雷 火 豐
らいくわほう
Abundance
豐。亨。王假之。勿憂。宜日中。
彖曰、豐。大也。明以動。故豐。王假之。尚大也。勿憂宜日中。宜照天下也。日中則昃。月盈則食。天地盈虛。與時消息。而況於人乎。況於鬼神乎。
象曰、雷電皆至。豐。君子以折獄致刑。
豐は、亨る。王之に假る。憂ふること勿れ。日中に宜し。
彖に曰く、豐は、大なり。明にして以て動く、故に豐なり。王之に假るとは、大を尚ぶなり。憂ふること勿れ、日中に宜しとは、宜しく天下を照らすべきなり。日中すれば則ち昃き、月盈つれば則ち食く。天地の盈虛も、時と消息す。而るを況んや人に於いてをや。況んや鬼神に於いてをや。
象に曰く、雷電皆至るは、豐なり。君子以て獄を折め刑を致す。
豐の卦は、通じる。王者にしてはじめてこの盛大の境地に至る。憂へることはない。日が中天にあるやうであるのがよい。
彖傳にいう。豐とは、大きいことである。明らかさをもつて動くので、豐大となる。王者がこの境地に至るとは、大いなるものを尚ぶからである。憂へることなく、日が中天にあるやうであるのがよいとは、(日のやうに)天下をあまねく照らすのがよいのである。日は中天に至れば傾き、月は滿ちれば缺ける。天地の滿ち缺けも、時とともに消えたり生じたりする。まして人においてはなほさらであり、まして鬼神においてはなほさらである。
象傳にいう。雷と稻妻とがともに至るのが豐である。君子はこれに倣ひ、訴へを裁き、刑罰を行ふ。
雷火豐は、下卦の離の明の上に、上卦の震の動きを戴く。彖傳は「明にして以て動く、故に豐なり」といふ。明らかに見通して動けば、事業は盛大となる。序卦傳は、歸する所を得た者は必ず大なりとして、歸妹の後に豐を置く。されど彖傳は續けて「日中すれば則ち昃き、月盈つれば則ち食く」と說く。孔穎達先生は、これを孔子先生が豐に因りて設けた戒めとし、盛んなれば必ず衰ふるは自然の常理なれば、時に及びて德を脩め、存するに居りて亡ぶるを慮れと說く。盛りの絕頂にあつてこそ、次の傾きに備へよ。それが豐の卦の敎へである。
下卦は離(火・明るさ)、上卦は震(雷・動く)です。明らかな知恵をもって動くので、事業が大いに盛んになる卦です。彖伝は「明以動,故豐」と言います。ところが同じ彖伝は、日は南中すれば傾き、月は満ちれば欠けると続け、天地でさえ時とともに満ち欠けするのだから、人や鬼神はなおさらだと説きます。孔穎達は、これを盛んな時にこそ衰えに備えよという戒めだと読みます。序卦伝は、帰着する所を得た者は大きくなるとして、歸妹の次に豐を置きます。絶頂の時の心得を説く卦です。
お昼の太陽は、空のいちばん高い所で、すべてを明るく照らします。明るい火と、勢いのある雷が重なったこの卦は、そんなふうに物事がいちばん盛んになった時を表しています。でも、太陽は真上に来たら、あとは西へ傾いていくだけです。満月も、次の日からは欠け始めます。うまくいっている時ほど、その状態がずっと続くと思いこみがちです。調子のよい時こそ、足もとを見直し、次にそなえておきましょう。
卦辭は「豐は、亨る」と說き、「王之に假る」と續ける。孔穎達先生は、豐亨の道は王の尚ぶ所にして、王者の德あるにあらざれば至ること能はずと說く。盛大の境地は、德なき者には保ち得ない。さらに「憂ふること勿れ。日中に宜し」とある。朱子先生は、盛りの極みに衰へを憂ふるも益なく、ただ常を守りて過盛に至らざればよしと讀む。正午の太陽のごとく、天下を偏りなく照らすことが王者の務めである。大象傳は、雷の威と電の明とを合はせて獄を折め刑を致すといふ。明なくして威を振るへば、刑罰はみだりに及ぶ。威と明とを兼ねてこそ、人を正しく裁き得るのである。
卦辞の「王假之」の「假」は「至る」の意味で、王者だけがこの盛大の境地に至ることができる、ということです。朱子は「勿憂宜日中」を、盛りが極まれば衰えるのを憂えても益はなく、常を守って行き過ぎなければよいという戒めだと読みます。太陽が真南に来て天下をくまなく照らすように、偏りなく治めよというのです。大象伝は雷(威)と電(明)がそろう姿から、裁判と刑罰を説きます。威と明を兼ね備えてこそ、正しく裁くことができます。
この卦の言葉は「大いに栄える。王さまのように、この盛りの時をむかえる」と始まります。そして「心配しなくていい。お昼の太陽のようであれ」と続きます。太陽は、えこひいきせずに、すべての人を同じように照らします。うまくいっている時は、その力を自分のためだけに使わず、まわりの人にも分けることが大切です。また、雷と稲妻がいっしょに来る姿は、強さと見る力をあわせ持つことを教えています。人を判断する時は、よく見てから決めましょう。
