地 雷 復
ちらいふく
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復。亨。出入无疾。朋來无咎。反復其道。七日來復。利有攸往。
彖曰、復亨。剛反。動而以順行。是以出入无疾。朋來无咎。反復其道。七日來復。天行也。利有攸往。剛長也。復其見天地之心乎。
象曰、雷在地中。復。先王以至日閉關。商旅不行。后不省方。
復は、亨る。出入疾无く、朋來りて咎无し。其の道を反復し、七日にして來復す。往く攸有るに利し。
彖に曰く、復は亨る。剛反りて、動きて順を以て行く。是を以て出入疾无く、朋來りて咎无し。其の道を反復し、七日にして來復するは、天行なり。往く攸有るに利ろしとは、剛長ずればなり。復は其れ天地の心を見るか。
象に曰く、雷の地中に在るは、復なり。先王以て至日に關を閉ぢ、商旅行かず、后は方を省みず。
復の卦は、通じる。出るも入るも差し障りがなく、朋が來ても咎めはない。その道を行きつ戾りつして、七日でまた戾つて來る。進んで事を行ふのによろしい。
彖傳にいう。復が通じるのは、剛が下に戾り、動いて從順に行ふからである。ゆゑに、出るも入るも差し障りがなく、朋が來ても咎めはない。その道を行きつ戾りつし、七日でまた戾つて來るのは、天の運行である。進んで事を行ふのによろしいのは、剛が伸びてゆくからである。復にこそ、天地の心が見えるのではないか。
象傳にいう。雷が地の中にあるのが復である。先王はこれに倣ひ、冬至の日には關所を閉ぢ、商人や旅人を行かせず、君主も地方の事を視察しない。
剝の極みに上より去りし陽が、いま地の底に還り來る。これ地雷復の時である。序卦傳は、物は以て終に盡く可からず、剝上に窮まりて下に反るとして復を次ぐ。朱子先生は、純坤の十月に陽氣すでに下に生じ、月を踰えて一陽の體成るゆゑ、十一月の卦を復とすと說く。冬至の候、雷はなほ地中に在りて聲を發せず。下卦の震は動き、上卦の坤は順ふ。微かなる陽を急ぎ伸ばさんとせず、順ひて靜かに養ふべし。王弼先生は「復とは本に反るの謂なり」といふ。過ちに氣づかば、遠く行かぬうちに本に還ることである。
下卦は震(雷・動く)、上卦は坤(地・従う)です。剝で最後に残った陽が上から去り、こんどは一番下に陽が一つ戻ってきた形で、「一陽来復」と呼ばれます。十二消息卦では冬至を含む旧暦十一月にあたり、朱子も、純粋な陰の坤(十月)を経て陽が一つ成り、十一月が復になると説きます。雷が地の中にあって、まだ音を立てない姿です。剝と復は上下をひっくり返した関係(綜卦)で、衰えの極みと再生の始まりが背中合わせであることを示しています。
冬至は、一年でいちばん昼が短い日です。けれども、その日を境に、昼は少しずつ長くなっていきます。この卦は、そんな「よいことが戻り始める時」を表しています。下にたった一本の陽の線が生まれ、上の五本はまだ陰のままです。地面の下で、春の雷が目をさましたばかりのような状態です。小さな芽は、急いで引っぱると折れてしまいます。調子が戻り始めた時は、あせらず、ゆっくり大切に育てましょう。まちがいに気づいたら、早めに引き返すことも大切です。
卦辭は、出入に疾なく、朋來りて咎なしといひ、其の道を反復して七日にして來復すといふ。朱子先生は、五月の姤に一陰生じてより七爻を經て一陽來復するを天運の自然とし、七日を來復の期と說く。彖傳はこれを「天行なり」と結び、さらに「復は其れ天地の心を見るか」と歎ずる。王弼先生は、動きの地中に息むところに、寂然として至無なる天地の本、すなはち其の心が見ゆと說く。朱子先生は、積陰の下に一陽復た生ずるに、天地の物を生ずる心を見るとし、人に在りては惡極まりて善に向かふ端なりとす。大象傳の、至日に關を閉づるは、微かなる陽を安靜に養ふためである。
卦辞の「七日來復」について、朱子は、五月の姤(一陰が初めて生じる卦)から数えて七つ目の爻の変化で陽が戻るのを、天の運行の自然と説きます。彖伝の「剛反,動而以順行」は、陽が下に戻り、下卦震の動きが上卦坤の従順さに沿って進むことです。だから出入りに障りがなく、仲間の陽が来ても咎めがありません。彖伝はさらに「復其見天地之心乎」と言います。朱子はこれを、陽が尽きかけた果てに再び生まれるところに、万物を生み育てる天地の心が見えると読みます。
