し合うので、飾りを省いて誠を尽くし、窓から結びつきを進める象だと説きます。窓は正式な出入り口ではありませんが、部屋に光を入れる所です。形式にとらわれず、誠意で通じ合う大切さを教える爻です。

ごちそうがなくても、立派な器がなくても、心のこもったもてなしは相手に伝わります。この線は、質素なお酒と食べ物を、素焼きの器にのせて差し出す場面です。しかも、正面の入り口からではなく、窓からそっと差し入れます。苦しい時には、形をととのえる余裕はありません。でも、まごころがあれば、人と人はつながれます。困っている人がいたら、小さなことでいいので、気持ちをこめて手をさしのべてみましょう。

爻 辭

六四。樽酒簋。貳用缶。納約自牖。終无咎。

六四。樽酒、簋き、貳そふるに缶ほとぎを用ゐる。約を納いるるに牖まどよりす。終に咎无し。

六四。樽の酒と簋の食物とに、素燒きの缶を添へて用ゐる。約を結ぶのに、窓から差し入れる。終には咎めはない。

小象傳

樽酒簋貳。剛柔際也。

樽酒、簋き、貳そふとは、剛柔際まじはるなり。

樽の酒と簋の食物とに缶を添へる質素な禮が通じるのは、剛と柔とが交はり接するからである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、六四は柔にして柔に居り、位を得たる九五を承けて剛柔各其の所を得、明信顯著なれば外飾を存せずとする。一樽の酒・二簋の食・瓦の缶なりとも、至約を牖より進めば王公にも羞むべしとし、小象の際を剛柔の相親しむ意と注す。

〔爻辭〕處重險而履正,以柔居柔,履得其位,以承於五,五亦得位,剛柔各得其所,不相犯位,皆無餘應以相承比,明信顯著,不存外飾,處「坎」以斯,雖復一樽之酒,二簋之食,瓦缶之器,納此至約,自進於牖,乃可羞之於王公,薦之於宗廟,故「終無咎」也。
〔小象傳〕剛柔相比而相親焉,「際」之謂也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、樽酒簋貳を一樽の酒と二簋の食とし、さらに瓦の缶を用ゐると解す。儉約の物を牖より薦めて王公にも宗廟にも羞むべく、それを得るは六四の柔と九五の剛と交際して相親しむゆゑとする。

〔爻辭〕正義曰:「樽酒簋貳」者,處重險而履得其位,以承於五,五亦得位,剛柔各得其所,皆無餘應,以相承比,明信顯著,不假外飾。處「坎」以此,雖復一樽之酒,二簋之食,故云「樽酒簋貳」也。「用缶」者,既有「樽酒簋貳」,又用瓦缶之器,故云「用缶」也。「納約自牖終無咎」者,納此儉約之物,從牖而薦之,可羞於王公,可薦於宗廟,故云「終無咎」也。
〔小象傳〕正義曰:釋「樽酒簋貳」義。所以一樽之酒、貳簋之食得進獻者,以六四之柔與九五之剛兩相交際而相親,故得以此儉約而為禮也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は晁氏の說に從ひて樽酒簋を一句、貳用缶を一句と讀み、貳を益すと解す。險の時に剛柔相際はるゆゑ、薄禮に誠心を益して牖より結びを進むるの象とし、小象は陸氏釋文に貳の字なきに從ふ。

〔爻辭〕晁氏云先儒讀樽酒簋為一句貳用缶為一句今從之貳益之也周禮大祭三貳弟子職左執虛豆右執挾匕周旋而貳是也九五尊位六四近之在險之時剛柔相際故有但用薄禮益以誠心進結自牖之象牖非所由之正而室之所以受明也始雖艱阻終得无咎故其占如此
〔小象傳〕晁氏曰陸氏釋文本无貳字今從之

Fifth Yang — Sovereign Position
九五

坎 不 盈

かん みたず

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Commentary · 九五 不盈 東洋文化硏究會 解釋

水はまだ穴を滿たさない。されど平らかに至る時は近い。九五は陽剛中正ちゅうせいにして尊位に居り、上卦坎の主である。朱子先生は、九五は坎の中に在れども、陽剛中正をもつて尊位に居り、時もまた將に出でんとすと說く。王弼先生は、坎の主にして己を佐くる應輔なく、未だ坎を盈たすこと能はず、坎の盈たざるは險の盡きざるなりとし、既に平らかにして乃ち咎無く、九五は未だ咎を免れずと見る。小象傳は「中にして未だ大いならざるなり」といひ、朱子先生は中德有れども未だ大ならずと解す。出口の近きを知りてなほ驕らず、德を大きく育てるべきである。