卦 辭
豐。亨。王假之。勿憂。宜日中。
豐は、亨る。王之に假る。憂ふること勿れ。日中に宜し。
豐の卦は、通じる。王者にしてはじめてこの盛大の境地に至る。憂へることはない。日が中天にあるやうであるのがよい。
彖 傳
豐。大也。明以動。故豐。王假之。尚大也。勿憂宜日中。宜照天下也。日中則昃。月盈則食。天地盈虛。與時消息。而況於人乎。況於鬼神乎。
豐は、大なり。明にして以て動く、故に豐なり。王之に假るとは、大を尚ぶなり。憂ふること勿れ、日中に宜しとは、宜しく天下を照らすべきなり。日中すれば則ち昃き、月盈つれば則ち食く。天地の盈虛も、時と消息す。而るを況んや人に於いてをや。況んや鬼神に於いてをや。
豐とは、大きいことである。明らかさをもつて動くので、豐大となる。王者がこの境地に至るとは、大いなるものを尚ぶからである。憂へることなく、日が中天にあるやうであるのがよいとは、(日のやうに)天下をあまねく照らすのがよいのである。日は中天に至れば傾き、月は滿ちれば缺ける。天地の滿ち缺けも、時とともに消えたり生じたりする。まして人においてはなほさらであり、まして鬼神においてはなほさらである。
大象傳
雷電皆至。豐。君子以折獄致刑。
雷電皆至るは、豐なり。君子以て獄を折め刑を致す。
雷と稻妻とがともに至るのが豐である。君子はこれに倣ひ、訴へを裁き、刑罰を行ふ。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、豐の義を微細を闡弘し隱滯に通ずることとし、天下の主として微隱を亨らしめざれば憂ひ已まずと說く。豐亨不憂の德を用ゐて天の中に處り、遍く照らすべしとし、豐の用は昃食に困しむとして消息の道を陳ぶとする。
〔卦辭〕大而亨者,王之所至。 豐之為義,闡弘微細,通夫隱滯者也,為天下之主,而令微隱者不亨,憂未巳也,故至「豐亨」,乃得勿憂也。用夫豐亨不憂之德,宜處天中,以遍照者也,故曰「宜日中」也。
〔彖傳〕音闡大之大也。 大者王之所尚,故至之也。 以勿憂之德,故宜照天下也。 豐之為用,困於昃食者也。施於未足則尚豐,施於巳盈則方溢,不可以為常,故具陳消息之道者也。
〔大象傳〕文明以動,不失情理也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は豐を財多く德大なる名とし、豐亨の道は王の尚ぶ所にして、王者の德あるにあらざれば至り得ずとする。彖の日中則昃以下は孔子先生が豐に因りて設けた戒めにして、時に及びて德を脩め、存に居りて亡を慮れといふと說く。
〔卦辭〕正義曰:「豐,亨」者,「豐」,卦名也,《彖》及《序卦》皆以「大」訓「豐」也,然則豐者,多大之名,盈足之義,財多德大,故謂之為豐。德大則無所不容,財多則無所不齊。無所擁礙謂之為「亨」,故曰「豐,亨」。「王假之」者,假,至也,豐亨之道,王之所尚,非有王者之德,不能至之,故曰「王假之」也。 正義曰:勿,無也。王能至於豐亨,乃得無復憂慮,故曰「勿憂也」。用夫豐亨無憂之德,然後可以君臨萬國,遍照四方,如日中之時,遍照天下,故曰「宜日中」也。
〔彖傳〕「彖曰:豐,大也」。○正義曰:「豐,大也」者,釋卦名,正是弘大之義也。 正義曰:「動故豐」者,此就二體,釋卦得名,為豐之意,動而不明,未能光大資明以動,乃能致豐,故曰「明以動故豐」也。「王假之,尚大也」者,豐大之道,王所崇尚,所以王能至之,以能尚大故也。 正義曰:日中之時,遍照天下,王無憂慮,德乃光被,同於日中之盈,故曰「勿憂,宜日中,宜照天下也」。 正義曰:此孔子因豐設戒,以上言王者以豐大之德,照臨天下,同於日中。然盛必有衰,自然常理。日中至盛,過中則昃;月滿則盈,過盈則食。天之寒暑往來,地之陵穀遷貿,盈則與時而息,虛則與時而消。天地日月,尚不能久,況於人與鬼神,而能長保其盈盛乎?勉令及時脩德,仍戒居存慮亡也。此辭先陳天地,後言人、鬼、神者,欲以輕譬重,亦先尊後卑也。而日月先天地者,承上「宜日中」之下,遂言其昃食,因舉日月以對之,然後並陳天地,作文之體也。