この卦の言葉は、「出かけても帰ってきても、さしさわりがない。仲間が来ても問題はない」と言います。さらに「七日たてば、また戻ってくる」とも言います。季節がめぐって冬から春へ向かうように、物事には戻ってくるリズムがあるのです。昔の王さまは、冬至の日には関所を閉じて、商人や旅人を休ませました。生まれたばかりの小さな力を、静かに守るためです。何かを始め直す時は、まず休んで力をたくわえることから始めましょう。
卦 辭
復。亨。出入无疾。朋來无咎。反復其道。七日來復。利有攸往。
復は、亨る。出入疾无く、朋來りて咎无し。其の道を反復し、七日にして來復す。往く攸有るに利し。
復の卦は、通じる。出るも入るも差し障りがなく、朋が來ても咎めはない。その道を行きつ戾りつして、七日でまた戾つて來る。進んで事を行ふのによろしい。
彖 傳
復亨。剛反。動而以順行。是以出入无疾。朋來无咎。反復其道。七日來復。天行也。利有攸往。剛長也。復其見天地之心乎。
復は亨る。剛反りて、動きて順を以て行く。是を以て出入疾无く、朋來りて咎无し。其の道を反復し、七日にして來復するは、天行なり。往く攸有るに利ろしとは、剛長ずればなり。復は其れ天地の心を見るか。
復が通じるのは、剛が下に戾り、動いて從順に行ふからである。ゆゑに、出るも入るも差し障りがなく、朋が來ても咎めはない。その道を行きつ戾りつし、七日でまた戾つて來るのは、天の運行である。進んで事を行ふのによろしいのは、剛が伸びてゆくからである。復にこそ、天地の心が見えるのではないか。
大象傳
雷在地中。復。先王以至日閉關。商旅不行。后不省方。
雷の地中に在るは、復なり。先王以て至日に關を閉ぢ、商旅行かず、后は方を省みず。
雷が地の中にあるのが復である。先王はこれに倣ひ、冬至の日には關所を閉ぢ、商人や旅人を行かせず、君主も地方の事を視察しない。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、入りて反り出でて剛長ずるゆゑ疾无しとし、朋を陽と解す。陽氣剝き盡きてより來復まで凡そ七日とし、復とは本に反るの謂にして、動きの地中に息むところに寂然至無なる天地の心見ゆと說く。
〔彖傳〕入則為反,出則剛長,故「無疾」。疾猶病也。 「朋」謂陽也。 陽氣始剝盡至來復時,凡七日。 以天之行,反覆不過七日,復之不可遠也。 往則小人道消也。 復者,反本之謂也,天地以本為心者也。凡動息則靜,靜非對動者也。語息則默,默非對語者也。然則天地雖大,富有萬物,雷動風行,運化萬變,寂然至無,是其本矣。故動息地中,乃天地之心見也。若其以有為心,則異類未獲具存矣。
〔大象傳〕方,事也。冬至,陰之復也。夏至,陽之復也。故為復則至於寂然大靜,先王則天地而行者也。動復則靜,行復則止,事復則無事也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、陽氣反復して亨通を得るを復亨とし、朋を衆陽と解す。七日を易緯の六日七分の說により、坤の一卦を隔てて陽の來復するの數とし、天地の心を、靜を心として爲さずして物自ら爲る寂然不動の意とする。
〔卦辭〕正義曰:「復亨」者,陽氣反復而得亨通,故云「復亨」也。「出入無疾」者,出則剛長,入則陽反,理會其時,故無疾病也。「朋來無咎」者,朋謂陽也。反復眾陽,朋聚而來,則「無咎」也。若非陽眾來,則有咎,以其眾陽之來,故「無咎」也。「反復其道,七日來復」者,欲速反之與復而得其道,不可過遠。唯七日則來復,乃合於道也。「利有攸往」者,以陽氣方長,往則小人道消,故「利有攸往」也。
