天 雷 无 妄
てんらいむまう
Innocence
无妄。元亨。利貞。其匪正有眚。不利有攸往。
彖曰、无妄。剛自外來。而為主於內。動而健。剛中而應。大亨以正。天之命也。其匪正有眚。不利有攸往。无妄之往。何之矣。天命不祐。行矣哉。
象曰、天下雷行。物與无妄。先王以茂對時。育萬物。
无妄は、元いに亨る。貞しきに利し。其れ正に匪ざれば眚有り。往く攸有るに利ろしからず。
彖に曰く、无妄は、剛、外より來りて、內に主と為る。動きて健、剛中にして應ず。大いに亨りて以て正しきは、天の命なり。其れ正に匪ざれば眚有り、往く攸有るに利ろしからずとは、无妄の往く、何くにか之かん。天命祐けず、行かんや。
象に曰く、天の下に雷行き、物ごとに无妄を與ふ。先王以て茂んに時に對し、萬物を育ふ。
无妄の卦は、大いに通じる。正しきを守るのがよい。もし正しくなければ災ひがあり、進んで事を行ふのによろしくない。
彖傳にいう。无妄とは、剛が外から來て、內卦の主となることである。動いて健やかであり、剛が中にあつて應ずる者がある。大いに通じて正しいのは、天の命である。もし正しくなければ災ひがあり、進んで事を行ふのによろしくないとは、无妄の時に正しからずして進んでも、いつたいどこへ行かうといふのか、といふことである。天命が助けないのに、行けるであらうか。
象傳にいう。天の下を雷が行きわたり、物ごとに无妄(いつはりのない本性)を與へる。先王はこれに倣ひ、時に應じて盛んに萬物を育てる。
天の下に雷が鳴り渡り、萬物は目覺めて各々其の性のままに動き出す。これ天雷无妄の象である。朱子先生は无妄を「實理自然」の謂とし、また史記に无望に作るを引きて、期望する所なくして得る意もまた通ずと說く。序卦傳は、本に復れば則ち妄ならずとして復の後に置く。下卦の震は動き、上卦の乾は健やかにして天なり。己が動きを天の理に合はすこと、これ无妄である。されど雜卦傳は「无妄は災ひなり」といふ。誠ありとも、思はぬ災ひは來る。そのとき小智を弄せず、正を守りて天に任すべし。
下卦は震(雷・動く)、上卦は乾(天・健やか)です。天の下で雷が鳴り、万物を揺り動かして目覚めさせる姿で、天の道理のままに動くことを表します。「无妄」はいつわりや思惑のないことで、朱子は「實理自然」(ありのままの真実)と定義し、『史記』が「无望」(期待しない)と書くのも意味が通じるとします。序卦伝は、本に立ち返る復の後には、いつわりがなくなるとして无妄を置きます。一方で雑卦伝は无妄を「災」と言い、誠実でも思わぬ災難に遭うことがあると示しています。
春の雷が鳴ると、土の中の虫や草木が目をさまし、いっせいに動き出します。そこには、うそもかけひきもありません。この卦は、そんなありのままの自然な心を表しています。「こうすれば得をするかな」と計算せず、正しいと思うことを、まっすぐ行う。それが一番強いのです。ただし、まじめにしていても、思いがけない災難にあうことはあります。そんな時も、あわてて変なことをせず、落ち着いて正しさを守りましょう。
卦辭は乾と同じく元亨利貞を揭げつつ、「其れ正に匪ざれば眚有り」と戒む。彖傳は、剛が外より來りて內の主となり、動きて健、九五の剛中に六二が應ずるを擧げ、大いに亨りて正しきは天の命なりといふ。王弼先生は、威剛方正にして私欲行はれず、何ぞ妄なるべけんと注す。しかれば正ならずして往くは天命に逆らふこと、朱子先生のいふごとく天の祐けざる所である。大象傳の「物ごとに无妄を與ふ」を、朱子先生は、雷の震動に萬物が各々其の性命を正すことと讀む。孔穎達先生は、これ王者の德なれば君子といはず先王といふと說く。天に倣ひ、私を交へず時に應じて物を育つべし。