〔大象傳〕正義曰:「雷電皆至,豐」者,雷者,天之威動,電者,天之光耀。雷電俱至,則威明備,足以為豐也。「君子以折獄致刑」者,君子法象天威而用刑罰,亦當文明以動,折獄斷決也。斷決獄訟,須得虛實之情;致用刑罰,必得輕重之中。若動而不明,則淫濫斯及,故君子象於此卦而折獄致刑。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷二(ウィキソース)
朱子先生は、明を以て動くは盛大の勢ひにして亨る道ありとし、王者ここに至れば盛極まりて衰ふべき憂ひあれど、徒らに憂ふるは益なく、常を守りて過盛に至らざればよしとして、勿憂宜日中と戒むと說く。
〔卦辭〕豐大也以明而動盛大之勢也故其占有亨道焉然王者至此盛極當衰則又有憂道焉聖人以為徒憂无益但能守常不至於過盛則可矣故戒以勿憂宜日中也
〔彖傳〕以卦徳釋卦名義 釋卦辭 此又〓明卦辭外意言不可過中也
〔大象傳〕取其威照並行之象
遇 其 配 主
そのはいしゅにあふ
初九は離の初めに在り、明の始まりである。上の九四とは同じく陽にして、本來ならば應じ合はぬ間柄である。されど豐の時は、明と動とが相資くる時である。朱子先生は、旬を均しと解し、初九と九四とは皆陽剛なれど、明動相資くるゆゑに咎なしとする。王弼先生もまた、陽をもつて陽に適き、明をもつて動に之き、能く相光大する者と說く。ただ小象傳は「旬しきを過ぐれば災あるなり」と戒める。朱子先生はこれを、其の配に勝たんと求むべからずと說く。對等の者と力を合はせる時、相手を凌がうとすれば、たちまち爭ひとなる。
初九は下卦離の最下位で、陽爻が陽位にあって位は正しい爻です。応じる位置にある九四も陽爻なので、本来なら応じ合いません。それでも豐の時は、明(離)と動(震)が互いに助け合う時です。朱子は「配主」を九四、「旬」を「均」(ひとしい)と解し、どちらも陽剛で対等でありながら、協力すれば咎めはないとします。さらに小象伝の「過旬災也」を、相手に勝とうとしてはならないという戒めと読みます。対等な協力関係を保つことが大切です。
自分と同じくらいの力を持つ仲間と出会えたら、それは大きなチャンスです。この線では、似た者どうしの二人が手を組み、それぞれの得意なことを生かして、大きな仕事をなしとげます。ただし注意も必要です。力が同じくらいだと、つい相手に勝ちたくなります。張り合い始めると、せっかくの協力関係がこわれてしまいます。ライバルでもある仲間とは、競うよりも力を合わせることを考えましょう。
爻 辭
初九。遇其配主。雖旬无咎。往有尚。
初九。其の配主に遇ふ。旬しと雖も咎无し。往けば尚ばるること有り。
初九。釣り合ふ相手(配主、九四)に出會ふ。互ひに等しい(ともに陽である)けれども咎めはない。進んで行けば尊ばれる。
小象傳
雖旬无咎。過旬災也。
旬しと雖も咎无しとは、旬しきを過ぐれば災あるなり。
等しくても咎めはないとは、等しさを越えれば(相手に勝たうとすれば)災ひがあるといふことである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、初九の配は四に在り、陽を以て陽に適き明を以て動に之き、能く相光大する者とし、旬を均と訓じて初・四ともに陽なるゆゑ均といふとする。小象には、均を過ぐれば爭ひとなり、交はりも叛くと注す。
〔爻辭〕處豐之初,其配在四,以陽適陽,以明之動,能相光大者也。旬,均也。雖均無咎,往有尚也。初、四俱陽爻,故曰「均」也。
〔小象傳〕過均則爭,交斯叛也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、豐は文明にして必ず動き光大を尚ぶとし、初・四はともに陽にして陰陽の應にあらざれば咎あるに似れど、能く相光大するゆゑ均しくとも咎なく、往きて嘉尚ありと解す。小象には、勢ひ均しからざれば相傾奪して災ひ至るとする。
〔爻辭〕正義曰:「遇其配主」者,豐者,文明必動,尚乎光大者也。初配在四,俱是陽爻以陽適陽以明之動能相光大者,也。故曰:「遇其配主也。雖旬無咎往有尚者,旬均也,俱是陽爻,謂之為均,非是陰陽相應,嫌其有咎,以其能相光大,故雖均,可以無咎,而往有嘉尚也,故曰「雖均無咎,往有尚」也。
〔小象傳〕正義曰:「過旬災也」者,言勢若不均,則相傾奪。既相傾奪,則爭競乃興,而相違背,災咎至焉,故曰「過旬災也」。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷二(ウィキソース)
朱子先生は、配主を九四、旬を均とし、皆陽なるをいふと解す。豐の時は明と動と相資くるゆゑ、初九の九四に遇ふは皆陽剛なれども其の占かくのごとしとし、小象は其の配に勝たんと求むべからずと占者を戒むとする。