九五は陽爻が陽位にあり、上卦の中を得た「中正」の君位の爻です。それでも坎の真ん中にあって、険しさからまだ抜け出していません。下の九二も陽なので応がありません。「坎不盈」は、穴がまだ水で満たされていないこと、つまり険がまだ尽きていないことです。朱子は、九五は険の中にあっても陽剛中正で尊位にあり、時もまさに出ようとしていると説きます。小象伝は「中未大也」と、中の徳はあってもまだ大きく広がっていないと戒めます。

長いトンネルの出口が、もうすぐ見えてきそうな時のお話です。困難はまだ完全には終わっていませんが、水はもうすぐあふれ出しそうなところまで来ています。ここで気をゆるめたり、いばったりすると、せっかくの流れをこわしてしまいます。終わりが近い時こそ、最後まで落ち着いて、まわりの人への気配りを忘れずにいましょう。あと少しの辛抱です。

爻 辭

九五。坎不盈。祗既平。无咎。

九五。坎盈みたず、既に平らかなるに祗いたる。咎无し。

九五。穴はまだ水で滿たされてゐないが、平らかになるところまで至つてゐる。咎めはない。

小象傳

坎不盈。中未大也。

坎盈みたずとは、中にして未だ大おほいならざるなり。

穴がまだ滿たされないとは、中の德を持ちながら、まだ大きく廣がるに至らないのである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、九五は坎の主にして自ら佐くる應輔なく、未だ坎を盈たすこと能はずとし、坎の盈たざるは險の盡きざるなりとする。祗を辭とし、既に平らかにして乃ち咎無しといふは、九五の未だ咎を免れざるを明らかにすと注す。

〔爻辭〕為坎之主而無應輔可以自佐,未能盈坎者也。坎之不盈,則險不盡矣。祗,辭也。為坎之主,盡平乃無咎,故曰「祗既平無咎」也。說既平乃無咎,明九五未免於咎也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、坎の主にして應輔なく險難の未だ盡きざるを坎不盈とし、祗を辭として、險難の盈ち滿ちて平らかなるを得て乃ち咎無く、未だ平らかならざれば猶ほ咎有りと解す。小象は、中に居れども應なく未だ光大ならずとする。

〔爻辭〕正義曰:「坎不盈」者,為坎之主而無應輔可以自佐,險難未能盈坎,猶險難未盡也。故云「坎不盈」也。「祗既平無咎」者,祗,辭也,謂險難既得盈滿而平,乃得「無咎」。若坎未盈平,仍有咎也。
〔小象傳〕正義曰:釋「坎不盈」之義,雖復居中而無其應,未得光大,所以坎不盈滿也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、九五は坎の中に在れども陽剛中正にして尊位に居り、時もまた將に出でんとするゆゑにこの象占ありとし、小象を、中德有れども未だ大ならずと解す。

〔爻辭〕九五雖在坎中然以陽剛中正居尊位而時亦將出矣故其象占如此
〔小象傳〕有中徳而未大

Top Yin
上六

係 用 徽 纆

つなぐに きぼくをもちゐる

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Commentary · 上六 徽纆 東洋文化硏究會 解釋

險の極に至りて、なほ道を失ふ者の行き着く所である。上六は陰柔をもつて卦の極、險の果てに居る。朱子先生は、陰柔にして險の極に居るゆゑにこの象占ありとする。徽纆きぼくは罪人を縛る繩、叢棘そうきょくは茨いばらを巡らせた獄の圍ひである。孔穎達先生は、上六は險峭の處に居て峻整の威を犯すゆゑ縛られ囚はるとし、險の道の終はらぬ三歲の間は吉を得ずと說く。されど險終はれば反る。自ら修むれば、三歲の後に復して自ら新たにすることを求め得るといふ。道を失へば苦しみは長い。けれども改むる心を持つ者には、やがて甦よみがへりの時が來る。

上六は卦の最上位、重なる険の果てにいる陰爻です。陰の柔らかさで険の極みにいるため、自力では抜け出せません。「徽纆」は罪人を縛る縄、「叢棘」はいばらで囲んだ牢獄を指し、捕らえられて閉じこめられる姿です。孔穎達は、険の道が終わらないうちは三年間吉を得られないが、険が終われば元に戻り、自ら修めれば三年の後に立ち直れると説きます。小象伝は「上六失道,凶三歲也」と、道を失った報いの長さを示します。