卦辞は乾と同じ「元亨利貞」に、「其匪正有眚」(正しくなければ災いがある)という戒めを添えます。彖伝の「剛自外來,而為主於內」について、朱子は卦変で説明し、訟の卦の九二が下りて初めの位に来て、下卦震の主となったと見ます。下卦震の動きと上卦乾の健やかさがそろい、九五の剛が中にあって六二と応じます。だから大いに通じて正しいのです。しかし正しくないまま進めば、天命に逆らうことになり、天は助けません。大象伝は、先王が天に倣い、時に応じて万物を育てると説きます。
この卦の言葉は、「大きくうまくいく。正しくあるのがよい」と言います。でも、すぐあとに「正しくなければ災難がある。進んではいけない」と続きます。うそのない心で動けば、天が味方してくれます。けれども、ずるい気持ちがまじったまま進めば、天も助けてはくれません。雷が鳴るとあらゆる生き物が目をさますように、自然はかけひきなしに命を育てます。何かをする前に、「この気持ちにうそはないか」と自分に聞いてみましょう。
卦 辭
无妄。元亨。利貞。其匪正有眚。不利有攸往。
无妄は、元いに亨る。貞しきに利し。其れ正に匪ざれば眚有り。往く攸有るに利ろしからず。
无妄の卦は、大いに通じる。正しきを守るのがよい。もし正しくなければ災ひがあり、進んで事を行ふのによろしくない。
彖 傳
无妄。剛自外來。而為主於內。動而健。剛中而應。大亨以正。天之命也。其匪正有眚。不利有攸往。无妄之往。何之矣。天命不祐。行矣哉。
无妄は、剛、外より來りて、內に主と為る。動きて健、剛中にして應ず。大いに亨りて以て正しきは、天の命なり。其れ正に匪ざれば眚有り、往く攸有るに利ろしからずとは、无妄の往く、何くにか之かん。天命祐けず、行かんや。
无妄とは、剛が外から來て、內卦の主となることである。動いて健やかであり、剛が中にあつて應ずる者がある。大いに通じて正しいのは、天の命である。もし正しくなければ災ひがあり、進んで事を行ふのによろしくないとは、无妄の時に正しからずして進んでも、いつたいどこへ行かうといふのか、といふことである。天命が助けないのに、行けるであらうか。
大象傳
天下雷行。物與无妄。先王以茂對時。育萬物。
天の下に雷行き、物ごとに无妄を與ふ。先王以て茂んに時に對し、萬物を育ふ。
天の下を雷が行きわたり、物ごとに无妄(いつはりのない本性)を與へる。先王はこれに倣ひ、時に應じて盛んに萬物を育てる。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、剛の外より來るを震、剛中而應を九五とし、威剛方正にして私欲行はれず、何ぞ妄なる可けんと說く。大象の與を皆の意の辭とし、物皆妄なる可からずして各々其の性を全うすと注す。
〔彖傳〕謂震也。 震動而乾健也。 謂五也。 剛自外來,而為主於內,動而愈健。「剛中而應」,威剛方正,私欲不行,何可以妄?使有妄之道滅,無妄之道成,非大亨利貞而何?剛自外來,而為主於內,則柔邪之道消矣。動而愈健,則剛直之道通矣。「剛中而應」,則齊明之德著矣。故「大亨以正」也。天之教命,何可犯乎?何可妄乎?是以匪正則有眚,而「不利有攸往」也。 匪正有眚,不求改以從正,而欲有所往,居不可以妄之時,而欲以不正有所往,將欲何之天命之所不祐,竟矣哉!