〔爻辭〕配主謂四旬均也謂皆陽也當豐之時明動相資故初九之遇九四雖皆陽剛而其占如此也
〔小象傳〕戒占者不可求勝其配亦爻辭外意
豐 其 蔀
そのしとみをおほいにす
蔀は光を遮る覆ひである。六二は離の中に在り、陰をもつて陰位に居りて中正、朱子先生はこれを離の主にして至明なる者とする。されど上に應ずる六五は柔にして暗い。明らかな者が暗き主に仕ふれば、眞晝にして北斗を見るがごとく、世は暗く閉ざされる。進みて從へば、かへつて疑はれ嫌はれる。朱子先生は、ただ誠意を積みて之を感ぜしむれば吉と說く。王弼先生も、中を履み位に當たり、闇に處りて邪ならず、孚ある者なりといふ。上に理解されぬ時は、說き伏せるより、誠を積み重ねて相手の心を開くべし。
六二は下卦離の中にある陰爻で、陰位にあって中正、離の主です。朱子は、六二自身は非常に明るい存在なのに、応じる位置にある六五が柔弱で暗いため、「豐其蔀」(覆いを大きくして光をさえぎる)の象があると説きます。昼なのに北斗星が見えるほど暗いのです。ここで無理に上へ進むと、かえって疑われ、憎まれます(往得疑疾)。そこで朱子は、誠意を積み重ねて相手を感動させれば吉だと読みます。「有孚發若」の「孚」はその誠実さを表します。
どんなに正しいことを言っても、上の人にわかってもらえないことがあります。この線は、まるで昼なのに空が暗くなり、星が見えるような状態です。ここで強く言いつのると、かえって疑われたり、きらわれたりします。大切なのは、まごころを持ち続けることです。毎日の誠実な行いが積み重なれば、相手の心もいつか動きます。わかってもらえない時こそ、言葉よりも行いで、少しずつ信頼を積み上げていきましょう。
爻 辭
六二。豐其蔀。日中見斗。往得疑疾。有孚發若。吉。
六二。其の蔀を豐いにす。日中に斗を見る。往けば疑疾を得。孚有りて發若たれば、吉なり。
六二。覆ひ(蔀)を大きくして光を遮る。眞晝に北斗星が見えるほど暗い。進んで(上に)從へば、かへつて疑はれ嫌はれる。誠意をもつて(相手の心を)開き動かせば、吉である。
小象傳
有孚發若。信以發志也。
孚有りて發若たりとは、信以て志を發するなり。
誠意をもつて開き動かすとは、誠によつて志を奮ひ起こすのである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は蔀を光明を障ふる物とし、六二は陰を以て陰に居り、豐とする所は蔀にして、幽にして睹る無しとす。自ら發する能はざれば往きて疑疾を得れど、中を履み位に當たり、闇に處りて邪ならざる孚ある者なれば、志を發して吉と說く。
〔爻辭〕蔀,覆曖,障光明之物也。處明動之時,不能自豐以光大之德,既處乎內,而又以陰居陰,所豐在蔀,幽而無睹者也,故曰「豐其蔀,日中見斗」也。日中者,明之盛也;斗見者,闇之極也。處盛明而豐其蔀,故曰「日中見斗」。不能自發,故往得疑疾。然履中當位,處闇不邪,有孚者也。若,辭也。有孚可以發其志,不困於闇,故獲吉也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、二は離の中に居りて日の正中のごとくなれど、陰を以て陰に處る至闇の行ひなれば、日中に斗星を見るがごとしと解す。五もまた陰なれば、往きて求むれば疑はるる疾を得れど、中を履み邪ならざれば信ありて吉とする。
〔爻辭〕正義曰:「豐其蔀」者,二以陰居陰,陰又處於內,幽闇無所睹見,所豐在於覆蔽,故曰「豐其蔀」也。蔀者,覆曖,障光明之物也。「日中見斗」者,二居離卦之中,如日正中,則至極盛者也。處日中盛明之時,而斗星顯見,是二之至闇,使斗星見明者也。處光大之世,而為極闇之行,譬日中而斗星見,故曰「日中見斗」也。二、五俱陰,二巳見斗之闇,不能自發,以自求於五,往則得見疑之疾,故曰「往得疑疾」也。然居中履正,處闇不邪,是有信者也。有信以自發其志,不困於闇,故獲吉也。故曰「有孚發若,吉」也。
〔小象傳〕正義曰:信以發志者,雖處幽闇而不為邪,是有信以發其豐大之志,故得吉也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷二(ウィキソース)
朱子先生は、六二は離の主にして至明なれど、上に應ずる六五の柔暗なるゆゑ豐蔀見斗の象ありとす。往きて從へば暗主に必ず疑はるれど、唯だ誠意を積みて之を感ぜしむれば吉とし、中を虛しくするを孚ある象と說く。