〔彖傳〕正義曰:「復亨」者,以陽復則亨,故以亨連復而釋之也。「剛反動而以順行」者,既上釋「復亨」之義,又下釋「出入無疾朋來無咎」之理,故云「是以出入無疾朋來無咎」也。 正義曰:「陽氣始剝盡」,謂陽氣始於剝盡之後,至陽氣來復時,凡經七日。觀《注》之意,陽氣從剝盡之後,至於反復,凡經七日。其《注》分明。如褚氏、莊氏並云「五月一陰生,至十一月一陽生」,凡七月。而云「七日」,不云「月」者,欲見陽長須速,故變月言日。今輔嗣云「剝盡」至「來復」,是從盡至來復,經七日也。若從五月言之,何得云「始盡」也?又臨卦亦是陽長而言八月,今《復卦》亦是陽長,何以獨變月而稱七日?觀《注》之意,必謂不然,亦用《易緯》六日七分之義,同鄭康成之說。但於文省略,不復具言。案《易緯稽覽圖》云:「卦氣起中孚。」故離、坎、震、兌,各主其一方,其餘六十卦,卦有六爻,爻別主一日,凡主三百六十日。餘有五日四分日之一者,每日分為八十分,五日分為四百分四分日之一又為二十分,是四百二十分。六十卦分之,六七四十二卦,別各得七分,是每卦得六日七分也。剝卦陽氣之盡在於九月之末,十月當純坤用事。坤卦有六日七分。坤卦之盡,則復卦陽來,是從剝盡至陽氣來復,隔坤之一卦六日七分,舉成數言之,故輔嗣言「凡七日」也。「反復」者,則出入之義。反謂入而倒反復謂既反,之後復而向上也。 正義曰:「反復其道,七日來復。天行」者,以天行釋「反復其道七日來復」之義。言反之與復得合其道。唯七日而來復,不可久遠也。此是天之所行也。天之陽氣絕滅之後,不過七日,陽氣復生,此乃天之自然之理,故曰「天行」也。 正義曰:「以剛長」釋「利有攸往」之義也。 「復見天地之心乎」。○正義曰:「復其見天地之心乎」者,此贊明復卦之義。天地養萬物,以靜為心,不為而物自為,不生而物自生,寂然不動,此天地之心也。此復卦之象,「動」息地中,雷在地下,息而不動,靜寂之義,與天地之心相似。觀此復象,乃「見天地之心」也。天地非有主宰,何得有心?以人事之心,託天地以示法爾。
〔大象傳〕正義曰:「雷在地中復」者,雷是動物,復卦以動息為主,故曰「雷在地中」。「先王以至日閉關」者,先王象此復卦,以二至之日閉塞其關,使商旅不行於道路也。「后不省方」者,方,事也。后不省視其方事也。以地掩閉於雷,故關門掩閉,商旅不行。君後掩閉於事,皆取「動息」之義。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、純坤の十月を經て十一月の卦を復とし、五月の姤より七爻にして一陽來復するを天運の自然と說く。彖の天地の心を、積陰の下に一陽復た生ずる天地生物の心とし、大象を安靜にして微陽を養ふの意とする。
〔卦辭〕復陽復生於下也剝盡則為純坤十月之卦而陽氣已生於下矣積之踰月然後一陽之體始成而来復故十有一月其卦為復以其陽既往而復反故有亨道乂内震外坤有陽動於下而以順上行之象故其占又為己之出入既得无疾朋類之來亦得无咎又自五月姤卦一隂始生至此七爻而一陽來復乃天運之自然故其占又為反復其道至於七日當得來復又以剛徳方長故其占又為利有攸往也反復其道往而復來來而復往之意七日者所占來復之期也
〔彖傳〕以卦徳而言 隂陽消息天運然也 以卦體而言既生則漸長矣 積隂之下一陽復生天地生物之心幾於滅息而至此乃復可見在人則為靜極而動惡極而善本心幾息而復見之端也程子論之詳矣而邵子之詩亦曰冬至子之半天心无改移一陽初動處萬物未生時〓酒味方淡太音聲正希此言如不信更請問包羲至哉言也學者宜盡心焉
〔大象傳〕安靜以養微陽也月令是月齋戒掩身以待隂陽之所定
不 遠 復
とほからずしてかへる
一陽、下に復り生ず。初九は復の主にして、陽をもつて陽位に居りて正を得る。事の初めに在りて、道を失ふこと未だ遠からず、ゆゑに速やかに善に復り得る。朱子先生は祗を抵ると訓じ、悔に至らずして大いに善く吉なりと說く。王弼先生は、復ること速やかならざれば遂に迷ひて凶に至る、遠からずして復り、悔に幾くして反る、これを以て身を脩むれば患難遠ざかると注す。小象傳も「以て身を脩むるなり」と結ぶ。過ちは誰にもある。肝要なるは、それを悔いに至るまで重ねず、氣づきし時にすぐ改むる心である。
初九は陽爻が陽位にある「正」の爻で、五つの陰の下にただ一つ戻ってきた陽です。朱子はこれを「復之主」(復の卦の主役)とします。事の初めにいるので、道を外れても遠くまで行かないうちに戻れます。「无祗悔」の「祗」を朱子は「抵」(至る)と読み、後悔に至ることがないと解します。小象伝は、それを「脩身」(身を修める)の結果とします。過ちを犯さないことより、犯してもすぐ気づいて改めることの大切さが説かれています。六四がひとりこの初九に応じるのも、ここが復の中心だからです。