〔大象傳〕與,辭也,猶皆也。天下雷行,物皆不可以妄也。 茂,盛也。物皆不敢妄,然後萬物乃得各全其性,對時育物,莫盛於斯也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、剛を內の主として動きて健、物皆敢へて詐僞虛妄せず實理を行ふゆゑ大いに亨るとす。天道は純陽にして乾德に似るゆゑ天の命といひ、大象は王者の德なれば君子といはず先王といふと解す。
〔卦辭〕正義曰:无妄者,以剛為內主,動而能健,以此臨下,物皆無敢詐偽虛妄,俱行實理,所以大得亨通,利於貞正,故曰「元亨利貞」也。「其匪正有眚不利有攸往」者,物既无妄,當以正道行之。若其匪依正道,則有眚災,不利有所往也。
〔彖傳〕正義曰:以此卦象釋能致無妄之義。以震之剛從外而來,為主於內,震動而乾健,故能使物「无妄」也。 正義曰:明爻義能致無妄。九五以剛處中,六二應之,是「剛中而應」。剛中則能制斷虛實,有應則物所順從,不敢虛妄也。 「大亨以正,天之命也」。○正義曰:釋「元亨利貞」之義。威剛方正,私欲不行,何可以妄?此天之教命也。天道純陽,剛而能健,是乾德相似,故云「天之命」也。既是天命,豈可犯乎? 正義曰:「其匪正有眚,不利有攸往,無妄之往何之矣」者,此釋「匪正有眚不利有攸往」之義也。「無妄之往何之矣」,上「之」是語辭,下「之」是適也。身既非正,在「無妄」之世,欲有所往,何所之適矣?故云「無妄之往何之矣」。「天命不祐行矣哉」者,身既非正,欲有所往,犯違天命,則天命不祐助也。必竟行矣哉!言終竟行此不祐之事也。
〔大象傳〕正義曰:「天下雷行」者,雷是威恐之聲。今天下雷行,震動萬物,物皆驚肅,無敢虛妄,故云「天下雷行」,物皆「无妄」也。 正義曰:茂,盛也。對,當也。言先王以此無妄盛事,當其无妄之時,育養萬物也。此唯王者其德乃耳,非諸侯已下所能,故不云君子,而言「先王」也。案:諸卦之《象》,直言兩象,即以卦名結之,若「雷在地中,復」。今《無妄》應云:「天下雷行,無妄。」今云「物與無妄」者,欲見萬物皆無妄,故加「物與」二字也。其餘諸卦,未必萬物皆與卦名同義,故直顯象,以卦結之。至如復卦,唯陽氣復,非是萬物皆復。舉復一卦,餘可知矣。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は无妄を實理自然の謂とし、史記の无望の義もまた通ずとす。卦は訟より變じて九が二より初に來り震の主となるとし、不正なれば天命に逆らひ天の祐けざる所と說き、大象を物物にして之に无妄を與ふと解す。
〔卦辭〕无妄實理自然之謂史記作无望謂无所期望而有得焉者其義亦通為卦自訟而變九自二來而居於初又為震主動而不妄者也故為无妄又二體震動而乾健九五剛中而應六二故其占大亨而利於正若其不正則有眚而不利有所往也
〔彖傳〕以卦變卦徳卦體言卦之善如此故其占當獲大亨而利於正乃天命之當然也其有不正則不利有所往欲何往哉蓋其逆天之命而天不祐之故不可以有行也
〔大象傳〕天下雷行震動〓生萬物各正其性命是物物而與之以无妄也先王法此以對時育物因其所性而不為私焉
无 妄 往 吉
むまう ゆけばきち
无妄の時の初めに在りて、誠の主たる爻である。初九は陽をもつて陽位に居りて正を得、下卦震の主にして、動きの源なり。朱子先生は、剛をもつて內に在る誠の主とし、かくのごとくして往けば其の吉知るべしと說く。王弼先生は、剛の體にして下に處り、貴をもつて賤に下り、行ひて妄を犯さざるゆゑ、往けば其の志を得と注す。四とは同じく陽にして應なけれども、誠ある者は應を待たずして往くべし。小象傳の「志を得るなり」とは、私の望みを遂ぐることにあらず、誠の志の通ずることなのである。
初九は陽爻が陽位にある「正」の爻で、下卦震の主です。朱子によれば、この卦は訟の九二が初めに来てできたもので、その剛が内にある「誠之主」(誠の主役)となります。九四とは陽どうしで応がありませんが、いつわりのない心で進むので吉です。小象伝はこれを「得志」(志を得る)と評します。損得の計算からではなく、まっすぐな心から始まった行動は、相手の応援がなくても道が開けることを示す爻です。