〔爻辭〕六二居豐之時為離之主至明者也而上應六五之柔暗故為豐蔀見斗之象蔀障蔽也大其障蔽故日中而昏也往而從之則昏暗之主必反見疑唯在積其誠意以感〓之則吉戒占者宜如是也虛中有孚之象
豐 其 沛
そのはいをおほいにす
九三は離の極に在り、陽をもつて陽位に居りて正なれど、應ずる上六は陰柔にして豐の極に居る。朱子先生は、沛を旌幔とし、その覆ひは蔀よりも甚だしく、沬は小さき星なりとする。眞晝に小星を見るほどの暗さである。右の肱を折るとは、事を行ふ利き腕を失ふことである。孔穎達先生は、凡そ事を用ゐるは右肱に在り、右肱旣に折るれば左ありといへども終に用ゐるに足らずと說く。大事を成し得ぬ時である。されど朱子先生は、用ゐられずといへども咎にあらずと見る。力を振るへぬ時は、無理に動かず、自らを守ることに徹すべし。
九三は下卦離の最上位で、陽爻が陽位にあって位は正しい爻です。しかし応じる上六は陰柔で、豐の極みに暗く閉じこもる爻です。朱子は「沛」を旗の幕(旌幔)とし、その覆いは六二の「蔀」よりもさらに厚く、「沬」は小さな星だと説きます。真昼に小さな星まで見えるほどの暗さです。右の肱を折るとは、利き腕を失って大きな事ができないことを表します。それでも、自分を守っていれば咎めはありません。
大事な仕事をまかされたのに、利き腕をけがしてしまった。この線は、そんな思うように力を出せない時を表しています。昼なのに、小さな星まで見えるほど、まわりが暗くなっています。こういう時に無理をして大きなことをしようとすると、かえって失敗します。今は、できることだけを確実にやり、自分を守ることを優先しましょう。それは逃げではありません。力をたくわえ、次のチャンスにそなえる大切な時間です。
爻 辭
九三。豐其沛。日中見沬。折其右肱。无咎。
九三。其の沛を豐いにす。日中に沬を見る。其の右の肱を折る。咎无し。
九三。幔幕(沛)を大きくして光を遮る。眞晝に小さな星が見えるほど暗い。右の肱を折る。咎めはない。
小象傳
豐其沛。不可大事也。折其右肱。終不可用也。
其の沛を豐いにすとは、大事に可ならざるなり。其の右の肱を折るとは、終に用ゐる可からざるなり。
幔幕を大きくして光を遮るのは、大事を行ふことができないのである。右の肱を折るとは、つひに用ゐることができないのである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は沛を盛光を禦ぐ幡幔、沬を微昧の明とし、九三は上六に應じて志は陰に在れば、闇を免れずとす。明を施せば沬を見るのみ、用を施せば右肱を折るゆゑ、自ら守るべくして用ゐるに足らずと說く。
〔爻辭〕沛,幡幔,所以禦盛光也。沬,微昧之明也。應在上六,志在乎陰,雖愈乎以陰處陰,亦未足以免於闇也。所豐在沛,日中則見沬之謂也。施明,則見沬而巳,施用,則折其右肱,故可以自守而巳,未足用也。
〔小象傳〕明不足也。 雖有左在,不足用也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、九三は上六に應じて志陰に在り、六二に勝れども闇を免れずとし、光大の時に沛を豐いにし沬を見るは大事に用ゐ得ずと解す。小象には、凡そ事を用ゐるは右肱に在り、旣に折るれば左ありとも用ゐ得ずとする。
〔爻辭〕正義曰:「豐其沛,日中見沬」者,沛,幡幔,所以禦盛光也。沬,微昧之明也,以九三應在上六,志在乎陰,雖愈於六二以陰處陰,亦未見免於闇也,是所以「豐在沛,日中見沬」。夫處光大之時,而豐沛見沬,雖愈於豐蔀見斗,然施於大事,終不可用。假如折其右肱,自守而巳,乃得無咎,故曰「折其右肱,無咎」。
〔小象傳〕正義曰:「不可大事」者,當光大之時,可為大事,明不足,故不可為大事也。 正義曰:「終不可用」者,凡用事在右肱,右肱既折,雖有左在,終不可用也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷二(ウィキソース)
朱子先生は、沛を斾とする一本を引きて旌幔とし、其の蔽ひは蔀より甚だしとし、沬を小星と解す。九三は明の極に處りて上六に應ずるゆゑ、用ゐる可からずといへども咎にあらずとし、其の象占かくのごとしとする。
〔爻辭〕沛一作斾謂旌幔也其蔽甚於蔀矣沬小星也三處明極而應上六雖不可用而非咎也故其象占如此
遇 其 夷 主
そのいしゅにあふ