道をまちがえたと気づいたら、すぐに引き返す。これがこの線の教えです。少し進んだところで戻れば、大きな後悔をせずにすみます。この線の人は、下に戻ってきたばかりの、まっすぐで元気な力を持っています。まちがいをしない人はいません。大切なのは、気づいた時にすぐ直すことです。「あとで直そう」と思っているうちに、どんどん遠くへ行ってしまいます。言いすぎたと思ったら、その日のうちに「ごめんね」と言ってみましょう。
爻 辭
初九。不遠復。无祗悔。元吉。
初九。遠からずして復る。悔に祗る无し。元いに吉なり。
初九。遠くまで行かぬうちに戾る。後悔に至ることはない。大いに吉である。
小象傳
不遠之復。以脩身也。
遠からずして復るとは、以て身を脩むるなり。
遠くまで行かぬうちに戾るのは、身を修めるからである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、初九は復の初めに處りて始めて復る者とす。復ること速やかならざれば迷凶に至るも、遠からずして復り、悔に幾くして反れば、これを以て身を修めて患難遠ざかるゆゑ元吉と說く。
〔爻辭〕最處復初,始復者也。復之不速,遂至迷凶,不遠而復,幾悔而反,以此修身,患難遠矣。錯之於事,其始庶幾乎?故「元吉」也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、迷ひて遠からず卽ち能く復る者とし、韓氏の說を引きて祗を大と訓じ、大いなる悔なきゆゑ大吉とす。小象を、能く其の身を脩め正し、過ちあれば則ち改むるゆゑと解す。
〔爻辭〕正義曰:「不遠復」者,最處復初,是始復者也。既在陽復,即能從而復之,是迷而不遠,即能復也。「無祗悔元吉」者,韓氏云:「祗,大也。」既能速復,是無大悔,所以大吉。
〔小象傳〕正義曰:「釋不遠之復」也。所以不遠速復者,以能脩正其身,有過則改故也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、一陽下に復り生ずるを復の主とし、祗を抵と訓ず。事の初めに居りて之を失ふこと未だ遠からず、能く善に復りて悔に抵らざるを、大いに善くして吉なる道と說く。
〔爻辭〕一陽復生於下復之主也祗抵也又居事初失之未逺能復於善不抵於悔大善而吉之道也故其象占如此
休 復
よくかへる
休く復るとは、美しき復りである。六二は陰をもつて陰位に居り、下卦の中を得て中正なり。すぐ下に初九の一陽あり、これに近く比す。王弼先生は、陽は仁の行ひにして、六二は初九の上に在りながらこれに附き順ふ、これ仁に下るの謂なりと說き、仁に親しみ隣に善くするを復の休とす。朱子先生もまた、柔順中正にして初九に近く、能く之に下るを、復の休美にして吉の道とする。己より下の位に在る賢者に、身をかがめて學ぶ。その素直さが、人を正しき道に引き戾すのである。
六二は陰爻が陰位にあり、下卦の中を得た「中正」の爻です。六五とは陰どうしで応はありませんが、すぐ下に復の主である初九がいます。王弼は、陽を仁の行いとし、六二が初九の上にいながら、これに付き従う姿を、小象伝の「下仁」(仁にへりくだる)と説きます。自分より下の位置にいる者でも、正しい者には素直に学ぶ。そのしなやかさが「休復」、すなわち美しい立ち返り方なのです。身近にいる善い人を手本にすることの大切さが読み取れます。
自分より年下や後輩でも、正しいことをしている人がいたら、素直に見習う。それができる人は、すてきです。この線の人は、すぐそばにいる、まっすぐな人の姿を見て、自分も正しい道に戻ります。えらそうにせず、身近なお手本から学ぶことで、自然とよい方へ向かうのです。プライドがじゃまをして、素直になれない時もあるでしょう。そんな時こそ、近くにいる人のよいところを一つ見つけて、まねしてみましょう。
爻 辭
六二。休復。吉。
六二。休く復る。吉なり。
六二。美しく善く戾る。吉である。
小象傳
休復之吉。以下仁也。
休く復るの吉なるは、以て仁に下るなり。