なにかを始める時、「得をしたい」「ほめられたい」という気持ちより、「これをやりたい」「これが正しい」という気持ちから動く。この線は、そんな、まじりけのない出発にあたります。この線の人は、一番下にいて、目立つ立場ではありません。応援してくれる人もまだいません。それでも、うそのない心で進むので、うまくいきます。新しいことを始める時は、自分の本当の気持ちを確かめてから、一歩をふみ出しましょう。
爻 辭
初九。无妄。往吉。
初九。无妄なり。往けば吉なり。
初九。いつはりがない。進んで行けば吉である。
小象傳
无妄之往。得志也。
无妄の往くは、志を得るなり。
いつはりなくして進むのは、志を得るのである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、初九は剛の體にして卦の最も下に處り、貴をもつて賤に下る者とし、其の行ひ妄を犯さざるゆゑ、往きて其の志を得るなりと說く。
〔爻辭〕體剛處下,以貴下賤,行不犯妄,故往得其志。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、初九は剛の體にして下に居り、貴をもつて賤に下るとし、行ふ所の敎化も妄りに動くことを爲さざるゆゑ、往けば吉にして其の志を得と解す。
〔爻辭〕正義曰:體剛居下,以貴下賤,所行教化,不為妄動,故「往吉」而得志也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、初九は剛をもつて內に在る誠の主とし、かくのごとくして往けば其の吉なること知るべしとして、其の象と占とかくのごとしと說く。
〔爻辭〕以剛在内誠之主也如是而往其吉可知故其象占如此
不 耕 穫
かうくわくせず
耕穫せず、菑畬せず。六二は陰をもつて陰位に居り、下卦の中を得て中正なり、上は九五と正しく應ずる。朱子先生は、柔順中正にして時に因り理に順ひ、私意期望の心なきゆゑ此の象ありとし、前に爲す所なく後に冀ふ所なきをいふと說く。小象傳の「未だ富まんとせざるなり」も、利を計りて爲すにあらざるの謂とする。王弼先生は、耕さずして穫り、事の始めを造らずして終はりを代はり成す臣道の象と讀む。いづれにせよ、功を己に擅にせず、結果を當てにせず、ただ爲すべきを爲す。その無心が、往く所に利ろしき道を開くのである。
六二は陰爻が陰位にあり、下卦の中を得た「中正」の爻で、九五と正しく応じています。「菑」は切り開いたばかりの田、「畬」はよく熟した田です。朱子は「不耕穫,不菑畬」を、前もって何かをたくらまず、後の収穫も当てにしない心の象と読みます。時の流れに従い、道理に沿って動くだけで、私的な期待がないのです。小象伝の「未富」も、利益を計算して行うのではないという意味だと朱子は注します。見返りを求めない働きこそ、无妄の時にふさわしいと読めます。
テストで良い点を取るためだけに勉強するのと、知ることが楽しくて勉強するのとでは、同じ勉強でも心の持ち方がちがいます。この線の人は、「これをしたら何がもらえるか」を考えません。耕す時は耕し、育てる時は育てる。ただ目の前のやるべきことを、ていねいにこなしていきます。見返りを期待しない人は、結果に一喜一憂せず、のびのびと進めます。今日は、ごほうびのことを忘れて、目の前のことに打ちこんでみましょう。
爻 辭
六二。不耕穫。不菑畬。則利有攸往。
六二。耕穫せず、菑畬せず。則ち往く攸有るに利ろし。
六二。耕して收穫を計ることもなく、荒れ地を開いて熟田を望むこともない。そのやうであれば、進んで事を行ふのによろしい。
小象傳
不耕穫。未富也。
耕穫せずとは、未だ富まんとせざるなり。
耕して收穫を計らないとは、まだ富を目當てにしないのである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、耕さずして穫り、菑せずして畬すを、終はりを代はりて成し、自ら事を造らざるの意とす。其の美を擅にせず臣道を盡くすゆゑ、往く攸有るに利ろしと說く。
〔爻辭〕不耕而獲,不菑而畬,代終已成而不造也。不擅其美,乃盡臣道,故「利有攸往」。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、六二は中に處り位を得て臣道を盡くし、敢へて事の首めを創めず、ただ其の終はりを守るとす。君に代はりて終はりを有つ臣の道とし、小象の未富を、其の美を擅にせざるゆゑと解す。