九四は上卦震の初めに在り、陽をもつて陰位に居りて位當たらず、六二と同じく蔀を豐いにして日中に斗を見る。上に仕ふる六五は柔暗の主である。されど下には、同じく陽剛なる初九がゐる。朱子先生は夷を等夷、すなはち同等の者とし、暗き主に遇ふ時は、下りて同德の者に就けば吉と說く。孔穎達先生は、初より四に適けば四を主として配主といひ、四より初に之けば初を主として夷主といふ、賓主のごとき交はりなりと說く。上に光なき時は、下にゐる同志と手を結ぶべし。立場の上下を越えて結ぶ緣が、暗き世を照らす力となる。
九四は上卦震の最下位で、陽爻が陰位にあって位は正しくありません。小象伝も「位不當也」と言い、六二と同じく覆いが厚く、昼に北斗星が見える暗さにあります。すぐ上の六五は柔弱で暗い君主です。朱子は「夷」を「等夷」(同等の仲間)とし、初九を指すと解します。暗い君主のもとにいる時は、下にいる同じ徳の初九のもとへ行けば吉だというのです。初九から見た九四が「配主」、九四から見た初九が「夷主」で、二つの陽が対等に助け合います。
上に立つ人がたよりにならない時、どうすればいいでしょうか。この線では、まわりがうす暗く、先の見通しがききません。でも、すぐ近くに、同じ思いを持つ仲間がいます。立場が下の人であっても、心が通じる相手と力を合わせれば、道は開けます。肩書きや年齢にこだわらず、信頼できる人と手を結ぶことが大切です。困った時は、上ばかり見ず、まわりにいる仲間に目を向けてみましょう。
爻 辭
九四。豐其蔀。日中見斗。遇其夷主。吉。
九四。其の蔀を豐いにす。日中に斗を見る。其の夷主に遇ふ。吉なり。
九四。覆ひを大きくして光を遮る。眞晝に北斗星が見える。同等の相手(夷主、初九)に出會ふ。吉である。
小象傳
豐其蔀。位不當也。日中見斗。幽不明也。遇其夷主。吉。行也。
其の蔀を豐いにすとは、位當たらざればなり。日中に斗を見るとは、幽にして明らかならざるなり。其の夷主に遇ふは、吉にして行くなり。
覆ひを大きくするとは、位がふさはしくないからである。眞晝に北斗星が見えるとは、暗くて明らかでないのである。同等の相手に出會つて吉であるとは、(下の初九のもとへ)行くのである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、九四は陽を以て陰に居るゆゑ其の蔀を豐いにすとし、初九を得て以て發すれば、夷主に遇ひて吉なりと注す。闇き位に在りても、下の初九によりて明を發し得るとするのである。
〔爻辭〕以陽居陰,豐其蔀也。得初以發,夷主吉也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は夷を平と訓じ、九四は陽を以て陰に居りて闇は六二に同じとす。初より四に適けば四を主として配主と曰ひ、四より初に之けば初を主として夷主と曰ふとし、二陽の體敵して兩主均平なるを說く。
〔爻辭〕正義曰:「豐其蔀」者,九四以陽居陰,闇同於六二,故曰「豐其蔀」也。「日中見斗,遇其夷主,吉」者,夷,平也。四應在初,而同是陽爻,能相顯發,而得其吉,故曰「遇其夷主,吉」也。言四之與初交相為主者,若賓主之義也。若據初適四,則以四為主,故曰「遇其配主」。自四之初,則以初為主,故曰「遇其夷主」也。二陽體敵,兩主均平,故初謂四為「旬」,而四謂初為「夷」也。
〔小象傳〕正義曰:「位不當」者,止謂以陽居陰,而位不當,所以豐蔀而闇者也。「幽不明也」者,日中盛則反而見斗,以譬當光大而居陰,是應明而幽闇不明也。「吉行也」者,處於陰位,為闇巳甚,更應於陰,無由獲吉,猶與陽相遇,故得吉行也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷二(ウィキソース)
朱子先生は、九四の象は六二と同じとし、夷を等夷と訓じて初九を指すと解す。豐の時に當たりて暗主に遇ふも、下りて同德の初九に就けば吉なりと占ふとする。
〔爻辭〕象與六二同夷等夷也謂初九也其占為當豐而遇暗主下就同徳則吉也
來 章
しゃうをきたす
六五は陰柔をもつて尊位に居り、上卦の中を得る。朱子先生は、その質は柔暗なれども、能く天下の明を來たし致せば、慶譽ありて吉なりとし、柔暗なるゆゑにこの道を設けて開き示すと說く。自らの明の足らざるを知る君は、下の賢者を招くことによつて輝く。王弼先生は、陰の質をもつて尊陽の位に適き、能く自ら光大にして其の德を章らかにすと說く。己一人の明に賴らず、人の明を集むる者こそ、豐の世を保ち得るのである。小象傳はこれを「慶び有るなり」と結ぶ。