美しく戾つて吉であるのは、仁者にへりくだるからである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、六二は位を得て中に處り、最も初に比すとし、上に陽爻の其の親しみを疑はしむるなしとす。陽を仁の行ひとし、初の上に在りて附き順ふを仁に下るとし、仁に親しみ隣に善きを復の休とする。
〔爻辭〕得位處中,最比於初。上無陽爻以疑其親,陽為仁行,在初之上而附順之,下仁之謂也。既處中位,親仁善鄰,復之休也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、位を得て中に處り最も初に比し、陽を仁の行ひとして己れ其の上に在りて附き順ふを、仁に降り下るとす。これ休美の復なるゆゑ休復吉といふと解す。
〔爻辭〕正義曰:得位處中,最比於初,陽為仁行,已在其上,附而順之,是降下於仁,是休美之復,故云「休復吉」也。以其下仁,所以「吉」也。故《象》云「休復之吉,以下仁也」。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、六二は柔順にして中正、復の主たる初九に近く居りて、能く之に下る者とし、これ復の休美なるものにして吉の道なりと說く。
〔爻辭〕柔順中正近於初九而能下之復之休美吉之道也
頻 復
しきりにかへる
頻りに失ひ、頻りに復る爻である。六三は陰をもつて陽位に居り、中も正も得ず、下卦震の動の極みに在る。朱子先生は、復りても固からず、屢々失ひ屢々復る象とし、屢々失ふゆゑ危ふく、復るゆゑ咎なしと說く。王弼先生は頻を頻蹙と訓じ、復を失ふこと已に遠きを顏をしかめて求め復るとし、義において咎なけれども、他より來たる事は保ち難しと注す。何度つまづいても、戾らうとする心を失はぬ者は咎められぬ。されど危ふさを忘るべからず。
六三は陰爻が陽位にあり、中でも正でもありません。下卦震(動く)の最上位にいて、動きの勢いが極まる位置です。朱子は、戻っても落ち着かず、何度も道を外れては戻る象とし、たびたび外れるので危ういが、そのつど戻るので咎めはないと説きます。小象伝の「義无咎」は、筋道としては咎められないという意味です。完全ではなくても、外れるたびに引き返す努力は認められます。ただし危うさは残るので、早く安定した戻り方を身につけたいところです。
早起きしようと決めても、三日でやめてしまう。また決めて、またやめる。そんなくり返しは、だれにでもあります。この線の人も、何度も道をはずれては、そのたびに戻ってきます。安心とは言えませんが、責められることはありません。戻ろうとする気持ちを持ち続けているからです。大事なのは、失敗した自分をあきらめないことです。ただ、同じ失敗をくり返さない工夫もしてみましょう。小さな約束から一つずつ守っていきましょう。
爻 辭
六三。頻復。厲无咎。
六三。頻りに復る。厲ふけれども咎无し。
六三。しばしば道を外れては、またしばしば戾る。危ふいが、咎めはない。
小象傳
頻復之厲。義无咎也。
頻りに復るの厲ふきは、義として咎无きなり。
しばしば戾つて危ふいとはいへ、義において咎めはない。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は頻を頻蹙の貌とし、下體の終はりに處りて上六の迷ひに愈れども、復を失ふこと已に遠きゆゑ蹙みて復を求むとす。危ふけれども咎なく、義は咎なしと雖も他より來たるは保ち難しと說く。
〔爻辭〕頻,頻蹙之貌也。處下體之終,雖愈於上六之迷,巳失復遠矣,是以蹙也。蹙而求復,未至於迷,故雖危無咎也。復道宜速,蹙而乃復,義雖無咎,它來難保。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、六三は復を去ること稍遠く、頻蹙して復るとし、なほ近きゆゑ危厲ありとも義において咎なしと解す。注の他來難保を、道を以て自ら守るの外に他事來たれば此の无咎を保ち難しの意とする。