〔爻辭〕正義曰:「不耕獲不菑畬」者,六二處中得位,盡於臣道,不敢創首,唯守其終,猶若田農不敢發首而耕,唯在後獲刈而已。不敢菑發新田,唯治其菑熟之地,皆是不為其始而成其末,猶若為臣之道,不為事始而代君有終也。則「利有攸往」者,為臣如此,則利有攸往,若不如此,則往而無利也。
〔小象傳〕正義曰:釋「不耕而獲」之義。不敢前耕,但守後獲者,未敢以耕耕之與獲,俱為己事。唯為後獲,不敢先耕事。既闕初,不擅其美,故云「未富也」。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、柔順中正にして時に因り理に順ひ、私意期望の心なきゆゑ不耕穫不菑畬の象ありとし、前に爲す所なく後に冀ふ所なきを言ふとす。小象の富を、利を計りて爲すにあらざる意と注す。
〔爻辭〕柔順中正因時順理而无私意期望之心故有不耕穫不菑畬之象言其无所為於前无所冀於後也占者如是則利有所往矣
〔小象傳〕富如非富天下之富言非計其利而為之也
或 繫 之 牛
あるいは これがうしをつなぐ
无妄の災ひとは、己に過ちなくして來たる災ひである。六三は陰をもつて陽位に居り、中も正も得ず。朱子先生は、卦の六爻は皆无妄なれど、六三は處る所正しからざるゆゑ、故なくして災ひあり、行人の牛を牽きて去るに、居る者かへつて詰捕の擾れに遭ふがごとしと說く。孔穎達先生は、行人を有司の義とし、六三が耕事を僭して謙順に違ふゆゑ、有司に牛を繫がれて罰を受くと讀む。身に覺えなき疑ひを受くることも世にはある。そのとき慌てて取り亂さず、己が處る所を正すべし。
六三は陰爻が陽位にあり、中でも正でもありません。上九とは応じています。朱子は、この卦の六爻はみな「无妄」(いつわりのない者)だが、六三は位が正しくないので、わけもなく災いに遭うと説きます。旅人が繋いであった牛を引いて去り、その村に住む人がかえって疑われて取り調べを受ける、というたとえです。自分に落ち度がなくても、居合わせた場所が悪いだけで災難が降りかかることがあります。そんな時も、身の処し方を正しておくことが大切です。
自分は何も悪いことをしていないのに、近くでなくし物があって、疑われてしまった。そんな経験はありませんか。この線は、まさにそういう思いがけない災難です。旅の人が、村につないであった牛を連れて行ってしまい、村の人が疑われて困るのです。くやしいけれど、こういうことは起こります。そんな時は、あわてて言い訳を重ねるより、落ち着いて事実を伝えましょう。ふだんから誠実にしていることが、あなたを守ってくれます。
爻 辭
六三。无妄之災。或繫之牛。行人之得。邑人之災。
六三。无妄の災ひあり。或いは之が牛を繫ぐ。行人の得るは、邑人の災ひなり。
六三。いつはりなき身に、思ひがけない災ひがある。ある人が牛を繫いでおくと、通りがかりの人がそれを得て、村の人が災ひを被る。
小象傳
行人得牛。邑人災也。
行人の牛を得るは、邑人の災ひなり。
通りがかりの人が牛を得るのは、村の人の災ひである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、六三は陰をもつて陽に居り謙順に違ふゆゑ、无妄の世に災ひとなるとす。牛を稼穡の資とし、三の不順の行ひに或いは之が牛を繫ぎ、有司の獲る所、彼の人の災ひとなると說く。
〔爻辭〕以陰居陽,行違謙順,是「無妄」之所以為災也。牛者稼穡之資也。二以不耕而獲,「利有攸往」,而三為不順之行,故「或系之牛」,是有司之所以為獲,彼人之所以為災也,故曰「行人之得,邑人之災」也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、六三が耕事を僭し唱始の道を行ふゆゑ、有司が其の牛を繫ぎて妄りに造るを制すとし、行人を有司の義と解す。小象を、此れ牛を得れば彼れ災ひとなるの意とする。