六五は上卦の中にある陰爻で、君位にありますが、陰爻が陽位にいるので位は正しくありません。豐の時の君主としては、柔らかく、明るさに欠けます。朱子は「來章」を、天下の明(すぐれた知恵や人)を招き寄せることと読みます。六五自身は暗くても、明るい人々を迎え入れれば、喜びと誉れがあって吉となるのです。朱子はこれを、柔暗な君主のために易が道を開いて示したものだと説きます。自分の不足を知る指導者の強さが表れています。
リーダーが何でも一人でできるとは限りません。この線の人は、高い位にいながら、自分の知恵や明るさが足りないことを知っています。だからこそ、すぐれた人たちを招き、その力を借ります。その結果、みんなから喜ばれ、よい評判を得ます。わからないことを素直に認め、人の力を借りるのは、はずかしいことではありません。自分より詳しい人に教えを求めることが、大きな成功につながります。
爻 辭
六五。來章。有慶譽。吉。
六五。章を來たせば、慶譽有りて、吉なり。
六五。明らかな才を招き來たらせれば、慶びと譽れがあつて吉である。
小象傳
六五之吉。有慶也。
六五の吉なるは、慶び有るなり。
六五が吉であるのは、慶びがあるからである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は、六五は陰の質をもつて尊陽の位に來たり適き、能く自ら光大にして其の德を章顯するゆゑ、慶譽を獲ると說く。來を位に來ること、章を德の章らかなることと讀むのである。
〔爻辭〕以陰之質,來適尊陽之位,能自光大,章顯其德,獲慶譽也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、六五は豐大の世に處り、陰柔の質をもつて尊陽の位に來たり、能く自ら光大にして德を章顯し慶善を獲ると解す。小象には、柔を以て尊に處り中を履み得るゆゑ慶譽を致すとする。
〔爻辭〕正義曰:六五處豐大之世,以陰柔之質,來適尊陽之位,能自光大,章顯其德,而獲慶善也。故曰「來章有慶譽,吉」也。
〔小象傳〕正義曰:「有慶也」者,言六五以柔處尊,履得其中,故致慶譽也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷二(ウィキソース)
朱子先生は、六五は質柔暗なれども、能く天下の明を來たし致せば慶譽ありて吉なりとし、其の柔暗なるに因りて此の道を設けて之を開くと說く。占ふ者能くかくのごとくなれば其の占のごとしとする。
〔爻辭〕質雖柔暗若能來致天下之明則有慶譽而吉矣蓋因其柔暗而設此以開之占者能如是則如其占矣
豐 其 屋
そのをくをおほいにす
上六は豐の極、震の動きの終はりに在り、陰柔にして位なき地に居る。朱子先生は、明極まりて反つて暗き者とし、其の屋を豐大にしてかへつて自ら蔽ふ象と說く。屋根を高く大きくし、家を覆ひ隱して、戶をのぞけばひつそりとして人影もない。三年たつても姿を見せない。王弼先生は、大道旣に成るに、なほ見えずして隱るるは賢たらず、かへつて道に反すと說く。治まれる世に閉ぢこもるは、治を亂となすものである。盛りを極めた者が、驕りて人を遠ざけ、獨り深く籠もれば、凶を招く。富みて人を拒む者は、つひに孤立するのである。
上六は卦の最上位で、陰爻が陰位にあり、豐の極み、震の動きの終わりにあたります。下卦の離の明から最も遠い位置です。朱子は、明るさが極まってかえって暗くなった者とし、家を大きくしながら自分を覆い隠してしまう姿だと説きます。戸の外からのぞいても人の気配がなく、三年たっても姿を見せません。小象伝の「自藏也」を、朱子は自ら覆い隠すことと解します。盛大さの裏にある孤立を描いた爻です。
大きな家を建て、高い塀で囲み、だれも寄せつけない。この線は、成功をきわめた人が、まわりとの関係を自分から断ってしまう場面です。のぞいてみても、家の中はしんと静まりかえり、何年たっても人の姿が見えません。豊かになるほど、人は自分を守ろうとして、心の扉を閉ざしがちです。でも、それでは本当の豊かさは得られません。うまくいっている時こそ、人とのつながりを大切にし、心の扉を開いておきましょう。
爻 辭
上六。豐其屋。蔀其家。闚其戶。闃其无人。三歲不覿。凶。
上六。其の屋を豐いにし、其の家を蔀ふ。其の戶を闚へば、闃として其れ人无し。三歲覿ず。凶なり。
上六。家屋を大きくし、その家を覆ひ隱す。戶口からのぞくと、ひつそりとして人がゐない。三年たつても姿を見ない。凶である。