まちがった道を進み続けた結果、身動きがとれなくなってしまった。この線は、とげのある草の中に閉じこめられたような、つらい状態を表しています。「三年たっても抜け出せない」と言うほど、苦しみは長く続きます。でも、どんな苦しみにも終わりはあります。大切なのは、自分のまちがいを認め、やり直そうとする気持ちです。失敗した時は、言いわけをせず、一つずつ改めていきましょう。そうすれば、また歩き出せます。

爻 辭

上六。係用徽纆。寘于叢棘。三歲不得。凶。

上六。係つなぐに徽纆きぼくを用ゐる。叢棘そうきょくに寘おく。三歲まで得ず。凶なり。

上六。罪人を縛る繩でつながれ、いばらの茂みの中に置かれる。三年たつても拔け出すことができない。凶である。

小象傳

上六失道。凶三歲也。

上六の道を失ふは、凶なること三歲なり。

上六が道を失つたのは、その凶が三年續くといふことである。

王王弼先生『周易注』(三國魏)▾

出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)

王弼先生は、上六は險峭の極にして升る可からず、嚴法峻整にして犯し難き所に處るゆゑ、囚執せられて思過の地に寘かるとする。三歲を險道の夷らぐ期とし、險終はれば反り、三歲にして乃ち復を求むべしと注す。

〔爻辭〕險峭之極,不可升也。嚴法峻整,難可犯也。宜其囚執寘於思過之地。三歲,險道之夷也。險終乃反,故三歲不得自脩,三歲乃可以求復,故曰「三歲不得凶」也。

孔孔穎達先生『周易正義』(唐)▾

出典:『周易正義』(ウィキソース)

孔穎達先生は、上六は險峭の處に居りて峻整の威を犯すゆゑ徽纆の繩に繫がれ、叢棘に囚へらるとし、險道の未だ終はらざる三歲は吉を得ずと解す。自ら修むれば三歲の後に復を求めて自ら新たにし得とする。

〔爻辭〕正義曰:「系用徽纆置於叢棘」者,險峭之極,不可升上。嚴法峻整,難可犯觸。上六居此險峭之處,犯其峻整之威,所以被系用其徽纆之繩。「置於叢棘」,謂囚執之處,以棘叢而禁之也。「三歲不得凶」者,謂險道未終,三歲已來,不得其吉,而有凶也。險終乃反,若能自修,三歲後可以求復自新,故《象》云「上六,失道凶,三歲也」。言失道之凶,唯三歲之後可以免也。

朱朱熹先生『周易本義』(南宋)▾

出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)

朱子先生は、上六は陰柔をもつて重なる險の極に居るゆゑ、徽纆に係がれて叢棘に寘かれ、三歲まで得ざるの象と、凶の占とがあると解す。

〔爻辭〕以隂柔居險極故其象占如此

Supplementary Notes
上・下卦坎(水) / 坎(水) — 八純卦
卦 德陷(險)
象 意水・雨・雲・豕・耳・中男
方 位北(後天八卦)
季 節冬(冬至の頃)
五 行水
身 體耳
人 物中男
八 宮坎宮 八純卦(本宮)(京房の八宮)
綜・錯・互綜卦 この卦自身
錯卦 離爲火(第三十卦)
互卦 山雷頤(第二十七卦)
序卦傳物不可以終過。故受之以坎。坎者陷也。
物は以て終に過ぐ可からず。故に之を受くるに坎を以てす。坎とは陷おちいるなり。
雜卦傳離上。而坎下也。
離は上のぼりて、坎は下くだるなり。
占断總括坎爲水を得た場合、一般には重なる難儀の卦。苦難が次々と至り容易には拔け出せぬが、中なる誠を失はず、德行を常にして事を習ひ重ねれば、險もやがて平らかとなる。焦りて動けば深みにはまるゆゑ、小を積み時を待つことが肝要。
險の中の二つの陽九二(求めて小しく得)・九五(坎盈たず) 上下の坎の眞中に陷る二陽は、ともに剛中の德を持ちながら未だ險を出でず、小を得て時を待つ
校 異底本はウィキソース『周易』。『周易正義』(王弼注・孔穎達疏)と朱熹『周易本義』で校めた。
彖傳:底本「國坎之時」を「國險之時」とした
六四の爻辭:底本「尊酒簋貳用缶内約自」を「樽酒簋貳用缶納約自」とした
六四の小象傳:底本「剛柔济也」を「剛柔際也」とした
九五の爻辭:底本「盈禔既平」を「盈祗既平」とした