〔爻辭〕正義曰:「無妄」之世,邪道不行。六三陰居陽位,失其正道,行違謙順而乖臣範,故「無妄」之所以為災矣。牛者稼穡之資。六三僣為耕事,行唱始之道,而為不順王事之行,故有司或系其牛,制之使不妄造,故曰「或系之牛」也。「行人」者,有司之義也。有司系得其牛,是「行人」制之得功,故曰「行人之得」。彼居三者,是處邑之人僣為耕事,受其災罰,故曰:「行人之得,邑人之災」也。
〔小象傳〕正義曰:釋「行人之得」義也。以行人所得,謂得牛也。此則得牛,彼則為災,故云「邑人災」也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、卦の六爻は皆无妄なれど、六三は處る所正しからざるゆゑ故なくして災ひありとし、行人が牛を牽きて去り、居る者かへつて詰捕の擾れに遭ふがごとしと說く。
〔爻辭〕卦之六爻皆无妄者也六三處不得正故遇其占者无故而有災如行人牽牛以去而居者反遭詰捕之擾也
可 貞
ていにすべし
貞にす可し、咎无し。九四は上卦乾の初めに在り、陽剛の體にして陰位に居る。下の初九とは同じく陽にして應なし。朱子先生は、陽剛乾體にして下に應與なきゆゑ、固く守りて咎なかるべく、事を爲すべき占にあらずと說き、小象の「有」を守ると訓ず。王弼先生は、陽をもつて陰に居り、剛をもつて柔に乘り、謙順を履みて至尊に近きゆゑ、正に任じて守る所あれば咎なしと注す。力はあれども味方なし。かかる時は事を起こさず、己が持てる正しさを固く保つべし。守ることもまた、无妄の道である。
九四は陽爻が陰位にあり、位は正しくありませんが、上卦乾(剛健)の一番下にいて力を持っています。ただし初九とは陽どうしで応がありません。朱子は、乾の剛の体を持ちながら下に応じる相手がないので、固く守れば咎めはないが、何かを起こすための占いではないと説きます。小象伝の「固有之」の「有」を、朱子は「守」と注します。力があっても、支えがない時は無理に動かず、手もとにある正しさを保つことが、この爻の教えです。
力も気持ちもじゅうぶんあるのに、いっしょに動いてくれる仲間がいない。そんな時は、ひとりで突っ走らないほうがよいのです。この線の人は、自分の正しさをしっかり守ることで、まちがいのない毎日を送れます。新しいことに手を広げるより、今の自分のやり方を大切にする時期です。じっとしているのは、なまけているのとはちがいます。チャンスが来るまで、自分の決めたことをこつこつ守りましょう。
爻 辭
九四。可貞。无咎。
九四。貞にす可し。咎无し。
九四。正しきを固く守るがよい。咎めはない。
小象傳
可貞无咎。固有之也。
貞にす可し咎无しとは、固く之を有つなり。
正しきを固く守つて咎めがないとは、これを固く守り保つのである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、无妄の時に陽をもつて陰に居り、剛をもつて柔に乘り、謙順を履みて至尊に近きゆゑ、正に任ずべく、固く守る所ありて咎なしと說く。
〔爻辭〕處「無妄」之時,以陽居陰,以剛乘柔,履於謙順,比近至尊,故可以任正,固有所守而「無咎」也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、陽をもつて陰に居り謙順を履み、上は至尊に近きゆゑ正に任じて咎なしとす。小象を、貞正を執るべく、堅固に執守する所あるゆゑ咎なしの意と解す。
〔爻辭〕正義曰:以陽居陰,以剛乘柔,履於謙順,上近至尊,可以任正,固有所守而無咎,故曰「可貞無咎」也。
〔小象傳〕正義曰:釋「可貞無咎」之義。所以可執貞正,言堅固有所執守,故曰「無咎」也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、陽剛乾體にして下に應與なきゆゑ、固く守りて咎なかるべく、爲す有るべからざるの占とす。小象の有は猶ほ守のごとしと注す。
〔爻辭〕陽剛乾體下无應與可固守而无咎不可以有為之占也
〔小象傳〕有猶守也
勿 藥 有 喜
くすりすることなくして よろこびあり
无妄の至りに在りて、なほ病を得る爻である。九五は乾の剛健中正をもつて尊位に居り、下の六二もまた中正にして應ず。朱子先生は、これ无妄の至りなれば、疾ありとも藥せずして自ら愈ゆと說き、既に无妄なるに藥すれば、かへつて妄となりて疾を生ずとする。王弼先生は、妄の致す所にあらざる災ひは、治めずとも自ら復すと注す。孔穎達先生は、堯・湯の厄のごとく災ひの己より招かざるは、時に順ひて德を修むべしと說く。身に過ちなき災ひに、慌てて策を弄すれば、かへつて傷を深くする。