小象傳
豐其屋。天際翔也。闚其戶。闃其无人。自藏也。
其の屋を豐いにすとは、天際に翔るなり。其の戶を闚へば、闃として其れ人无しとは、自ら藏るるなり。
家屋を大きくするとは、(その屋根が)天の果てにまで翔るほど高大なのである。戶口からのぞいてひつそりと人がゐないとは、自ら(光を)覆ひ隱してゐるのである。
王弼先生『周易注』(三國魏)▾
出典:『周易正義』所収の王弼注(ウィキソース)
王弼先生は屋を藏蔭の物とし、上六は陰を以て極に處り位を履まず、深く自ら幽隱する者とす。大道旣に濟りて猶ほ見えざるは、隱るるも賢たらず道に反し、治を以て亂となすゆゑ凶なりとし、小象には戶庭を出でずとも凶なるに況や自藏をやと注す。
〔爻辭〕屋,藏蔭之物,以陰處極而最在外,不履於位,深自幽隱,絕跡深藏者也。既豐其屋,又蔀其家,屋厚家覆,闇之甚也。雖闚其戶,闃其無人,棄其所處,而自深藏也。處於明動尚大之,時而深自幽隱,以高其行;大道既濟,而猶不見,隱不為賢,更為反道,凶其宜也。三年,豐道之成。治道未濟,隱猶可也;既濟而隱,是以治為亂者也。
〔小象傳〕翳光最甚者也。 可以出而不出,自藏之謂也,非有為而藏。不出戶庭,失時致凶,況自藏乎?凶其宜也。
孔穎達先生『周易正義』(唐)▾
出典:『周易正義』(ウィキソース)
孔穎達先生は、屋は藏蔭隱蔽の物にして、上六は位を履まず深く自ら幽隱し、屋を豐厚にして家を覆障すと解す。治道未だ濟らざれば隱るるも可なれど、三年にして豐道成りてなほ見えざるゆゑ凶とし、天際翔を隱翳の深きをいふとする。
〔爻辭〕正義曰:屋者,藏蔭隱蔽之物也。上六,以陰處陰,極以處外,不履於位,是深自幽隱,絕跡深藏也。事同豐厚於屋者也。既豐厚其屋,而又覆障其家,屋厚家闇,蔽障之甚也。雖闚視其戶,而闃寂無人,棄其所處,而自深藏也。處於豐大之世,隱不為賢。治道未濟,隱猶可也;三年豐道巳成,而猶不見,所以為凶,故曰「豐其屋,蔀其家,闚其戶,闃其無人,三歲不覿,凶」。
〔小象傳〕正義曰:「天祭翔也」者,如鳥之飛翔於天際,言隱翳之深也。 正義曰:「自藏也」者,言非有為而當自藏,可以出而不出,無事自為隱藏也。
朱熹先生『周易本義』(南宋)▾
出典:『周易本義』(四庫全書本)卷二(ウィキソース)
朱子先生は、上六は陰柔をもつて豐の極に居り、動の終はりに處りて明極まりて反つて暗き者とし、其の屋を豐大にして反つて自ら蔽ふ象と說く。人なく覿ずとは障蔽の深きをいひ、小象の藏も障蔽の意とする。
〔爻辭〕以隂柔居豐極處動終明極而反暗者也故為豐大其屋而反以自蔽之象无人不覿亦言障蔽之深其凶甚矣
〔小象傳〕藏謂障蔽
| 上・下卦 | 震(雷) / 離(火) |
|---|---|
| 卦 德 | 上卦 震:動 / 下卦 離:麗(明) |
| 象 意 | 上卦 震:雷・龍 / 下卦 離:火・日・電・雉 |
| 方 位 | 上卦 震:東 / 下卦 離:南(後天八卦) |
| 季 節 | 上卦 震:春(春分の頃) / 下卦 離:夏(夏至の頃) |
| 五 行 | 上卦 震:木 / 下卦 離:火 |
| 身 體 | 上卦 震:足 / 下卦 離:目 |
| 人 物 | 上卦 震:長男 / 下卦 離:中女 |
| 八 宮 | 坎宮 五世卦(京房の八宮) |
| 綜・錯・互 | 綜卦 火山旅(第五十六卦) 錯卦 風水渙(第五十九卦) 互卦 澤風大過(第二十八卦) |
| 序卦傳 | 得其所歸者必大。故受之以豐。豐者大也。 其の歸する所を得る者は必ず大なり。故に之を受くるに豐を以てす。豐とは大なり。 |
| 雜卦傳 | 豐多故也。親寡旅也。 豐は、故多きなり。親しみ寡きは、旅なり。 |
| 占断總括 | 雷火豐を得た場合、一般には盛運の絕頂を示す卦。事は大いに通ずるが、盛りは久しく續かぬゆゑ、驕らずに足もとを固め、衰へに備へることが肝要。徒らに憂へず、日中の太陽のごとく公明に事に當たるべし。 |
| 日中に見る星 | 六二・九四は斗(北斗)、九三は沬(小星) 眞晝に星が見えるほどの暗さ。朱子は九三の沛(旌幔)の覆ひを蔀より甚だしとする |
| 校 異 | 底本はウィキソース『周易』。『周易正義』(王弼注・孔穎達疏)と朱熹『周易本義』で校めた。 彖傳:底本「而況于人乎?況于鬼神」を「而況於人乎?況於鬼神」とした 上六の爻辭:底本「家窺其戶闃其无人三歲不觌凶」を「家闚其戶闃其无人三歲不覿凶」とした 上六の小象傳:底本「也窺其戶」を「也闚其戶」とした |