〔爻辭〕正義曰:「頻復」者,頻謂頻蹙。六三處下體之上,去復稍遠,雖勝於上六迷復,猶頻蹙而復,復道宜速,謂蹙而求復也。去復猶近,雖有危厲,於義無咎。故《象》云「義無咎」也。注「頻蹙之貌」至「它來難保」。○正義曰:「義雖無咎,它來難保」者,去復未甚大遠,於義雖復無咎,謂以道自守,得「無咎」也。若自守之外,更有他事而來,則難可保此無咎之吉也。所以《象》云「義無咎」,守常之義得無咎也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、陰をもつて陽に居り中正ならず、また動の極みに處りて、復りて固からず、屢々失ひ屢々復る象とす。屢々失ふゆゑ危ふく、復るゆゑ咎なしと占ふ。
〔爻辭〕以隂居陽不中不正又處動極復而不固屢失屢復之象屢失故危復則无咎故其占又如此
中 行 獨 復
ちゅうかうにして ひとりかへる
群陰の中を共に行きて、獨り正しき道に復る爻である。六四は上卦坤の初めに在り、上下に各々二陰を挾みて其の中に居る。陰をもつて陰位に居りて正を得、初九と正しく應ずる。王弼先生は、獨り復る所を得て道に順ひて反るゆゑ、物も之を犯すなしと注す。朱子先生は、衆と俱に行きて獨り能く善に從ふ象とし、陽氣なほ甚だ微かなれば吉を言はず、されど理の當然なれば吉凶は論ずる所にあらずとして、董子の「其の誼を正しくして其の利を謀らず」を引く。結果を問はず、ただ正しきに從ふ。これこそ獨り復る者の心である。
六四は陰爻が陰位にある「正」の爻で、上下に二つずつの陰にはさまれ、五つの陰の真ん中にいます。そのなかで、ただ一人初九の陽と応じています。これが「中行獨復」、群れと共に歩みながら独り正しい道に戻る姿です。朱子は、陽の力がまだごく弱く、何かを成し遂げるには足りないので、この爻は吉と言わないと説きます。それでも正しいことは正しい。結果の吉凶より、なすべき道に従うことを重んじる爻だと読めます。
周りのみんなと同じ道を歩きながら、自分だけは正しいほうへ引き返す。この線の人は、そんな静かな勇気を持っています。みんなとけんかをするわけではありません。ただ、自分の心の声に従うのです。その結果、すぐによいことがあるとは限りません。それでも、正しいことは正しいのです。結果がどうなるかより、自分が納得できる選び方をしましょう。ほめられなくても、正しいと思うことを続ける人を、見ている人は見ています。
爻 辭
六四。中行獨復。
六四。中行にして獨り復る。
六四。群れの中を共に行きながら、ひとり正しい道に戾る。
小象傳
中行獨復。以從道也。
中行にして獨り復るとは、以て道に從ふなり。
群れの中を行きながらひとり戾るのは、道に從ふからである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、四の上下に各々二陰ありて其の中に處り、位を得て初に應ずるゆゑ、獨り復る所を得て道に順ひて反り、物も之を犯すなしとし、これを中行獨復と說く。
〔爻辭〕四上下各有二陰而處厥中,履得其位而應於初,獨得所復,順道而反,物莫之犯,故曰「中行獨復」也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、上卦の下に處りて上下に各々二陰あり、衆陰の中に居るを中行、己れ獨り初に應ずるを獨復とし、道に從ひて歸るゆゑ小象に以て道に從ふといふと解す。
〔爻辭〕正義曰:「中行獨復」者,處於上卦之下,上下各有二陰,巳獨應初,居在眾陰之中,故云「中行」。獨自應初,故云「獨復」。從道而歸,故《象》云「以從道也」。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、羣陰の中に處りて獨り初に應ずるを、衆と俱に行きて獨り能く善に從ふ象とす。陽氣甚だ微かなれば吉を言はざれど、理の當然にして吉凶は論ずる所にあらずとし、董子の言を引く。
〔爻辭〕四處羣隂之中而獨與初應為與衆俱行而獨能從善之象當此之時陽氣甚微未足以有為故不言吉然理所當然吉凶非所論也董子曰仁人者正其誼不謀其利明其道不計其功於剝之六三及此爻見之
敦 復
あつくかへる
坤の中に居りて、篤く厚く復る爻である。六五は陰をもつて尊位に在り、上卦の中を得る。坤は地にして厚き德を持つ。王弼先生は、厚きに居れば怨みなく、中を履めば以て自ら考ふべしとし、休復の吉には及ばずとも、厚きを守りて復れば悔を免ると注す。朱子先生は、中順をもつて尊に居り、復の時に當たるを敦復の象とし、小象の「考」を成すと訓ず。華々しき復活にあらずとも、ゆるがず篤實に本へ立ち返る。上に立つ者は、己が身を省みて、事を成し遂ぐる者であるべし。