九五は陽爻が陽位にあり、上卦の中を得た「中正」の君位の爻で、六二と正しく応じています。いつわりのなさが極まった位置です。それでも「无妄之疾」、身に覚えのない病にかかることがあります。朱子は、これほど无妄であれば、薬を使わなくても自然に治ると説きます。小象伝の「不可試」について朱子は、すでに无妄であるのに薬を使えば、かえって妄となって病を生むと注します。原因のない災いに、あわてて手を加えないことの大切さが説かれています。
かぜをひいた時、あれこれ薬を飲みすぎて、かえって体調をくずすことがあります。この線は、正しく生きている人が、思いがけない病気やトラブルにあう場面です。この卦は、「薬を使わなくても、自然に治って喜びがある」と言います。自分に原因がないことなら、あわてて無理な手を打つ必要はありません。もちろん、本当に病気の時は、お医者さんにみてもらうことが大切です。そのうえで、心まで乱さず、落ち着いて回復を待ちましょう。
爻 辭
九五。无妄之疾。勿藥有喜。
九五。无妄の疾あり。藥すること勿くして喜び有り。
九五。いつはりなき身に病がある。藥を用ゐなくとも、おのづから治る喜びがある。
小象傳
无妄之藥。不可試也。
无妄の藥は、試む可からざるなり。
いつはりなき身に用ゐる藥は、試みてはならないのである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、九五を无妄の主とし、下皆无妄なれば害は致す所にあらず、妄に非ざる災ひは治めずして自ら復すとす。藥は妄ある者を攻むるものなれば、无妄を攻むるは試む可からずと說く。
〔爻辭〕居得尊位,為無妄之主者也。下皆「無妄」,害非所致而取藥焉,疾之甚也。非妄之災,勿治自復,非妄而藥之則凶,故曰「勿藥有喜」。
〔小象傳〕藥攻有妄者也,而反攻「无妄」,故不可試也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、自然の疾は己の致す所にあらざれば藥療を要せずとし、病象を假りて人事に喩へ、堯・湯の厄のごとく時に順ひて德を修むべしと說く。己に罪なき禍患に憂勞救護すれば、かへつて性を傷ふとする。
〔爻辭〕正義曰:「無妄之疾」者,凡禍疾所起,由有妄而來。今九五居得尊位,為無妄之主,下皆「无妄」,而偶然有此疾害,故云「無妄之疾」也。「勿藥有喜」者,若疾自己招,或寒暑飲食所致,當須治療。若其自然之疾,非己所致,疾當自損,勿須藥療而「有喜」也。此假病象以喻人事,猶若人主而剛正自修,身無虛妄,下亦無虛妄,而遇逢凶禍,若堯、湯之厄,災非己招,但順時修德,勿須治理,必欲除去,不勞煩天下,是「有喜」也。然堯遭洪水,使鯀、禹治之者,雖知災未可息,必須順民之心。鯀之不成,以災未息也。禹能治救,災欲盡也,是亦自然之災,「勿藥有喜」之義也。
〔小象傳〕正義曰:解「勿藥有喜」之義。若有妄致疾,其藥可用。若身既「无妄」,自然致疾,其藥不可試也。若其試之,恐更益疾也。言非妄有災不可治也,若必欲治之,則勞煩於下,害更甚也。此非直施於人主,至於凡人之事,亦皆然也。若己之無罪,忽逢禍患,此乃自然之理,不須憂勞救護,亦恐反傷其性。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、乾剛中正にして尊位に居り、下の應もまた中正なるを无妄の至りとし、疾ありとも藥せずして自ら愈ゆとす。既に无妄なるに藥すればかへつて妄となりて疾を生ずとし、試を少しく嘗むる意と注す。
〔爻辭〕乾剛中正以居尊位而下應亦中正无妄之至也如是而有疾勿藥而自愈矣故其象占如此
〔小象傳〕既已无妄而復藥之則反為妄而生疾矣試謂少嘗之也
行 有 眚
ゆけばわざはひあり
无妄の窮まりに在る爻である。上九は卦の極み、乾の上に在り、陽をもつて陰位に居る。朱子先生は、上九は妄あるにあらず、ただ其の窮極なるをもつて行く可からざるのみと說く。王弼先生は、妄なる可からざるの極みに處れば、ただ靜かに其の身を保つに宜しと注し、孔穎達先生も、位窮極に處れば動けば災ひを致すとす。誠ありとも、時の窮まれる所に強ひて進めば災ひとなる。正しさは、動く時と止まる時とを知りて全うされるのである。