六五は陰爻が陽位にあり、上卦坤(地)の中を得た君位の爻です。六二とは陰どうしで応がなく、初九の陽からも遠い位置にいます。それでも坤の厚い徳の中心にいるので、「敦復」、手厚く誠実に立ち返ることができます。朱子は、中にあって従順な性質で尊い位に居り、復の時に当たる姿を敦復の象とし、小象伝の「考」を「成」(成し遂げる)と読みます。派手な立ち直りではなくても、自分を省みて着実に戻る人には、後悔が残りません。
急に変わろうとしなくても、毎日の小さな心がけを、こつこつ続けることで、人は少しずつ良い方へ戻っていけます。この線の人は、大地のようにどっしりとした心で、誠実に自分を見つめ直します。はなやかな成功ではありませんが、後悔することはありません。リーダーや上の立場の人ほど、自分のまちがいを認めるのは難しいものです。でも、自分をふり返ることができる人は信頼されます。一日の終わりに、今日の自分を静かにふり返ってみましょう。
爻 辭
六五。敦復。无悔。
六五。敦く復る。悔无し。
六五。手厚く誠實に戾る。後悔はない。
小象傳
敦復无悔。中以自考也。
敦く復る悔无しとは、中にして以て自ら考すなり。
手厚く戾つて後悔がないのは、中にあつて自らを成し遂げるからである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、六五は厚きに居りて中を履むとし、厚きに居れば怨みなく、中を履めば以て自ら考ふべしと說く。休復の吉には及ばずと雖も、厚きを守りて復れば悔は免るべしとする。
〔爻辭〕居厚而履中,居厚則無怨,履中則可以自考,雖不足以及「休復」之吉,守厚以復,悔可免也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、坤の中に處るを復に敦厚なりとし、中を履みて自ら其の行ひを考へ成すゆゑ、六二の休復に及ばずと雖もなほ悔吝を免ると解す。小象を、中に處りて能く自ら其の身を考ふるの意とする。
〔爻辭〕正義曰:「敦復無悔」者,處坤之中,是敦厚於復,故云「敦復」。既能履中,又能自考成其行。既居敦厚物,無所怨,雖不及六二之「休復」,猶得免於悔吝,故云「無悔」也。
〔小象傳〕正義曰:釋「無悔」之義。以其處中,能自考其身,故「無悔」也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、六五は中順の德をもつて尊位に居り、まさに復の時に當たるとし、これを敦く復る象にして悔なきの道と說く。また小象の考を成すと訓ず。
〔爻辭〕以中順居尊而當復之時敦復之象无悔之道也
〔小象傳〕考成也
迷 復
かへるにまよふ
最も復の後に居りて、つひに復ることを知らぬ爻である。上六は陰柔にして卦の極みに在り、初九より最も遠く、六三とも應なし。朱子先生は、陰柔をもつて復の終はりに居り、終に迷ひて復らざる象とし、「以」を及ぶと訓じて、其の禍ひ國君にまで及ぶと讀む。王弼先生は、迷ひを以て復を求むるゆゑ迷復といひ、これを師に用ゐれば克つこと難く終に大敗し、國に用ゐれば君道に反くと注す。十年を經てもなほ征し得ぬとは、迷ひの害の深きをいふ。引き返す時を失へば、取り返しのつかぬ所まで行く。
上六は卦の最上位で、陰爻が陰位にあります。復の主である初九から最も遠く、六三とも陰どうしで応がありません。戻るべき時を最後まで逃し、道に迷い続ける姿で、爻辞は災い、軍の大敗、国君への凶を重ねて告げます。朱子は「以其國君」の「以」を「及」(およぶ)と読み、災いが国の君主にまで及ぶと解します。十年たっても征伐できないとは、迷いが長く深い傷を残すことです。引き返す機会を逃し続けることの怖さを教える爻です。