上九は卦の最上位で、陽爻が陰位にあります。六三とは応じていますが、すでに无妄の時の行き止まりにいます。爻辞は「无妄」と言いながら、「行有眚」(進めば災いがある)と告げます。朱子は、上九にいつわりがあるわけではなく、ただ窮まった位置にいるので進めないのだと説きます。小象伝も「窮之災」(窮まったことによる災い)とします。心が正しくても、時と場所が行き詰まっていれば、動けば災いになります。止まることを知るのも、誠の一部なのです。
まっすぐな気持ちで、ずっとがんばってきた。でも、もう道の行き止まりまで来てしまった。この線は、そんな場面です。ここで無理に進もうとすると、かえってよくないことが起こります。気持ちが正しくても、時と場所が合っていなければ、うまくいかないのです。「ここまで」と思ったら、いったん止まって休みましょう。止まることは負けではありません。次に動く時のために、力をためておく大切な時間です。
爻 辭
上九。无妄。行有眚。无攸利。
上九。无妄なり。行けば眚有り。利ろしき攸无し。
上九。いつはりはないが、進んで行けば災ひがある。よろしいところは何もない。
小象傳
无妄之行。窮之災也。
无妄の行くは、窮まるの災ひなり。
いつはりがないのに進んで行くのは、窮まつた果ての災ひである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、上九は无妄の時にして妄なる可からざるの極みに處るとし、ただ宜しく靜かに其の身を保つべきのみ、ゆゑに以て行く可からずと說く。
〔爻辭〕處不可妄之極,唯宜靜保其身而已,故不可以行也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、妄なる可からざるの極みに處れば靜かに身を保つべく、もし動きて行けば必ず災眚ありて利ろしき所なしとし、位窮極に處れば動けば災ひを致すと解す。
〔爻辭〕正義曰:處不可妄之極,唯宜靜保其身。若動行,必有災眚,無所利也。位處窮極,動則致災。故《象》云:「无妄之行,窮之災也。」
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷一(ウィキソース)
朱子先生は、上九は妄ある者にはあらざれども、ただ其の窮極に在るをもつて行く可からざるのみとし、ゆゑに其の象と占とはかくのごとしと說く。
〔爻辭〕上九非有妄也但以其窮極而不可行耳故其象占如此
| 上・下卦 | 乾(天) / 震(雷) |
|---|---|
| 卦 德 | 上卦 乾:健 / 下卦 震:動 |
| 象 意 | 上卦 乾:天・馬 / 下卦 震:雷・龍 |
| 方 位 | 上卦 乾:西北 / 下卦 震:東(後天八卦) |
| 季 節 | 上卦 乾:晩秋〜初冬 / 下卦 震:春(春分の頃) |
| 五 行 | 上卦 乾:金 / 下卦 震:木 |
| 身 體 | 上卦 乾:首 / 下卦 震:足 |
| 人 物 | 上卦 乾:父 / 下卦 震:長男 |
| 八 宮 | 巽宮 四世卦(京房の八宮) |
| 綜・錯・互 | 綜卦 山天大畜(第二十六卦) 錯卦 地風升(第四十六卦) 互卦 風山漸(第五十三卦) |
| 序卦傳 | 復則不妄矣。故受之以无妄。 復れば則ち妄ならず。故に之を受くるに无妄を以てす。 |
| 雜卦傳 | 大畜時也。无妄災也。 大畜は時なり。无妄は災ひなり。 |
| 占断總括 | 天雷无妄を得た場合、一般には天の理に任せる卦。私心なく誠をもつて行へば大いに通ずるが、計略や僥倖を求むれば災ひを招く。思ひがけぬ災ひに遭ふこともあれど、慌てて策を弄せず、正を守りて時を待つことが肝要。 |
| 无妄の災ひと无妄の疾 | 六三(牛を牽かれて居る者が疑はる)・九五(藥すること勿くして喜び有り) 身に過ちなくして遭ふ災ひへの處し方を示す二爻 |
| 校 異 | 底本はウィキソース『周易』。『周易正義』(王弼注・孔穎達疏)と朱熹『周易本義』で校めた。 彖傳:底本「命不佑行」を「命不祐行」とした |