まちがった道だと気づいているのに、意地を張って進み続ける。すると、どんどん引き返しにくくなっていきます。この線の人は、戻るチャンスを何度も逃し、とうとう道に迷ってしまいました。そのせいで、自分だけでなく、周りの人まで大きな損をしてしまいます。しかも、その傷は何年たっても消えません。「いまさら引き返せない」と思った時こそ、立ち止まる勇気が必要です。おかしいと思ったら、恥ずかしがらずに戻りましょう。
爻 辭
上六。迷復。凶。有災眚。用行師。終有大敗。以其國君。凶。至于十年。不克征。
上六。復るに迷ふ。凶なり。災眚有り。用ゐて師を行れば、終に大敗有り。其の國君に以ぶ、凶なり。十年に至るまで、征する克はず。
上六。戾るべき道に迷ふ。凶である。災ひがある。これで軍を動かせば、終には大敗し、その禍ひは國の君主にまで及んで凶である。十年たつても、征伐することができない。
小象傳
迷復之凶。反君道也。
復るに迷ふの凶なるは、君道に反けばなり。
戾る道に迷つて凶であるのは、君主の道に背くからである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、最も復の後に處る迷へる者とし、迷ひを以て復を求むるゆゑ迷復といふ。師に用ゐれば克つこと難く終に大敗し、國に用ゐれば君道に反く。十年修むと雖もなほ征し得ずと說く。
〔爻辭〕最處復後,是迷者也。以迷求復,故曰「迷復」也。用之行師,難用有克也,終必大敗。用之於國,則反乎君道也。大敗乃復量斯勢也。雖復十年修之,猶未能征也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、復に迷闇なるゆゑ福慶なく災眚あるのみとし、以を用と訓じて、迷復を國內に用ゐれば君道に反き違ふと解す。師敗れ國凶なれば、十年に至るもなほ征伐し得ずとする。
〔爻辭〕正義曰:「迷復凶」者,最處復後,是迷闇於復。「以迷求復」,所以「凶」也。「有災眚」者,闇於復道,必無福慶,唯有災眚也。「用行師終有大敗」者,所為既凶,故用之行師,必無克勝,唯「終有大敗」也。「以其國君凶」者,以,用也。用此迷復於其國內,則反違君道,所以凶也。「至於十年不克征」者,師敗國凶,量斯形勢,雖至十年猶不能征伐。以其迷闇不復,而反違於君道,故《象》云「迷復之凶,反君道也」。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、陰柔をもつて復の終はりに居り、終に迷ひて復らざる象とし、凶の道なるゆゑ其の占かくのごとしと說く。また以を及と訓ず。
〔爻辭〕以隂柔居復終終迷不復之象凶之道也故其占如此以猶及也
| 上・下卦 | 坤(地) / 震(雷) |
|---|---|
| 卦 德 | 上卦 坤:順 / 下卦 震:動 |
| 象 意 | 上卦 坤:地・牛 / 下卦 震:雷・龍 |
| 方 位 | 上卦 坤:西南 / 下卦 震:東(後天八卦) |
| 季 節 | 上卦 坤:晩夏〜初秋 / 下卦 震:春(春分の頃) |
| 五 行 | 上卦 坤:土 / 下卦 震:木 |
| 身 體 | 上卦 坤:腹 / 下卦 震:足 |
| 人 物 | 上卦 坤:母 / 下卦 震:長男 |
| 八 宮 | 坤宮 一世卦(京房の八宮) |
| 綜・錯・互 | 綜卦 山地剝(第二十三卦) 錯卦 天風姤(第四十四卦) 互卦 坤爲地(第二卦) |
| 序卦傳 | 物不可以終盡。剝窮上反下。故受之以復。 物は以て終に盡く可からず。剝、上に窮まりて下に反る。故に之を受くるに復を以てす。 |
| 雜卦傳 | 剝爛也。復反也。 剝は爛るるなり。復は反るなり。 |
| 占断總括 | 地雷復を得た場合、一般には回復・再生の卦。衰へは底を打ち、事はこれより次第に好轉する。ただ初めの力は微かなれば、急ぎ大きく動かず、安靜に養ひて時を待つべし。過ちに氣づかば遠からずして改め、本に立ち返ることが肝要。 |
| 六つの復 | 不遠復(初九)・休復(六二)・頻復(六三)・獨復(六四)・敦復(六五)・迷復(上六) 立ち返り方の違ひによつて、吉凶が分かれる |
| 校 異 | 底本はウィキソース『周易』。『周易正義』(王弼注・孔穎達疏)と朱熹『周易本義』で校めた。 初九の爻辭:底本「无祇悔」を「无祗悔」とした 初九の小象傳:底本「以修身也」を「以脩身也」とした |